「大阪府立弥生文化博物館」は、卑弥呼と出会える博物館!日本で唯一の弥生文化ミュージアムで歴史を学ぶ

政府が「屋外でマスク不要」の見解を発表した翌週、大阪府和泉市にある大阪府立弥生文化博物館を訪れました。

全国で唯一の弥生文化全般を広く対象とする博物館で、弥生文化に関する資料と情報を収集・保存・研究・展示し、弥生文化に広く親しみ、学習できるミュージアムです。

電車のアクセスで最も便利なのはJR阪和線の信太山駅で、駅から徒歩10分ほど。
(JR大阪駅からは「関空紀州路快速」で鳳駅までが最速33分、鳳駅から信太山駅が3駅の6分です)

ミュージアムに着くとまだツツジの花が咲いていました(5月上旬が最も花がきれいかも?)

グランドピアノが印象的なエントランスホール。定期的に演奏会も開催される

館内に入ると正面がエントランスホールになっていて、グランドピアノが置いてありました。このホールでは月に1〜2回「やよいミュージアムコンサート」が開催されていて、なんと入館料のみで鑑賞できるのです。

「やよいミュージアムコンサート」は午後2時から約90分。座席数は70席で当日13時より受付先着順。

コンサートがない時は中央に「平成の銅鐸(滋賀県で出土した国内最大の銅鐸を現代技法で復元)」が置かれています。1階は、受付、ホール、サロン、ミュージアムショップ等となっていて、展示室はすべて2階にあります。

第1展示室 目で見る弥生文化

さっそく2階に上がるとマスクをした弥生人像がお出迎え!

タイムスリップするような入口にワクワク感のボルテージがアップ

弥生人の生活

第1展示室「目で見る弥生文化」の導入ゾーンでは弥生人の家族が皆さまをお迎えします。

弥生人は米だけでなく、貝や魚、イノシシ、シカ、タヌキ、そして犬も食べていた。まだ箸はなく、手で食べる。コメが足りなくなったらドングリなどの木の実を食べていた。

水や物を貯めておく壺、食べ物を煮炊きする甕(かめ)、食べ物を盛るつける高杯(たかつき)の当時よく使われた弥生土器セットの展示もありました。

実物大に復元した竪穴住居では、当時の暮らしがわかる解説がありました。

弥生人の家族が着ている服は貫頭衣(かんとうい)といい、30cmぐらいの幅の布2枚を縫い合わせた中南米の「ポンチョ」のような服です。

タッチパネルでは、弥生博の博物館キャラクター“館キャラ”のカイトとリュウさんが、大阪弁で漫才のように面白く解説してくれるので、小さなお子さまでも楽しみながら学べます。

その後は「①米つくりの始まり」「②新しい技法の誕生」「③ムラ・戦い・クニ」「④弥生人」「シンボルゾーン」「⑤交流」「⑥死とまつり」と7つのテーマゾーンで構成されています。

①米つくりの始まり

弥生時代とは、灌漑水田稲作が日本列島で始まった時代。

米つくりのルーツ(米作りの伝播のルート)、「米つくりの技術」の2つの小テーマで展示。

「春の水田」「秋の水田」の模型、石の剣や、石で作った木を削る斧など石器類、木製の鍬や鋤、水田で足の沈みを防ぐ下駄(田下駄)などが展示されていました。

②新しい技法の誕生

「鉄の威力」「鋳造の技術」「生活の中の技術」の小テーマで、日本列島の人々が初めて経験した技術革新を紹介。鉄の道具や武器は、破壊力・強度・耐久性などの点で、木や石のものより優れていました。

ただし、一気に鉄器が普及したわけではなく、600年〜700年間に及ぶ弥生時代から古墳時代にかけて、工具や武器や農具が少しずつ、石や木から鉄へと変わっていきました。

木に穴を開ける鉄器(鉄ノミ)やナイフ(鉄刃子)などもありました。

③ムラ・戦い・クニ

「戦い」「権力のシンボル」「卑弥呼の館」の小テーマのもと、戦争や社会の発展、権力の発展を扱ったゾーン。

「復元した卑弥呼の館」の大型模型には、卑弥呼の宮室、政所、倉庫群、環濠、物置櫓などのほか、大陸からの使者、裁きの様子、兵士、市の賑わいなどの風景が紹介されていました。

米、鉄、土地、水をめぐり戦いが起こり、やがてムラがまとまりクニが成立し、「王」が誕生。

身を守る戦士の木で作った甲(よろい)や盾(たて)、戦いで使う土の弾、石の弾、石の矢じり、鉄の剣などが展示されていました。

「戦争によって文明が発展してきた」なんて言葉がありますが、もう発展する必要がないほど発展した現代でも戦争が起こっている現実に悲しくなりました。

④弥生人

人骨のレプリカや、人面を描いた土器、弥生人の1年の図、縄紋人、弥生人、古墳人の身長比較などを展示。また、大阪府八尾市の亀井遺跡から出土した犬の骨をもとに復元した弥生犬「海渡(かいと)」の展示がありました。

