みなさんは、SOMPO美術館といえばどんなイメージがありますか?おそらく、「ひまわり」のある美術館、とか、印象派に強い美術館…という印象があるのではないかと思います。
実際、SOMPO美術館のこれまでの展覧会を見てみると、モネやルノワールといった印象派を中心として、19世紀中頃~20世紀初頭あたりまでの近代フランス美術に関する展覧会を数多く開催してきています。
ところが、今回の「プチ・パレ美術館展」で扱うのは、主に印象派以降の作品群。少し時計の針を近代から現代寄りに動かして「印象派以降って、どんな作品があるの?」という疑問にバッチリ答えてくれる展覧会です。印象派からフォーヴィスム、キュビスムといった20世紀の美術史まで、約半世紀にわたる美術史の流れを、屈指の名品でたどる、面白そうな展覧会になりました。
そこで、楽活では前回の「シダネルとマルタン展」に続いて、SOMPO美術館の武笠由以子(むかさゆいこ)学芸員にリモート・インタビューを敢行。展覧会が始まる前に、本展の見どころやオススメ作品など、予習に役立つ内容をバッチリうかがってきました。ここからは、武笠さんのお話を元に、プチ・パレ美術館展についてまとめて行きたいと思います!
プチ・パレ美術館と、創立者オスカー・ゲーズ氏のユニークな蒐集方針とは?
プチ・パレ美術館は、スイスのジュネーヴにある個人美術館。設立されたのは意外と新しく、1968年なんです。実業家オスカー・ゲーズ氏のコレクションを広く公開することを目的につくられました。
ゲーズ氏は1905年にフランスの保護領であったチュニジアのスースで生まれました。ユダヤ系の格式ある家柄で、ゲーズ氏の母はイタリア、フィレンツェの出身でした。ゲーズ氏は10歳の時に家族とともにフランス、マルセイユに移り、第一次世界大戦後、兄アンリとローマでゴム製品の製造業を始めました。
事業は順調に展開しましたが、1930年代にイタリアで反ユダヤ主義が高まると拠点をフランスに移し、その後、アメリカに渡ります。第二次世界大戦終結後、亡命先のアメリカからフランスに戻って事業を経営するかたわら、象牙や磁器、中国産の翡翠などの骨董品を蒐集し、20世紀のイタリア絵画や19世紀フランス絵画にも興味を持っていました。イタリア、フランスの絵画への関心には、自身の出自や経験も反映されているのかもしれません。
このゲーズ氏、惜しくも2008年に亡くなってしまったのですが、残されたコレクションは非常にユニークなラインナップになっています。それには、ゲーズ氏がコレクションを始めた時期が関係していました。
ゲーズ氏が事業経営の一線から身を引き、美術作品の蒐集に本腰を入れ始めたのは、1950年代から。だけど、その頃にはすでに印象派やマティス、ピカソといった大物たちの絵画作品は、相当な高額となっていたのです。もちろんゲーズ氏も裕福な資産家ではありましたが、それでも、20世紀前半の鉄道王や鉄鋼王の後継者たちのように、名作を簡単に大人買いできる状況ではなくなっていたのです。
そこでゲーズ氏が立てた作戦は以下の通り。
一つ目は、作品購入の費用に基準を設けること。値上がりしてしまった巨匠の高額作品を少数のみ購入するのではなく、手頃な価格帯で、数を優先しようというわけです。そこで、ゲーズ氏は自分の好みのベル・エポックとエコール・ド・パリの画家たちを中心に、手ごろな価格で数多くの作品を入手していきました。
ベル・エポックやエコール・ド・パリの画家たちは、当時の急速に変化する社会状況の中で、芸術の中心地であり、自由を象徴するパリにフランス国内外から集まりました。ゲーズ氏も両世界大戦を背景に、イタリア、フランス、アメリカと活動の拠点を移し、波乱に満ちた人生を送ったことから、それらの画家たちに自然と関心を寄せたと思われます。
二つ目は、あまり知られていない画家や、不当に過小評価されてきた画家を発掘すること。自分の審美眼に自信を持っていたゲーズ氏ならではの視点ですよね。
たとえば、本展でもフォーヴィスムの先駆者といえるルイ・ヴァルタやロシア人画家ニコラス・アレクサンドロヴィッチ・タルコフ、そして美術史の中で見過ごされてきたキュビスムの女性画家たちの作品などが含まれています。
これらの画家たちは、一旦は歴史の中に忘れ去られたものの、フォーヴィスムやキュビスムが幅広く展開するのを支える役割を担っていました。
この2つの蒐集方針の下、ゲーズ氏のプチ・パレ美術館には、広い視野で美術の流れを眺めることのできる多彩なコレクションが集まっていったのです。
武笠学芸員に聞く、「印象派以降のフランス絵画はここを見る」
ここまで見てきたように、本展の特徴は19世紀後半~20世紀前半までの西洋美術史のハイライトを押さえつつも、キラリと個性が光る作家たちの作品をたくさん集めていることです。
そこで、「プチ・パレ美術館展」では、どのあたりに注目して展示を見て回ると楽しく鑑賞できるのか、武笠学芸員にお聞きしてみました。ここからはインタビュー形式でお伝えします。
――本展では、印象派以降、いろいろな様式の絵画が登場していますよね。印象派は見慣れているので親しみやすい感じがしますが、それ以降の時代の作品は、少し難解な感じもします。印象派以降の作品を楽しむための鑑賞のコツなどがあれば、教えていただけますか?
