ニューヨーク・コンフィデンシャル エピソード2

このコラムでは、「どうせ私なんか…」というセリフが頭に浮かんでいた日本での私が、多様性の都といわれているアメリカのニューヨークに47日間滞在し、半歩ずつそのマインドを変えていき、『“インドミタブル(不屈の精神)”MAYUMI』になるまでの軌跡を辿っています。

プロローグ2 奇跡が降ってきた

娘に「自分の住むところは自分で探せ」と言われて相談できそうな人が頭に浮かんだ。毎週スカイプをしているアメリカ人の友人だ。後にも先にもアメリカ人の友人は彼女一人だ。昔、AFS(American Field Service)の活動で私がホストマザー、彼女はAFSスタッフとして知り合った。娘と同じNYのブルックリンに住んでいる。前回ニューヨークに行って会って以来、気が合ってちょくちょくスカイプで話をしていた。私にとっては、英会話の先生、向こうにとっては私が日本語の先生だ。

相談してみると娘の懐妊を喜んでくれてニューヨークに来るなら、「我が家を使って」と言われた。えっ!大きな困りごとが、ストンと解決してしまった。そんな幸運が自分の身に起こったとは、にわかに信じられないぐらいの早さだった。

たった一人の友人が、娘たちの近くにたまたま住んでいて、自分たちは郊外に建てた家にいることが多いのでブルックリンの家は自由に使ってくれという。たった一人の友人に、初めて相談をして、たった一回で解決したなんて、本当のことなの?娘の家に居候することなく高い宿泊代を払うこともなく無料で貸してもらえるなんて!その上、娘の家まで歩いていくことができる。こんな幸運なことが世の中にあるなんて!狐につままれたような気分である。

そういえば、今年は年の初めから幸運が降ってきていた。初日の出に間に合わずがっかりして歩いていたら、天皇陛下ファミリーが上皇様に年初のご挨拶に向かわれる御幸に遭遇し手を振っていただけた。

思わず、私は「えっ~!」と足が地から舞い上がってしまった。

それに、初詣は、思いもよらぬ雪に見舞われたけど、増上寺で必勝祈願のご祈祷も受けることができた。

この世の中には、どんなに願ってもどんなに努力しても手に入らない時がある反面、あっさりと手に入っちゃう時もあるんだ。

そのためには、怖がりながらも強い願いを胸に半歩前へ。

プロローグ3 こまごましたことが、次々

アメリカの風習で義理のお姉さんが中心になって、BabyListというのが一斉同報で送られてきた。アマゾンのリストみたいなものの中から、チョイスして出産祝いとして贈り物をするシステムのようだ。何を選べばいいかと娘に聞くと、関係性で選ぶらしく、一番値段が張るものを親は選ぶというので、ご要望のとおり、車に取り付けるベビーシートで、ガンダムに出てくるようなごっついヤツを選ぶ。その説明を英語のサイトで読み解くのにさえ時間がかかった上、アメリカアマゾンにアクセスが難しく往生した。一事が万事この調子で娘も日本とは勝手が違うことが多いのだろうとチラッと思いやった。

娘からは、お土産リストを送ってきた。なんだか自分の欲しいものなのか婿殿ファミリーへのものなのかわからないが、ドサッと送ってきた。こちらも考えるのが大変なのでその中から多くを調達して持って行くことにした。私も食べたことがない高級ゼリーとか乾燥とろろ芋なんてどう考えても自分が食べたいものだ。ストレスをなだめるのに「食べる」は定番だから、仕方ないか。

こまごまとしたストレスも積もれば、山となる。日常も非日常も、たいへん、たいへん。

今回は、初めて相談した唯一の人がベストな答を持っていて、奇跡的に住む場所を手に入れたことと、Babylistについてご紹介しました。準備を進める中で細々とした心配をぶっ飛ばすような出来事が起こってしまったお話を次回に。ぜひ次回もご覧になってくださいね。

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