弥生犬「海渡」は「館キャラ」のカイトのモデルで、柴犬を細長くしたような風貌でした。

月1回の連載でお届けしている「池袋絵意知の顔面学講座」。次回は、「縄文人の顔と弥生人の顔」をテーマにお送りします。

顔にまつわる豆知識、知っていると自分の顔もよくなって、仕事や恋愛、コミュニケーションにも活かせる話が満載。「顔面学講座」過去記事一覧はこちらから。

シンボルゾーン

卑弥呼の衣装の解説や邪馬台国の候補地(九州説や畿内説)、邪馬台国と卑弥呼についての解説、卑弥呼の宝石箱(復元品)、卑弥呼の食卓などがありました。

鏡を掲げる卑弥呼像(お顔の詳細は現地でご確認ください)

「卑弥呼と鏡の世界」「天上界を描く鏡」「卑弥呼と銅鏡」「『魏志倭人伝』に書かれた卑弥呼と邪馬台国の人々」「3世紀の東アジア情勢」「卑弥呼の時代の東アジア」など、20枚の鏡と卑弥呼ゆかりの品々を展示しています。

卑弥呼の食卓。真鯛の塩焼き、ハマグリとイイダコのワカメ汁、アワビの焼き物、玄米の炊き込みご飯など。現代からみても豪華な食事。

⑤交流

「列島内の交流」と「大陸との交流」の小テーマに分けて、海を越えての国際交流などについて解説。

東アジアの中での交流の図、貝輪の広がりの図、貝で作った指輪、石のペンダントトップなどの舶来品の展示がありました。国宝「漢委奴国王」の金印のレプリカもここにありました。

「漢委奴国王」の金印のレプリカ。※現物は福岡市博物館にあります。

この頃の「印」は紙に捺すものではなく、荷物や書簡を縛ったヒモなどを封印する粘土に捺すものだった。なので、今の「ハンコ」と違って文字が掘り込まれています(陰刻)。

⑥死とまつり

「弥生時代の墓」「ムラのまつり」「クニのまつり」の小テーマのもと、弥生人の観念の世界を探っています。

占いに使った動物の骨(イノシシの肩甲骨、シカの肩甲骨)、占いに使ったシカの角、まつりに使った石器、文様のある土器などを展示。近畿の組合式の木棺と北部九州の巨大な甕棺を実物で比較して、墓の形式の地域性も実感できます。

福岡県の藤崎遺跡から出土した土器の棺

第1展示室から出ると「さわれるコーナー」があり、手で触れることができるレプリカや本物の土器がありました。

第2展示室 池上曽根ワールド

この和泉市に弥生文化博物館があるのは、大阪府和泉市池上町を中心に広がる地域で弥生時代の遺跡が発見されたからで(池上曽根遺跡)、ここでは、池上曽根遺跡の出土品の土器や国内最大の大型井戸木枠(レプリカ)の展示がありました。

池上曽根遺跡で見つかった弥生時代の土器
弥生時代最大級の大型井戸木枠(レプリカ)

特別展示室では、企画展を開催

特別展示室では、季節によって企画展や特別展が開催され、私が訪れた時は、令和4年度春季企画展「とんぼ玉100人展 炎から生まれる小さないのち」が開催されていて、何千という「とんぼ玉(柄が入った小さなガラス玉のガラス工芸品)」の展示がありました。

※「とんぼ玉100人展」の開催期間は2022年6月19日(日)まで。

「とんぼ玉100人展」は写真撮影がNG。なので、ポスターで雰囲気を

1階にある図書コーナーでは、過去の特別展の図録なども閲覧できるようになっていました。

ミュージアムショップ

ミュージアムショップには、キーホルダーやしおり、ストラップ、アクセサリー、缶バッジ、豆はにわ(人、馬、犬、鳥、猪、鹿)、バッグなどたくさんのグッズが。

「国宝金印」の24金メッキ、原寸大レプリカ

私はこの原寸大レプリカでなく、金印スタンプと、こちらの「豆はにわ」を購入。

手作りのため1つ1つ微妙に表情が違う豆はにわ。私はこの2つを選びました。

史跡「池上曽根遺跡公園」

大阪府立弥生文化博物館から徒歩5分ほどの場所には、史跡池上曽根遺跡公園、池上曽根弥生情報館があり、2000年前の集落を再現した「野外復原ゾーン」には「いずみの高殿」「やよいの大井戸」もあります。

左が「いずみの高殿」。屋根は葦葺き・柱、桁、梁などの主要部材に和泉産ヒノキを使用。

さらに、史跡池上曽根遺跡公園から徒歩5分ほどの場所には、池上曽根弥生学習館があり、弥生時代のものづくりを体験でき、1日をかけて広く深く弥生時代を学ぶことができます。

大阪府立弥生文化博物館・基本情報

所在地 :大阪府和泉市池上町四丁目8-27
・JR阪和線「信太山(しのだやま)」駅下車、西へ約600m
・南海本線「松ノ浜」駅下車、東へ約1.5km
開館時間:午前9時30分~午後5時(ただし入館は午後4時30分まで)
休館日 :毎週月曜日(休日の場合は開館し、翌火曜日が休館)、年末年始
公式HP:http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/

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