武笠学芸員(以下、武笠):フランス絵画の流れを見ると、印象派以降、次々と新しい絵画運動やグループが現れました。画家たちは前の世代の絵画表現を学んだ上で、それとは異なる方向性を模索し、独自の表現に到達し、次の世代がまた同様に新しい表現を模索しました。このような連鎖に注目してご鑑賞いただくと、よりお楽しみいただけると思います。
――展覧会は、まずは印象派からスタートするのですよね?
武笠:第1章は印象派です。印象派は、明るい色彩と軽やかなタッチ、そして身近な主題によって多くの方に親しまれていると思います。ですが、印象派の絵画自体も、当時としては革新的で、それまでの因習的な表現を乗り越えようとする試みの結実したものでした。
――それって、過去を乗り越えて新しい絵画表現を作り出そうとした、という点では、後続の世代にその姿勢っていうのは受け継がれていくんですよね?
武笠:そうですね。印象派の後の画家たちも、過去を乗り越えて新しい絵画表現を生み出そうとする点では、共通する姿勢をとっています。例えば、ジョルジュ・スーラを始めとする新印象派の画家たちは、色彩と光の表現を探求する中で、印象派の色彩分割を基に、当時の科学的理論を取り入れて、分割主義と呼ばれる点描の技法を用い始めました。
――それぞれの感性で描いていた印象派から、ちゃんとした理論武装するようになったのですね。
武笠:ところが、新印象派の画家たちは、次第に分割主義の理論に厳密に従うことを止め、色彩と筆触をより自由に用いた表現を模索するようになります。
――少しやりすぎてしまったのですね。
武笠:スーラが早逝した後、ポール・シニャックを中心とする新印象派の画家たちは、明るい陽射しの地中海沿岸に滞在して制作しましたが、同時期にアンリ・マティスと友人たちもその近隣に滞在し、新印象派の表現を試みています。
――マティスも最初は新印象派あたりからスタートしたのですね!
武笠:そうですね。そしてその後、マティスたちはより自由な色彩表現と大胆なタッチで描くようになり、そのフォーヴィスムと呼ばれる絵画でセンセーションを巻き起こしました。
――なるほど、新印象派を乗り越えて、次のムーブメントを起こしたわけですね。
武笠:はい。このように、画家たちの関心や課題が移り変わるとともに、次の展開が導かれていきました。プチ・パレ美術館展をご覧いただく中で、それぞれの画家たちが過去の絵画表現をどのように受容し、または拒絶して、別の新しい方向を模索したのかという点に少し気を留めてご覧いただくと、新たな発見があるのではないかと思います。
――ありがとうございます。ちょっと気に留めて見てみます!
武笠学芸員が一推し!「プチ・パレ美術館展」での3つのオススメ
オススメ作品1:モーリス・ドニ《休暇中の宿題》
――本展では、このモーリス・ドニ(1870-1943)の作品が複数出品されますよね。どんな作家だったのですか。
武笠:ドニは、ナビ派の主要な画家のひとりであり、神秘主義や象徴主義から影響を受けて宗教的な主題に取り組んだ一方、家族や友人など身近な人々を題材とした作品を描いたことでも知られています。特に温かな家庭の情景を多く描いており、《休暇中の宿題》もその一つですね。
――ドニは子だくさんだったそうですね?
武笠:そうですね。彼は2回の結婚で9人の子供をもうけ、それぞれの子に愛称をつけて可愛がっていました。
――そんなに子供がいたのですね。ちなみに、この絵に描かれているのは誰なんですか?
武笠:最初の妻マルトと3人の娘たち、長女ノエル(愛称「ノノ」、10歳)、次女ベルナデット(「ベルナール」、7歳)、三女アンヌ=マリー(「ネネ」 、5歳)です。
――おそろいのスモックが点描で表現されているのが印象的ですね!
武笠:みんな優しい表情を浮かべ、子供たちは仲良くおそろいのスモックを着ています。スモックやテーブルクロスに赤やピンク色といった華やかな色彩が用いられていることもあり、楽しげな家庭の雰囲気が伝わってきますよね。
――本作は、チラシのメインビジュアルにも選ばれているんですね。フォトスポットなども用意されていたりするんですか?
