湯河原ワイド劇場Part1~サスペンスドラマに見る世相と新しい風

♪トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル~・・・(西村京太郎路線紹介BG)♪

東京駅を9時ちょうどに出発した特急踊り子3号は、途中、品川、川崎、横浜、大船、小田原に停まり、湯河原駅には10時13分に着く。車窓から見える相模湾が美しい、1時間13分の旅である。

・・・とは西村京太郎鉄道ミステリーの冒頭路線紹介になぞらえているが、このたびは氏の文言をお借りし、湯河原ワイド劇場の幕開けとした。舞台は神奈川県、湯河原町。みなさんは湯河原ときくと、どんなイメージをお持ちだろうか。熱海や箱根温泉はピンと来ても、「湯河原温泉?はて・・・??」となる方も珍しくないかもしれない。周辺の熱海や箱根、小田原といった観光地と比べると地味で何もないという声も多いが、あなどるなかれ、湯河原。じつはむしろそこにこそコアな魅力があることをご存じだろうか。

県境にして温泉街であるだけでなく、名だたる文豪たちに愛された街でもある湯河原。古来より万葉集にも詠まれ、夏目漱石芥川龍之介与謝野晶子国木田独歩など数々の文豪や画家たちが逗留し、この地で創作の筆を取った。近代では西村京太郎が終の棲家として湯河原を選んでいる。氏は、このまちの澄んだ空気感が気に入ったという。

サスペンスドラマの聖地にして文豪たちにも愛された当地には、どんな魅力が隠されているのだろうか。そしてなぜ文豪たちに愛されたのか。かねてより文豪たちを取り込んできた当地のふところに擁されるべく、今回は複数回に分け、その真髄に迫っていきたい。

万葉集に遡る湯治場起源

「足柄(あしがり)の土肥(とひ)の河内(かふち)に出(い)づる湯(ゆ)」とは万葉集巻十四に収められた一首であり、湯河原の湯治場起源とも言われている。鎌倉時代、現湯河原町・真鶴町一帯は相模国土肥郷(さがみのくに どいごうと呼ばれていたという。

この一帯を本拠としていたかつての武将が土肥 実平(どひ/どい さねひら)であり、湯河原の英雄として駅前には銅像が立つ。その生誕や死没の詳細については諸説あり今なお謎に包まれているが、平安時代末期~鎌倉時代初期ごろにかけての武将であり、源頼朝からの厚い信頼を得ていた。土肥実平は相模国南部から伊豆にかけて活躍した重鎮的存在であったほか、のちに関ヶ原の闘いで西軍から東軍への寝返りで有名な小早川秀秋を輩出した小早川氏の祖でもある。

湯河原の英雄土肥実平と妻の銅像。近くで拝見するとなかなかの迫力。2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」放映にあたり、この銅像を見るため湯河原に来たという人も少なからずいたようだ。
駅前から少し歩くと土肥ゾーン。
電柱の土肥住所表記。駅前一帯は土肥なのである。周辺にはちぼりスイーツファクトリーからの焼き立てクッキーなど、洋菓子の薫りがふわ~っと漂う。
旧門川村名主 富岡家跡の石碑。湯河原海浜公園のあたりは門川(もんがわ)といい、近隣の駐車場の片すみには土肥の末裔までもが。日本中を測量して回り、この国の地図を実測で完成させた伊能忠敬が測量の際同家で昼食をとった折、翌日に成願寺の土肥実平墓地を参拝したと伝える。
成願寺はここから再び駅の方へ向かい、およそ1.3km、徒歩20分ほど。

不景気風の下で。湯河原に吹き込む新しい風。

古来より万葉集に詠まれるほど、温泉街として旧い歴史と誇りをもつ湯河原。関東の奥座敷とも呼ばれ、明治~大正、昭和初期にかけては東京からの近さからも老舗旅館が建ち並んだ。文人墨客たちが逗留に訪れたのもこのころである。

日本中が観光熱を巻き起こした戦後の高度経済成長期は、大型観光バスで訪れる会社や組合などの団体客で賑わった歴史ももつ湯河原。そのふところである秘境・奥湯河原へつづく藤木川沿いには「源泉郷」というバス停があるほど源泉ゆたかな場所である。国内でも有数の湯治場として栄え、湯河原独自の温泉街文化を築いてきた。

