スティーブ・ジョブズもハマった!叙情的な日本美を木版画に閉じ込めた川瀬巴水の新版画とは?!

2020年~2021年にかけて、首都圏を中心として、東京オリンピックを意識した美術展が数多く開催されました。とりわけオリンピック期間中に目立ったのは、国際的にも評価の高い浮世絵師である葛飾北斎や歌川広重などをフィーチャーした浮世絵展。北斎だけでも5~6展は見かけました。

その中で、僕が当初から最も期待していた展覧会が、浮世絵の伝統を受け継いで大正~昭和に発展した「新版画」を代表する画家・川瀬巴水(かわせはすい)を特集した展覧会「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」(SOMPO美術館)です。

ちょうど開始前日の10/1に、プレス向けの内覧会が開催されましたので、さっそく取材させていただきました。

じつは、川瀬巴水は、アップル・コンピュータの創業者スティーブ・ジョブズが熱心にコレクションしたことでも知られています。ちょうど会期前半の10月5日は、ジョブズ没後10周年の記念日にあたります。それもあって、本展ではジョブズとの関わりについても詳しく特集されていました。

それでは、10月2日からスタートした本展について、詳しく見ていくことにしましょう!

新版画って何?川瀬巴水って誰?

展示風景

まず、展示の紹介に入る前に、簡単に「新版画」とは何か?ということについて、成立した経緯なども含めて簡単におさらいしておきましょう。

歴史に詳しい方ならご存知かもしれませんが、明治維新を迎え、日本文化が諸外国に紹介されるようになると、日本の浮世絵は西洋各国で「ジャポニスム」ブームを巻き起こしました。モネやゴッホが、浮世絵から学び、自らの作風を作り上げていったことはわりと有名な話ですね。

しかし、ジャポニスムブームが一巡した明治中期以降になると、浮世絵は写真や印刷技術の発達に押されて徐々に衰退していきました。一端、完全にオワコン化して消えゆく運命に見えた浮世絵ですが、これをもう一度復興させようと立ち上がったのが、渡邊庄三郎(わたなべしょうざぶろう)という人物です。

彼は、それまで新聞挿絵、雑誌の口絵といった大衆向けの商業美術となっていた浮世絵を、「新版画」と新たに命名。ハイエンドな「アート作品」としてブランド化して、主要ターゲットを海外の美術コレクターに定めました。そこで、バートレットやカペラリといった外国人作家を皮切りに、高橋松亭、橋口五葉など意中の作家に声をかけ続け、試行錯誤を重ねながら各作家をプロデュースしていきました。

川瀬巴水(会場内のパネル解説より)

そんな中、渡辺が風景画の名手として次に目を付けたのが、当時、鏑木清方(かぶらぎきよかた)の門下で活躍しはじめていた、川瀬巴水でした。

川瀬巴水(中列左)と、鏑木清方一門のメンバーとの記念写真(会場内のパネル解説より)

同門で先輩格の伊東深水(いとうしんすい)が渡辺の下で手掛けた作品に刺激を受け、巴水も1918年からいよいよ新版画への挑戦をスタート。すると、巴水の叙情的で清らかな作風は好評を得ます。勢いを得た巴水は、それ以降1950年代に至るまで、30年以上にわたって木版画制作に専念し、渡辺と二人三脚で「新版画」を象徴付けるような美しい風景画作品を生み出していきました。

本展では、渡邊庄三郎がプロデュースした川瀬巴水の作品が、前後期合わせて約200点登場。生前に遺した作品の約1/3が見られる、非常に充実した回顧展となりました。初期から晩年に至るまで、川瀬巴水の代表作がズラリと展示室に並んでいます。

北斎・広重のDNAを受け継ぎ、詩情を極めた美しい木版画

さて、そんな川瀬巴水づくしとなった本展ですが、どの作品も本当に素晴らしくて、少し行っては戻り、また別の作品と見比べて……とやっているうちに、気づいたら約3時間が経過。探せば無限に見どころがみつかりそうです。

ですが、ここでは、今回はじめて川瀬巴水の新版画作品を見る……という初心者の方のために、「ここだけは、ぜひ見ておきたい」というポイントを3点に絞って紹介したいと思います。

注目点1:心が洗われる!絶妙の巴水ブルー!

