六本木ヒルズにある森美術館で、フランス・パリ出身のアーティスト、ルイーズ・ブルジョワの回顧展、「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」が2025年1月19日(日)まで、開催されています。六本木ヒルズの広場にあるクモの巨大な彫刻作品の作者としても知られ、日本では27年ぶり、また国内最大規模の個展となるこの展覧会では、100点を超える作品群で彼女の活動を振り返ります。
ルイーズ・ブルジョワは、20世紀を代表するアーティストの一人。70年にも及ぶキャリアの中で、インスタレーション、彫刻、ドローイングなど多様な手法を用い、男性と女性、受動と能動、具象と抽象、意識と無意識といった対立するテーマを探求しました。ブルジョワは、これらの対極的な概念を独自の造形力によって見事に表現し、唯一無二の作品を生み出しました。
1911年、パリで生まれたルイーズ・ブルジョワは、1932年にソルボンヌ大学数学科に入学。しかし、母の死による深い悲しみから、アーティストとしての道を志すようになります。その後、ソルボンヌ大学やパリ国立高等美術学校で学びながら、フェルナン・レジェをはじめとする著名なアーティストのスタジオに通い、芸術の基礎を磨きました。
1938年、アメリカ人美術史家ロバート・ゴールドウォーターとの結婚を機にニューヨークへ移住し、1940年代半ばから作品を発表し始めたルイーズ・ブルジョワ。1982年には、女性彫刻家として初めてニューヨーク近代美術館で大規模な個展を開催。その後も1989年にフランクフルト芸術協会でヨーロッパで初の個展、1993年にはベネチア・ビエンナーレでアメリカ館代表を務めるなど、世界的に活躍しました。彼女の個展はパリ(1995年)、横浜(1997年)、ロンドン(2000年)などでも開催され、2010年の逝去後も、世界中の主要美術館で開催され、その業績は評価され続けています。
家族との関係と感情を描いた3つの章で構成
創作の出発点となったのは、家族や親しい人々との関わり、そしてそれに伴う彼女自身の感情です。このテーマに基づき、展覧会は3つの章に分かれています。
第1章「私を見捨てないで」では、母との関係に焦点を当てています。第2章「地獄から帰ってきたところ」では、父との葛藤やその関係性がテーマです。そして、第3章「青空の修復」では、家族や親しい人々との関係を癒し、心を解放する過程が描かれています。
また、初期の絵画や彫刻作品が見どころの一つとなっています。さらに、父を亡くした後に制作された抽象的な彫刻シリーズは、各章の間に挟む形でコラムとして展示され、彼女の創作の変遷をより深く知ることができます。各セクションごとに見どころをご紹介していきます。
第1章 私を見捨てないで➖母との関係を描く
彼女は一生を通じて、「見捨てられることへの恐怖」と向き合い続けました。その背景には、彼女が20歳のときに母親を亡くし、深い喪失感を抱えた経験があります。この影響から、自殺を試みたこともありましたが、そのたびに父親が彼女を救ったというエピソードも残っています。
また、彼女の作品には、母親としての複雑な感情が反映されています。たとえば、《かまえる蜘蛛》(2003年)では、敵や獲物に向かっていまにも襲いかかろうとする姿が描かれており、強さと母親としての役割が迫力ある形で表現されています。
また、《良い母》(2003年)では、2つの乳房から伸びる白い5本の糸が巻かれた形で、フランスの家族とニューヨークで築いた家族を象徴しています。この作品には、彼女が家族に対して抱いていた惜しみない愛情が込められており、すべてを捧げるというテーマが力強く表現されています。
コラム1 堕ちた女—初期の絵画と彫刻
1938年、彼女はアメリカ人美術史家ロバート・ゴールドウォーターと結婚し、ニューヨークに移り住みました。この時期に制作された絵画や彫刻作品が展示されています。彼女の作品では、女性と家が一体となったテーマが繰り返し描かれています。
1960年代のアメリカでは、フェミニズム運動の中で「家」が女性を守る場であると同時に、女性を閉じ込める場としても再解釈されました。この考えに触発され、彼女は「ファム・メゾン(女・家)」シリーズを制作しました。また、フランスに残した家族や友人、自分自身をモデルにした「ペルソナージュ」シリーズも手がけています。この作品群には、ニューヨークの摩天楼から得たインスピレーションが反映されています。
第2章 地獄から帰ってきたところ➖父との葛藤を描く
彼女は父の死後、10年以上もの間、精神分析に専念する時期があり、その間、創作活動が一時的に停滞しました。しかし、その後再開した作品では、罪悪感や嫉妬といったネガティブな感情が芸術として昇華されています。