源泉郷だ源泉郷。ちなみにここまでの道中バス停には「理想郷」もある。

しかしながらその延長線上にある近年では苦境がつづき、バブル経済が崩壊した昭和終わりごろから状況は一変。これまでと打って変わって人の経済活動が全国的に停滞し、湯河原を訪れる観光客が激減したのである。観光業界でも団体旅行は少なくなり、個人旅行へと軸足が移っていったことで宿泊客が減っていった。

不景気にコロナ禍。時代の移ろいの中、街からいかに賑わいを取り戻すかに心砕いてきた隣接の熱海市ともども、観光業を経済主軸とする湯河原のような街は全国のどこよりも強くダメージを受けたのである。

不景気で旅行客が来なくなり、そうこうしているうちにホテルや旅館といった宿泊施設は次々に老朽化。湯河原の宿泊業界は、どんどん進む宿泊施設の老朽化→魅力が減少→ますます宿泊客離れが進む→経営する側には負債が重くのしかかるばかりという、負のループに喘いできた。その打撃は切実で、一定の常連客がいたもののコロナ打撃をうけ、創業100年近くの歴史をもつ老舗温泉旅館「源泉ゆ宿高すぎ」も事業停止になったほどだった。神奈川・湯河原の旅館で初のコロナ倒産となったことが分かっている。

バス停源泉郷から少し上ったところには駐車場「源泉境」。こちらは源泉「境」である。
周辺の旅館の看板にも「源泉境」の文字が見て取れる。

そうした苦境の中、湯河原に新しい風が吹き込んできた。2020年のコロナ禍以降、湯河原の老舗旅館が観光庁からの補助金を活用し、これを大きな後押しとして建物に現在のニーズも取り入れた大規模リニューアルをしたこともその一つであった。

今後の見通しが立たない苦境下、目先の経営で手いっぱい、先々を見据えた設備投資が困難のため進みあぐねていた宿泊業界は、前述の負のループ矢印のあとにまちの活性化につながる取り組みが続いたのである。

この取り組みはまちの観光課主導ということからまち全体に拡がり、湯河原に吹き込んできた新しい風としてまちの随所でその動きを垣間見ることができる。

ほっこり湯河原、ここに集結。駅舎に見る湯河原革命

リニューアル工事を終え、風情と木のぬくもりがセンスよく共存。湯河原に新しい風が吹き込んでいることは、まずこの駅舎からも感じ取れる。到着早々に新しい兆しを最初に感じられる駅舎である。

湯河原をよく知らないという方にも向け、まずは街の玄関であり顏である駅舎から見ていきたい。ザラン!!と大胆に上から降りそそぐようなデザインは斬新かつ開放的であたたかく、東海道の駅の中でも群を抜いてインパクト度が高い。駅前広場ともども、デザイン設計者は隈研吾建設都市設計事務所代表 隈研吾さん。隈研吾マジックによりおかげさまで駅に降り立った瞬間一気に温泉風情の世界へ引き込まれる。いやおうなしに到着者を別世界に引き込むこのパワーは圧倒的である。

2017年10月、駅前が整備され、同時に駅舎もリニューアル。湯河原らしさである優しさと温もりが大胆に盛り込まれ、屋根から光がさす明るい駅になった。さらにはその空間に湯河原資源である温泉の湯も引き入れられ、その湯気によって駅舎全体がいっそうやわらかく、温もりのあるものに仕上がっている。街と人をつなぐ素敵な湯河原仕掛けである。

屋根はもちろん幟に提灯と、みんなでいい仕事をし見事な風情をつくり出している。それにしても明るく開放的な駅になった。新鮮な朝陽も夕方の西日もあたたかく差し込み、夜も明るい。もはや革命である。
駅前広場にて、ゆがわらの手湯。足湯ならぬ手湯。これまたいい。湯河原からの最初のおもてなしである。温度は熱すぎず、ぬるすぎないちょうどいいお湯加減。
大きめの暖簾もいい味を出す。源泉のようにしなやかに流れるような書体もまたいい。