左:「八戸深久保」1933(昭和8)年6月、右:「八之戸鮫」1933(昭和8)年1月、共に川瀬巴水、渡邊木版美術画舗所蔵

江戸情緒が残る東京の風景を皮切りに、全国津々浦々に足を運んで、多くの名所を情緒たっぷりに描いた川瀬巴水。まずザーッと見ていただくとわかるのが、様々な「水」の表現の豊かさなんです。

沼地を切り開いて街づくりを行った江戸開闢以来、水郷の街であった東京。戦後の都市開発の進捗とともに、大半の運河や堀は埋め立てられてしまいましたが、巴水が活躍した昭和前半までは、隅田川両岸から無数の水路が枝分かれして東京中に張り巡らされていました。「東京十二題」「東京二十景」といったシリーズ作品では、東京下町を中心に「水」とともに暮らす人々の生活の営みが伝わってきます。

川瀬巴水「雪に暮るゝ寺嶌村」1920(大正9)年冬 渡邊木版美術画舗所蔵

また、その後全国津々浦々を回って描かれた作品では、「海」や「滝」、「湖」といった水辺の名勝地が数多く登場します。ダイナミックに飛沫をあげる海の波や、月明かりに反射する水面のゆらめきの美しさは絶品。

まるでモネの海景画のような、奇景を描いた作品。水面の反射やゆらめきが美しい。/川瀬巴水「松嶌材木嶌」1933(昭和8)年5月 渡邊木版美術画舗所蔵

また、これらの水面を表現するために使われた「青」も、ダークブルーから澄み切った水色まで、作品ごとに千差万別です。徹底的に「青」の美しさや透明感にこだわって表現された「巴水ブルー」を味わい尽くしてみてください!

注目点2:夜!雨!雪!風!悪天候こそ絵師の本領が発揮される?!

川瀬巴水「月嶌の雪」(部分)1930(昭和5)年 渡邊木版美術画舗所蔵

北斎や広重の時代から、浮世絵では、様々な「天気」が描き出されてきました。浮世絵では、澄み切った晴天の空の下、清らかな風景を描いた作品にも素晴らしい作品は多く残されていますが、風雨が吹きすさぶ情景や、波が荒れ狂う海岸、吹雪に包まれる街、夜の静寂など、悪天候を扱った作品の中にこそ、それ以上に「傑作」とされる作品が残されていることに気付かされます。

たとえば、北斎の代表作「神奈川沖浪裏」は、荒れ狂う海を描いていますよね。

雨の表現、雪の表現など、一癖ある風景を表現するには、構想力や技術力が必要とされます。だからこそ、こうした悪天候を情感たっぷりに描けるかどうかは、まさに画家の腕のみせどころとなるのでしょう。

川瀬巴水「月嶌の雪」(部分)1930(昭和5)年 渡邊木版美術画舗所蔵

巴水もまた、かなり多くの作品で雨を降らせ、雪を積もらせています。こうした悪天候を表現するためのバリエーションの豊富さも見事の一言。しとしと降る雨、前も見えないような猛吹雪から、雨上がりに空に浮かんだ虹まで、ありとあらゆるパターンを網羅しています。

雨に濡れて光が反射する石畳の美しさに注目!/川瀬巴水「東海道日坂」(部分)1942(昭和)7年 渡邊木版美術画舗所蔵
風が吹きすさぶ悪天候の中、空に浮かんだ虹を写し取った不思議な作品/川瀬巴水「加賀八田」1924(大正13)年 渡邊木版美術画舗所蔵

ぜひ、大正・昭和の名所の美しさだけでなく、「天候」にも着目して、空や大気の表情をじっくり見比べてみてください。すごく多くの引き出しをもっていた画家だったのだ、ということがわかります!