たとえば、《どうしてそんなに遠くまで逃げたの》(1999年)という作品では、逃げるという行為に込められた距離感や孤独感が描かれる一方で、舌を出すという仕草からは、再び繋がりを求める気持ちが伝わってきます。このように、彼女の作品は複雑な感情を巧みに表現しています。
1974年の作品《父の破壊》(1974年)では、父親に対する激しい葛藤が劇場のような構図で表現されています。作品には、耐えきれなくなった子供と母親が父を解体して食する場面が描かれており、彼女の内面的な闘いが強烈な形で示されています。フランスのラスコー洞窟を訪れた経験が《父の破壊》に影響を与えたのではないかと考えられます。この作品には洞窟を思わせる空間的なイメージが感じられます。
さらに、《シュレッダー》(1983年)という作品では、嫉妬心という人間のネガティブな感情が形となっています。タイトルが示すように、人を轢き殺してしまいそうな迫力を持つこの作品も、彼女の感情を大胆に表現した一例です。
この章の最後を飾るのは、展覧会の副題にもなっている作品、《無題(地獄から帰ってきたところ)》(1996年)です。この作品は、ハンカチに刺繍された独特な形式で、彼女の人生や内面の感情を象徴的に表現しています。
コラム2 無意識の風景—1960年代の彫刻
このコラムのタイトルにもなっている《無意識の風景》(1967-1968年)という作品は、1967年から68年に制作されました。この作品は、コラム1の作品とは異なり、抽象的な形で有機的なものを表現しています。
この時期、彼女は「痛みを感じたら身を引いて身を守る」という信念を作品に反映し、外界から隔絶された「身を守る空間」の重要性をテーマにした作品を多く制作しました。特に、大理石を使用した彫刻作品は注目に値します。これらは、当時ミニマリズムが主流だった中で、あえてクラシカルな素材に挑戦した点が特徴的で、ブルジョワの独自性を際立たせています。
第3章 青空の修復➖そして、修復と解放
この章では、過去と現在のバランスを保ちながら心の平安を求める彼女の姿が描かれています。タイトルにも使われている作品《青空の修復》(1999年)には、彼女の家族に対する深い思いが込められています。この章の展示には、心の傷や壊れてしまった家族関係を修復しようとする心理が表現されています。
また、1990年代になると、彼女は幼少期から大切にしていた家や思い出の品を作品に取り込み、それを時を超えた記憶の象徴として表現しました。たとえば、クモはブルジョワの母親と彼女自身の両方を象徴する重要なモチーフです。彼女は自身の思い出や記憶を視覚化し、過去と現在を結びつける深い物語を紡ぎ出しました。
第3章の最後を飾る作品《トピアリーIV》(1999年)は、樹木を模した彫刻で、右足のない松葉杖を持つ人物像が特徴的です。この像は右肩に傷を負いながらも、ビーズの青い房が実り、その姿が観る者に強い印象を与えます。
彼女は人生を通じて、苦しみやトラウマと向き合い続けました。たとえ心の傷が完全に癒えないとしても、それを芸術に昇華することで自身の感情と折り合いをつけていました。98歳でその生涯を閉じるまで、彼女は自身の内面や記憶を深く探求し、作品として表現し続けたのです。
さいごに
本展覧会では、彼女の代表作《無題(地獄から帰ってきたところ)》(1996年)や《かまえる蜘蛛》(2003年)、《トピアリーIV》(1999年)など、家族との関係や記憶をテーマにした作品を展示。母への深い思いや、見捨てられる恐怖と向き合った姿が作品に込められています。
特に、家や思い出の品を取り入れたインスタレーションや、フランスとニューヨークでの生活を象徴する作品は必見です。ブルジョワが苦しみやトラウマをどう芸術に昇華したのか、その深い物語に触れられる貴重な展覧会となっています。
展覧会情報
展覧会名 | ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ |
会期 | 2024年9月25日(水)~2025年1月19日(日) |
会場 | 森美術館 |
開館時間 | 10:00-22:00 (火曜日のみ17:00まで) *入館は閉館時間の30分前まで *ただし、12月31日(火)は22:00まで |
休館日 | 会期中無休 |
入館料 | [平日]一般 2,000 円(1,800 円)、子供(中学生以下)無料 [土・日・休日]一般 2,200 円(2,000 円)、子供(中学生以下)無料 他 ※( )料金は専用オンラインサイトでの購入価格 ※事前予約制(日時指定券)を導入。 専用オンラインサイトから「日時指定券」の購入が可能。 ※当日、日時指定枠に空きがある場合は、事前予約なしで入館可能 |
展覧会ウェブサイト | https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/bourgeois/ |
美術館ウェブサイト | https://www.mori.art.museum/ |