券売機とみどりの窓口にかかる大きめの暖簾もいい味を出し(暖簾がある駅もそうそうない)、温泉街風情は十分である。駅前広場の手湯も含め、ずっとそこにいたくなるような、訪れる人びとをあたたかく歓迎してくれる温もりはとても心地よく、ほっこり湯河原ここに集結である。初来訪の方はもちろん、しばらく湯河原はご無沙汰という方にも到着早々に新しい兆しを感じられる駅舎には違いない。

駅名の明朝体が一時期話題になったJR高輪ゲートウェイ駅を彷彿とさせるが、明朝体登場時期は湯河原の方が先である。

これらに加え、駅周辺には新しい湯河原を象徴するかのように今風のお店が点在するようになった。全国から人が駆けつけるベーカリー「ブレッド&サーカス」やクッキーバイキングで有名な「ちぼり湯河原スイーツファクトリー」などは記憶に新しい。駅からしばし離れ、奥湯河原へ伸びる県道75号沿いにはビールスタンドとして生まれ変わった古土産物店「ビールスタンドかどや  BEER STAND KADOYA」もまた新しい湯河原ファンを獲得している。

落合橋のほとりに建つビールスタンドかどや。湯河原で作られたクラフトビールのちょい飲みもできる。これまた万葉集に詠まれた千歳川沿いのため、BGMは川の瀬音ネイチャーサウンド。地ビール片手に天然サウンド、とは粋な湯河原風情である。

このように新しい風は確実に湯河原に吹き込んでおり、随所にその兆しを感じられる。とはいえそれでも周辺の小田原や箱根、熱海などと比べると地味で落ち着いており、街全体が渋さを放っている。これは決してネガティブポイントではなく、それどころかこの地味こそが湯河原のよさである。大きな温泉旅館やホテルがある箱根や熱海よりも小規模な旅館が集まっているからこそ醸し出される、人間的な趣に満ちているのだ。

それはここに逗留した文人たちや冒頭でも触れたような旧跡だけでなく、名も無き人びとや、ひいては街そのものが長いこと営んできた暮らしの息吹きのようなものとも言えるかもしれない。そこには素朴な人間らしさが宿っている。

源泉あふれる湯河原。湯河原温泉由来碑の隣に湧き出るのは「月の湯」。道中にはこのような手湯も点在する。寄り道も愉しみつつ、見かけた暁にはぜひ湯河原風情に触れておこう。湯河原資源である。ちなみにこちらも住所は余裕で土肥。
お湯の温度の方は・・・ぜひ、現地にて触れてみて下さい!

サスペンスドラマに見る世相

サスペンスドラマの聖地でもある湯河原。今回ミステリーご当地にあって、昨今のサスペンスドラマの兆しに着目したい。数々の歴代名作サスペンスドラマはいつの時代も世相を反映させてきた。サスペンスといえば温泉街はまさにその一丁目一番地。舞台に選ばれる典型的な場所として、湯河原もその一つである。

元々旅行のひとつにもそうそう行ってはいられない主婦層などにも向け、旅情を味わってもらう意図から作られた一面も持つサスペンスドラマ。ここ湯河原ももれなく舞台として取り上げ、お得意の旅情を盛り込んだ鉄道ミステリーの第一人者といえば西村京太郎だ。

生前に、氏ご自身も「人生は愛と友情と、そして裏切りとでできている」と話していたが、サスペンスドラマは大体が金銭や利権絡みのいざこざ、男女の感情のもつれや裏切りなどから何かしらの事件が起こる。登場人物たちの複雑な人間関係や思惑、心理描写、事件のカギを握る謎の人物なども絡んで動きつつ、謎や緊迫感、疑惑が行き来しながらストーリーが進んでいくのが常である。そして意外な展開を見せ、事件を追ういつものメインキャストたちの顔ぶれがありながらもある意味犯人が主人公であり、犯人の物語でもある。湯河原のような温泉街ともなると旅情とともにお決まりのお色気シーンが盛り込まれ、冒頭早々「キャーー!」といった悲鳴と殺害から始まったり男女の痴情のもつれなどを殺害の動機にしやすく、いかにもという設定だ。