注目点3:庶民の素朴な生活風景が映し出されたスナップショット的構図

仕事の合間なのか、荷馬車の上には昼寝をする人夫が。竹垣の合間からちらりと覗く、隅田川とその対岸の様子も趣があります。/川瀬巴水「こま形河岸」1919(大正8)年初夏 渡邊木版美術画舗所蔵

日本全国を旅して周り、往く先々の景勝地でノスタルジックな旅情を表現してきた巴水ですが、彼の風景画の中には、しばしば、その土地ごとに作家が見かけた人々の姿も登場します。

といっても、巴水が描く人物は、描かれる対象を引き立てるための脇役にすぎません。

たとえば、こちらの絵を見てください。主役は、言うまでもなく松の木立から見え隠れする、夕暮れに映える富士山ですよね。でも、それだけだと何かたりない。そこで描かれるのが人物像なんです。

夕日を受けて赤く輝く富士山の姿が印象的。街道を往く人夫の荷馬車が、旅風情を醸し出しています。/川瀬巴水「田子之浦之夕」1940(昭和15)年 渡邊木版美術画舗所蔵
川瀬巴水「田子之浦之夕」(部分)1940(昭和15)年 渡邊木版美術画舗所蔵

巴水が描く人物たちは、風景の中に溶け込むように控えめに小さく描かれていたり、傘や頭巾などで顔が隠されていることが大半。正面を向いて、目立つように顔立ちまで描かれた人物はほぼ皆無です。インフルエンサーがポーズをキメてInstagramやTikTokなどで自撮りするような構図とは真逆ですね。

あくまで主役は風景であり、人物たちは脇役なのです。

川瀬巴水「東海道うつのや」1947(昭和22)年 渡邊木版美術画舗所蔵

ですが、このさりげなく控えめに置かれた人物たちが、作品に一段と深みを与えているんです。

おそらく、こうした人物たちは巴水が旅先で偶然見かけた人々の姿なのでしょう。なにか立ち仕事をしていたり、舟を漕いでいたり、あるいは傘を差して黙々と歩いていたり、絵によって様々なのですが、その絶妙な構図や、スナップショット的なさりげなさが、作品に絶妙な趣を加えてくれています。

展覧会のタイトルにあるように、まさに「郷愁」という他ない、ふるさとの味を醸し出してくれる存在として、人物もまた巴水の風景画の中の鑑賞ポイントだと思います。

川瀬巴水「春のあたご山」(部分)1921(大正10)年春 渡邊木版美術画舗所蔵

ちなみに、人物たちの服装や持ち物には、周りの風景とはちょっと違う独特な色彩が載せられていることも多いです。特に、「青」が目立つ巴水の作品では、人物にはワンポイントで反対色の「赤」が差し色として使われているケースが多数。ぜひ、探してみてください。

左上:「周防錦帯橋」1924(大正13)年 右上:「春の嵐山」1934(昭和9)年4月 左下:「大根がし」1920(大正9)年夏 右下:「京都知恩院」1933(昭和8)年8月、すべて川瀬巴水、部分抜粋、渡邊木版美術画舗所蔵

スティーブ・ジョブズのお気に入りだった川瀬巴水

手前:『Macworld:The Macintosh Magazine1、No.1』(February 1984)奥:高木利弘、戸田幸子編集『The History of Jobs & Apple 1976~20XX:スティーブ・ジョブズとアップル 奇跡の軌跡』晋遊舎、2011年、共にSOMPO美術館蔵

実は新版画、海外でもそのまま「Shin-hanga」として通用するんです。下手したら、今でも日本より海外での知名度のほうが高いぐらいかもしれません。新版画の愛好者は現代の海外セレブの間でも多く、たとえば故ダイアナ妃が、ロンドンにあるケンジントン宮殿の執務室内に、吉田博の作品を飾っていたことは有名です。

じつは、川瀬巴水をこよなく愛した意外なコレクターが、冒頭でも紹介したスティーブ・ジョブズなのです。SOMPO美術館では、5Fからスタートして、4F、3Fと階段を降りながら展示を見ていくのですが、本展では、展示の最後にジョブズ特集がありました!