武笠:はい。展覧会期間中、建物正面エントランス前に、本作をモチーフにしたフォトスポットを設置します。ちょうど夏休みの時期に開催しますので、ご家族でお越しの方々も、皆さまで一緒に写真を撮るなど、お楽しみいただければ幸いです。
オススメ作品2:ルノワール《詩人アリス・ヴァリエール=メルツバッハの肖像 》
――2つ目のオススメは、印象派の巨匠・オーギュスト・ルノワール(1841-1919)ですね。こちらは、なぜオススメ作品の一つとして挙げていただいたのですか?
武笠:本作は、プチ・パレ美術館を代表する作品の一つと見なされているからです。オスカー・ゲーズ氏が1960年、実業家として築いてきた事業を手放し、美術作品の蒐集に集中するようになった最初期にコレクションに加わった作品なんです。
――1913年だから、かなり晩年になってからの作品なんですね?
武笠:そうですね。ルノワールが晩年、リウマチの療養もかねて、南仏の街カーニュに暮らした時代に描かれていた作品です。
――若い時は、ずいぶん社交界の人々などの肖像画も描いていたみたいですが、ルノワールの晩年の肖像画って珍しいですよね?
武笠:はい、この頃にはルノワールは肖像画の注文制作からは距離を置いていました。本作についても、制作の依頼を受けた当初は、あまり乗り気ではなかったといいます。しかし、モデルの女性が帽子をとり、その美しい髪を見せると、依頼を引き受けることにしたそうです。
――黒髪と純白のドレスの対比が美しいですよね?!
武笠:ポーズをとる際に女性が身に着けた白いサテンのドレスを見ると、ルノワールはその美しさにとても喜んだと伝えられています。ドレスの艶やかな光沢ある質感が見事に描き出されている点は、本作の大きな見どころとなっています。
オススメ作品3:スタンラン《猫と一緒の母と子》
――最後は、スタンラン(1859-1923)の作品ですね。日本だと、あんまり聞きなれない名前ですが、どんな作家なんですか?
武笠:テオフィル=アレクサンドル・スタンランはベル・エポックを代表する画家であり、ポスターの原画や新聞、雑誌の挿絵を制作したことでも知られています。プチ・パレ美術館の創設者であるオスカー・ゲーズ氏はスタンランの作品を好んで数多く蒐集しています。
――ゲーズ氏は、スタンランのどんな点が気に入っていたのですか?
武笠:ゲーズ氏は、スタンランが、パリの華やかな側面だけではなく、モンマルトルの貧しい人々を擁護する立場から彼らの生活を描き上げ、社会風刺画を手掛けた点を評価していました。
――では、この作品の見どころを教えていただけますか?
武笠:本作は、チョコレートと紅茶を扱う商店のポスターの原画として描かれました。ティー・カップを持つのは、スタンランの妻エミリーで、ホット・チョコレートのカップとスプーンを手にしているのは、娘のコレットです。
――手前に描かれた猫は、凄く個性的な風貌ですよね?
武笠:じっとカップを見つめる猫の後姿が大きく描かれていますよね。スタンランは「シャ・ノワール(黒猫の意味)」というキャバレーのために、黒猫を描いたポスターを制作して有名になったこともあり、猫を好んで絵の題材に取り上げているんです。
最後に
いよいよ7月13日からスタートするプチ・パレ美術館展。最後に、武笠学芸員から楽活読者のためにコメントをいただきました。
スイス プチ・パレ美術館はフランス近代絵画のコレクションを豊富に収蔵しています。しかし、創設者であるオスカー・ゲーズ氏が1998年に逝去してから今日まで美術館自体は休館しており、本展覧会は日本でプチ・パレ美術館の収蔵作品をまとまった形で見ることのできる貴重な機会です。素敵な作品がスイス、ジュネーヴに帰る前に、ぜひ東京でご鑑賞ください。
また、当館ではフランス近代絵画のコレクションを収蔵しているため、その中からプチ・パレ美術館展に出品されているドニ、ルノワール、藤田嗣治、ユトリロらによる作品を会場の最後にまとめて展示します。同じ画家による複数の作品をご覧いただくことで、彼らの画業について、よりイメージを膨らませていただけると思います。
ルノワールやユトリロなど、有名な巨匠の作品はもちろん、独自の美意識に基づいて選ばれた知られざる作家たちの傑作まで、オスカー・ゲーズ氏が約40年にわたって蒐集した珠玉のコレクション。同館の収蔵品展が日本で開催されるのは約30年ぶりのことです。ぜひ、あなただけのお気に入り作家を見つけてみてくださいね。
展覧会情報
会 期:2022年7月13日(水)~10月10日(月・祝)
会 場:SOMPO美術館(〒160-8338 東京都新宿区西新宿1-26-1)
休館日 :月曜日(ただし7月18日、9月19日、10月10日は開館)
開館時間:午前10時~午後6時(最終入館は午後5時30分まで)
公式HP:https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2021/petit-palais/