そのときそのときの世相を常に脚本に反映させてきたサスペンスドラマ。社会的に不倫が流行ればもれなくドラマの中に反映され、まさに湯河原のような温泉街はお忍びで男女が逢瀬を重ねるには打ってつけのスポットとしてもサスペンスとの親和性が高かった。新聞の番組欄にはいつ見てもサスペンスドラマの文字が踊り、その時代に話題になったトレンド地や流行、世相はどの作品にもふんだんに盛り込まれた。旅情サスペンスともなると名所に名湯、ご当地グルメなどがテロップとともに映し出されるのが定番である。いつでも簡単で当たり前のように情報が手に入るいまのようなネットもなかった時代下、情報番組としての要素も持ち合わせたサスペンスドラマはそうして幅広い世代に親しまれ、お茶の間に浸透していった。

西村京太郎「熱海・湯河原殺人事件」。

さまざまな多様性がもとめられる時代へと移り変わる中、サスペンスドラマはタイトルのありようもまた時代を反映させてきた。サスペンスドラマのタイトルからめっきり消えてしまった京都や湯けむり何たらといった文言もその一つだ。西村京太郎の作品にも「戸津川警部 湯けむりの殺意」がある。

これら湯けむり系文言がなくなった背景には、ひと昔前よりもコンプライアンスが厳しくなったことにより女性の裸などのお色気シーンが出しづらくなった社会的変化などがある。そういえばみちのくもなくなった。

時代の移ろいの中、いつしか湯けむりそのものように消えてなくなってしまった文言ともいえる。いまや文言のみならず、テレビ局それぞれの事情からサスペンスドラマ自体がなくなりつつある。1977年(昭和52年)、サスペンスの先駆けとしてテレビ朝日が土曜ワイド劇場を放映して以来、どこの放送局もあれほどこぞって放映していたにもかかわらずである。

主要キャストたちの高齢化に、インドア系娯楽やネット動画配信サービスの普及などによる若者や中年層のテレビ離れ。めっきり地上波でやらなくなったサスペンスドラマもまた、苦境を乗り越えて新たに再生した湯河原同様、新しいものに変わっていかなければいけない時期をむかえている。

とはいえ温泉街自体の魅力がなくなったというわけではない。それは湯河原においても同じで、むしろ新たな新陳代謝を起こしながら街は着実に新しくなりつづけている。街中でも温泉街風情をとくに濃厚に放つゾーン「湯元通り」もまた、古くからの風情とともに新たな兆しを見せている。

