【顔面学講座⑮】 美人とは何か? ルッキズムが問題視される時代に改めて考えてみた。

外見で人を判断することで生まれる偏見や差別、外見で人の価値をつける「ルッキズム(外見至上主義)」を見直そうという動きが世界的に広まっています。

ルッキズム批判の影響で、決して外見だけで選んでいるわけではない「ミスコン(ミス・コンテスト)」も縮小傾向の動きがあるそうです。

美しいものを美しいと感じるのは人間の本能

しかし、美しい音楽を「美しい」と感じるように、美しい形を見て「美しい」と感じるのは人間の本能です。

美しい花を見ると「美しい」、美しい景色を見ると「美しい」、美しい顔(姿)を見ると「美しい」と感じます。そして、その感じ方は、みな同じでほぼ共通しているケースと、人それぞれ違うケースがあります。

今回は、そもそも「美人とは何か?」について考えてみたいと思います。

日本における美人の歴史

「美人(の顔)」は国や時代によっても変わってきます。

平安時代から鎌倉時代の大和絵では、高貴な人物の顔を、「細い目」「小さく低い鼻」「小さい口」「ふくよかで下膨れの輪郭」で描いていました。

いわゆる「引目鉤鼻」と言われる顔が「美人」でした。

現代は「痩せろ、痩せろ、痩せろ」のオンパレードですが、平安時代は「ふくよかな体型」が美人だった。

江戸時代は、浮世絵の美人画に描かれる女性を見ればわかるように「長い黒髪」「きめ細やかな白い肌」「切れ長で涼しげな一重まぶたの目」「横幅の狭く鼻筋の通った鼻」「受け口」「面長」な顔です。

明治に入ってからは、西洋文化の影響で白人っぽい顔が美人になりました。

だんだん、パッチリとした「二重で大きな目」が美人の基準になってきました。

さらに昭和になると、戦後のアメリカの影響で徐々に「高い鼻」「大きな口」が美人の基準になってきました。

現代においてもそれがほぼ定着して「丸い大きな目」「高くて細い鼻」「大きな口」「尖ったアゴ」が、老若男女を総合しての「美人」と評価される顔だと思います。

日本においては「可愛い」を美の基準に考える人が多く、若い女性は自分が可愛く見える角度や、自撮りテクニックに夢中。

「性格美人」「雰囲気美人」

また、「美人」とは「顔」を中心とした容姿・外見を指す言葉だったのが、アメリカからフェミニズム思想が輸入されたことで「容姿の美醜を論じてはならない」風潮が強くなりました。

そして、顔の美しさだけではなく「性格美人」や「雰囲気美人」などといった言葉が誕生したわけです。

1995年頃には、安室奈美恵さんを真似た「アムラー」が誕生。さらにそれをエスカレートさせた“ガングロメイク”のヤマンバギャルという集団が出現しました。

かなり特殊な例ですが、あの時代、渋谷界隈の一部のティーンの間では、あれが「美」だったのです。

「標準顔」と「憧れ顔」

近年においては、微妙にトレンドが変わるだけですが、美人の定義とは主に2つのパターンで決められてきました。

標準顔(平均顔)

自分のまわりの集団における標準的な顔、その時代に活躍している芸能人(女優、歌手、モデル)の顔が美人の基準になります。

日本人に多い「みんなと同じだから安心できる」心理から来る、「みんなの美の価値観と同じ顔」が美人の基準です。(※プリクラの「盛り」も基準を満たした上で自分らしさを出すのがポイント。)

憧れ顔

自分にないものや、自分とは違うパーツやバランスの顔です。主に、根強い白人コンプレックスからくる大きな目、高い鼻、白い肌などが美の基準になります。

自分の顔が「標準顔(平均顔)」ではない、自分の顔が「憧れ顔」ではない、人と違う顔の特徴をコンプレックスに思ってしまって自信を持てない人のために私が書いたのが、2008年に上梓した『あなたは何顔美人? 本当の自分を知るフェイスリーディング』(WAVE出版)です。

「丸顔美人」「エラ張り美人」「おかめ美人」など形は違っても全部美人であることを伝えた本。

「どんな形の顔も美人」という内容である意味“トンデモ本”なのですが、「美人とは自分の顔を愛する人」「美人とは自分らしさを追求する人」と定義。それが「いい顔」になる秘訣なので、「顔の真理が書かれた本」です。

経済学では美人といわれるから美人

2016年12月に開催された「化粧文化研究者ネットワーク 第41回研究会」で、日本顔学会のニューズレター編集委員でもあり、美人画研究会の中心人物でもある城戸崎雅崇先生による講演「浮遊する美人~美人とは何か」がありました。

大学教授、化粧品会社社員などが参加し、城戸崎先生の話に耳を傾けた。

「美人の識別基準」「進化論の見方」「グローバル・スタンダード」「不易と流行」「美人の言語表現」「描かれた美人」など、多角的に「美人」について研究されていて、私は城戸崎先生を「美人研究の第一人者」だと思っているのですが、この時に最も衝撃を受けたのが、「経済学では美人といわれるから美人」という言葉です。

以下は、この言葉を受けての私の解釈ですが、

美の権威である化粧品会社が「こういう顔(女優・モデル)が美人と言ってるから美人」

テレビ、雑誌、インターネット、電車広告、店頭広告でたくさん見せられるからその顔が美人になる(単純接触効果で、よく見る顔に好印象を抱くからその顔が美人になる)。

という風に言うことができると思います。

現代は「お金で美人が買える時代」とも言える。

つまり、現代においては、経済、メディアが「(どういう顔が、誰が)美人であるか」を作っているのです。

現代人の価値観は、幼少期から見ていたテレビの影響が大きい。

電車に乗ればエステの広告、雑誌を開けば化粧品の広告、テレビを見れば、インターネットを見れば、インスタを見れば、おしゃれな髪型、メイク、ファッションの女性で溢れ返っていて、まるで外見重視の風潮を助長しているようです。

新聞等の記事で見る反ルッキズムの風潮に反して。

美容産業は、自己の美的表現を助けるとともに、外見至上主義を助長している? 

経済至上主義が作り出した「毛のない男性が美しい」

経済至上主義による「ルッキズム(外見至上主義)」の助長は女性だけではなく、男性に対してもあります。

男性の胸毛はセクシーと言われていた時代は遠い昔に。

メンズ脱毛美容ビジネスによって、「毛深い男性はモテない」「毛深い男性は気持ち悪い」「ヒゲの剃り跡が青く残るとカッコ悪い」、「お肌ツルツルがモテる男の条件」だから「全身脱毛」といったプロモーションによって、腕毛、すね毛、胸毛、ヒゲと、髪の毛以外のあらゆる毛を脱毛させようとしています。

「アメリカのセレブの間では・・・」と、陰毛まで脱毛させるビジネスを展開。

美は1つではない。

「人と違う顔の特徴は、自分の個性(チャームポイント)と思おう」じゃありませんか。

※日本顔学会2代目会長の原島博先生による「顔訓13箇条」第4条

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