ジョブズが川瀬巴水の作品を集めていた、という事実は、2021年1月2日にNHK Worldで放送された特別番組「The Secret Passion of Steve Jobs」で知った人も多かったのではないでしょうか。

本展では、番組の取材にあたったNHK国際放送局・佐伯健太郎記者による特別寄稿がパネル展示されています。

会場内の解説パネル

このパネル展示の解説によると、ジョブズは「新版画」作品を少なくとも43点購入。うち半分以上が川瀬巴水の作品だったそうです。ジョブズの巴水との出会いは10代の頃。カリフォルニア州に住む親友ビル・フェルナンデスの自宅に遊びに来るたび、ビルの母親が居間などの壁にかけていた作品を食い入るように見ていたのだといいます。

ジョブズは、いわゆる外国人受けしそうな、わかりやすく日本の叙情美を打ち出した作品よりも、どちらかといえば玄人受けするような、暗く静かな雰囲気の落ち着いた作品を好んだのだといいます。本展では、ジョブズが所蔵していた作品群の中から、同じタイトルのエディション違いの作品が、10作品展示されています。

ジョブズが所蔵していた作品群(※同タイトルのエディション違い)も展示されています。/左:「舟津之富士」1936(昭和11)年 右:「市川の晩秋」1930(昭和5)年12月、共に川瀬巴水、渡邊木版美術画舗所蔵

こうした、全てを削ぎ落とした静寂な世界からインスピレーションを得て、iPhoneが生み出されたのだと思うと、結構ぐっと来るものがありますよね。

『Macworld:The Macintosh Magazine1、No.1』(February 1984)SOMPO美術館蔵

ちなみに、若き日のジョブズが写った写真画像入りで特集されたコンピュータ雑誌の資料展示にも要注目。フサフサした髪を湛え、自信満々なドヤ顔が新鮮ですよね。そう、彼が紹介している商品こそ、アップル社が新発売したばかりの初代「Macintosh」なのです。発売されたのは、1984年1月24日でした。

そこでぜひ見ていただきたいのが、モニターに映し出されている女性像なんです。

橋口五葉「髪梳ける女」1920(大正9)年3月 渡邊木版美術画舗所蔵

こちらは、橋口五葉の代表作「髪透ける女」。湯上がりの女性が長い黒髪に櫛を通しているつややかな場面ですが、至近距離で見ると、髪の毛の1本1本が非常に精緻に描かれているんです。

この作品をわざわざモニターへ映し出すあたりが、ジョブズの心憎い演出。

「こんなに精緻に描かれた新版画だって、Macなら美しく描画できてしまうんだぞ」というアピールとともに、本当にジョブズが日本の「shin-hanga」を愛していたんだなぁということがよく分かる1ページでした。

まとめ

川瀬巴水「芝増上寺」1925(大正14)年 渡邊木版美術画舗所蔵

今の日本では半ば失われてしまった、ノスタルジックな日本の原風景。それらを、ダイナミックな構図と叙情的な色彩で、史上最高レベルの木版画技術をもって表現したのが川瀬巴水でした。一方、そんな巴水の画業を30年以上にわたって支え続けたのが、版元である渡辺木版美術画舗を立ち上げた渡邊庄三郎でした。

本展では、渡辺木版美術画舗が所蔵する作品約200点で、巴水の代表作を一気に堪能することができるまたとない機会となりました。今回、はじめて「新版画」を見る、という人にこそおすすめしたい、素晴らしい展覧会です。特に、スティーブ・ジョブズとの関わりがクローズアップされた3Fは、写真撮影もOKです!(※一部映像等の展示を除く)

ぜひ、巴水ブルーの美しさを体感して、芸術の秋を満喫してみてくださいね。

展覧会関連情報

「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」
会場:SOMPO美術館
会期:2021年10月2日~12月26日
公式HP:https://www.sompo-museum.org/

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