ここですここ。湯河原駅からおよそ3kmほどの距離をバス(バス名確認)だと約10分、徒歩なら小一時間ほど。バスなら温泉場中央下車後歩いて少し下ってくるか、公園入口下車が便利。
湯元通りに到着。温泉街風情が濃厚に漂う。県境のため、川越えしたら向こう側は静岡県であり、熱海市である。千歳川は途中から名を変え、藤木川となる。
温泉風情を盛り上げる石畳の路地。Googleマップ検索では「湯河原温泉 湯元通り」と出ており、路地には石碑も立つ。わずか300mほどの路地だが、湯河原温泉発祥の地である。湯元通りゾーンではまちづくりの一環で路地を石畳にするとはどういうことか、官民で意味を踏まえた上で整備が進み、大正ロマンが復活。ここにも見受けられる官民一体である。
湯脈ゆたかな湯元通りゾーンには源泉がドッカンドッカン。温泉やぐらがある=源泉があるということで、路地から随所に見える温泉やぐらは源泉の目印。湯河原火山の基盤をなす湯ヶ島群層は藤木川・千歳川の河床沿いに露出し、湯河原温泉の大部分がこの層群の割れ目から湧き出ている。神奈川県温泉地学研究所の報告では、湯河原火山活動は約60万年前~40万年の間と推定され、今なお8か所の源泉がここに集結する。
そびえ立つ温泉やぐらからは湯けむり。湯けむりに隠された殺意、とは勝手に脳内展開している湯けむり旅情サスペンスである。自己流終着駅シリーズかもしれない。ともあれ太古の時代から脈打つ地球の鼓動、ここにあり。
川沿いのため、サスペンスドラマのワンシーンを彷彿とさせる赤い橋がいくつも続く。湯元通りゾーンのランドマーク的存在でもあり、サスペンスドラマではよくこういう橋の上で登場人物たちが思いのたけを吐露する。見た瞬間こういう所で登場人物がセリフ言うの好きだよなと瞬時に思わずにいられない赤い橋を見送る。
湯元通りの路地に建つ食事処かとう、つたや名産店。路地にはクラウドファンディングで資金を集め、老舗店がこのように新たに生まれ変わった姿を見せている。ネット資金でレトロモダンに再生。
その名も「湯探歩」(ゆたんぽ)。ネーミングセンス抜群極まりない。まちでは改修した旅館やお店が協力し、定期的にまち歩きやお宿めぐりといった新たなイベントも始まっている。開催にあたり駅前などに湯探歩の幟が立っている場合もあるため、見かけたらぜひご注目を。それにしても「湯探歩」とはよく言った。
廻転射的ふじむね。看板には「ふじむね遊技場」とある。未だこのような射的のお店が日本にあることに驚く。そしてこのお店までもが西村京太郎「熱海・湯河原殺人事件」にちゃんと出てくることはさらに驚く。作品文中には「湯河原温泉で、ただ一軒だけ残っている射的屋も、ここにあった」。現地に射的のお店はこのお店のみ。どう考えてもここしかない。

街の新陳代謝—自分だけの湯河原ワイド劇場になるとき—

旧くからの街並みに、老舗の再生、新規参入店、湯探歩のような取り組み、新たな湯河原ファン—。新旧がうまいこと混じりあう中で新たな新陳代謝が生まれ、今日も新しい湯河原をつくり出している。長い歴史の中、どこの街にも、ひいてはどこの国にも栄枯盛衰というものはあるが、官民一体となって苦境を乗り越えた湯河原は、まだこの地をよく知らない新しく訪れる人びとにも再生の光景を見せていた。

長い歳月の中、脈々と受け継いできたもののよさを皆で丁寧に発掘する営み。それは新しい湯河原の資源でもあり、今後の源泉とも言える。湯元通りに立つ温泉やぐらは滑車つきの掘削機が源泉を発掘しているが、息を吹き返すまちを見てはその掘削と今後の湯河原の源泉が重なった。このまちの温泉発祥地、小さな湯元通りゾーンから始まったまちづくり計画はその後エリアを拡大し、官民一体で温泉場全体の再生計画へと発展している。先を見据えたまち全体の活性化につながる取り組みは、どれも大事な一歩には違いないだろう。官民一体で協力しあうことがそのまま強力ひいては源泉となり得るべく、何と何を結びつけるかがカギだと感じた。今後の新たな源泉となるまちとしての次なる目標と歩みを、これからも見守っていきたい。

街の新陳代謝と、かねてよりずっとそこに根づいているからこそ源泉のようにじんわりと滲み出てくるような、目に見えない魅力。これに気づくことは自分だけの湯河原ワイド劇場かもしれない。探訪を通して土ワイ(土曜ワイド劇場)ならぬ湯ワイ(湯河原ワイド劇場)に変わるころ、幾多の苦境を乗り越えて今にいたる湯河原全体が違って見えてくるだろう。

温泉街としてだけではなく、ただの一回や一日ではとても味わいつくせない秘境湯河原である。このたびはシリーズで複数回に分け、湯河原ワイド劇場がさらに立体的なものになるべく、段階的にお伝えしていきたいと思っている。次回PartⅡへと続く。

詳細情報

店名ビールスタンドかどや BEER STAND KADOYA
住所神奈川県足柄下郡湯河原町宮上468
営業時間平日 14:00~21:30(L.O)
土曜・日曜・祝日 11:00~22:00(21:30 L.O)
いずれも22:00閉店
休日なし 
ホームページhttps://y-d-h.info/
湯河原温泉観光協会
ホームページhttps://www.yugawara.or.jp/
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