![CVセバスチャンのハチャメチャ?な人生日誌 ー エピソード3](https://rakukatsu.jp/wp-content/uploads/2024/03/d6137ca1ff0b8e23e59070d406cb6c7b.jpeg)
ここでのお話は、はちゃめちゃな自分が、今まで経験来てきたことを日誌形式と、それに纏わる、四方山話を通して、私的な人生観、果ては死生観について書いて行こうと思う。前提として僕は運命論者では無い。宿命は3つ有る。それは、貴方が何処の国のどんな両親から生まれて来る事を選べない。そして老い。死。それが3つの宿命だ。僕はそう思う。運命は偶然の重なり合いに過ぎない。
世にいう運命の人などは単なる思い込み。ビルの屋上から枯葉を一枚落としたとする。その枯葉がどのように落ちて行くかは、スパコン富嶽を使っても解明出来ないという。偶然の重なり合いは現代科学でも太刀打ち出来ないのだ。運命という概念は不合理な状況などで自分に言い聞かせる割り切りに向いているのは確かだが。
エピソード3は、エピソード2に続き、釣りに纏わるよもやま話である。
最高の人生の終わらせ方
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下田、横根島や石取根の渡し船。伊豆の秘境!田牛(とうじ)の喜一丸に通っていた時があった。当時は先代の船長と息子さんが2人で渡していた。今は3代目で全国でも珍しい女性船長。初代の老船長には本当にいろいろ教わったものだ。
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朝ごはんがアジの干物と卵かけご飯、味噌汁が最高に美味くおひつはいつも空になるまで食べたものだ。
横根とは灯台のある神子元島の手前左、右手前は石取り根がある。横根は横に寝ているような島姿からそう呼ばれる。石取根は江戸時代、良質な石を切りだしていたのでそう呼ばれているそうだ。伊豆石と呼ばれ江戸城の石垣にも使われたほどの名石だ。正確に切り出せれたため、他のごつごつした沖磯とは全く異なる景観が異様にダイナミックだ。
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田牛(とうじ)は実に小さい集落で、雑貨屋さんが一軒あるのみ。有名な直径50mほどの天窓が広がる異空間洞窟。(龍宮窟)とサンドスキー場が有名だが。。。
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洞窟を見下ろすと、ハート型の地形が出現!人気のハート型の為、愛の象徴とされるハートスポットとして特に若いカップルが多いかも、しかしそんなに混んではいない。
龍宮神社(別名、龍王社)があり、その丘の上からは、東は伊豆半島の爪木崎、西は石廊崎までが見える。宮崎駿監督スタジオジブリの「紅の豚」の主人公ポルコロッソの隠れ家のモデルになったとも。夜は洞窟内から2個目のハートが満天の星と共に。
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龍宮窟から、たった2mしか離れていない、田牛の海水浴場までは観光客は来ない。どん深でごろた石で少し危険だからかも知れない。
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僕は台風が近づくたびに、平日毎週3日間くらい、会社を社員に任せ、釣り道具とサーフードを持って田牛に行っていたがアマチュア向きではない。波がある時は波乗り、無い時は釣り三昧。なんとも優雅な頃だった。もちろん、平日のファッションデザインの仕事は徹夜が多かったが。
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田牛の港は閑散としていて釣り客くらいしか見かけろことはない。国道から田牛の集落にいくルートは2つある。
1つは大浜から高級会員制のリゾートホテルがある碁石が浜を通る道。もう1つは旧道で江戸時代の手彫りのトンネルを抜け、山中の険しい獣道を抜ける異界の道。
僕は後者の獣道の方が好きだ。なぜか欧米人の別荘が沢山あるのも面白い。外国人が好みそうな風情なのだ。
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トンネルが無かった頃の西伊豆、南伊豆の小さな集落は船で隣の集落に行っていたと聞き及んでいる。この素堀りのトンネルを抜けると険しい山の獣道を抜けて田牛へと繋がる。
PhotbyC.V.Sebastian2020
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喜一丸の老船長曰く、田牛のさらに南奥山を超えた磯にドイツ人が磯の波打ち際に建てたという豪邸を見に行ったが、途中から道が無いので諦めた。多分、船で行き来しているのだろう。
夜明け前、喜一丸に乗り込み2人で渡船して暗い内に島に上がった。本場と呼ばれる高台に重い荷物を背負ってコマセをバケツに持ち、崖を超え稲荷下が見える位置に陣取った。私は石鯛(底物)とメジナ、イサキの2刀流。
渡船の釣りはハードである。いつ何が起こるか分からない。突然のオバケ(高波)海への落下。突然の強風。本当にサバイバルである。下田の沖磯は潮が早いので落ちたら最後だ。自分達の持ち物とバイオリズム、そして気力と体力だけがすべてだ。飲みものや食べものなど忘れたらえらいことになる。
夜明け前に喜一丸で横根の本場というポイントに陣取った僕達の隣に7~80歳位の老人が息子と釣りに来ていた。
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さして気にも止める事も無く午前中が過ぎて行った。
天気は晴天、風も微風、波を穏やか釣果もボツボツだった。
そろそろ腹が減ったので弁当を食べ出した。岩超しに隣のじいさま親子を見るとやはりにぎり飯を食べだしていた。
弁当を半分くらい食べた時、ひょいと隣のじいさまを見たら、にぎり飯を持ったまま斜めになり座ったまま動かない。。
息子が青ざめている。
なにか変だな?と思って見ていたらじいさま息していないじゃないか。
息子が慌てているので大声で話した、なんとか迎えに来て貰わないと
手遅れになる。
私は携帯を持っていたが当時のガラ系では島まで電波とどかない。
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そしてアナログな行動に私達3人は出たのだった。救命ベストを裏側のオレンジ色にして、竿やタモ柄の先につけ、とにかくベストを振った。その時、本場には私達しか居なかったのだ。
振り続けること、30分。タイミング良く、近くを魚船が通った。大分遠い位置だったが、気がついてくれた。
本当に漁師は遠目が効く。常人では気づかないほど、遠い位置だったのに。まあ漁師が遠目効かなければ生活に関わるし、小さい頃から海に出ているので当たり前といえば当たり前。
そして喜一丸に無線で知らせてくれた。その時の安堵感は忘れられない。
15分後くらいに喜一丸がすっ飛んで、迎えに来たので息子が父親を背負い、親子は田牛に帰った。
その後、終了時間まで僕達は釣りをし、帰りの喜一丸の船中で親子の話を聞いた。
詳しくは分からないが、心臓麻痺か脳梗塞、脳溢血、何かだったらしい。処置が遅れたため、病院に運ばれたが助からなかったそうだ。
僕は友人に話した。自分の最後を自分の一番好きな場所で自分の一番好きな釣りをしながら迎えられるのは、有る意味一番幸せな死に方だよな。
それを聞いていた老船長も涙まじりでうなづいていたのが忘れられない。こんな事もあるんだ。海には。最高の人生の終わらせ方だ。
死は避けられない三つの宿命の一つ。人は生まれ、老いて、死ぬ。
以下からの冒頭にこの言葉をあえて入れよう。
もしある人が自分の不幸な出来事について話したら、そこには何か楽みがあると思って差し支えない。 なぜならば、本当に惨めさだけしかないとしたら、その人はそんなことを口にしないだろうから
サミュエル・ジョンソン
僕は50代で大腸の人生最大の難病を味わった。腸の炎症で突然の炎症の高熱。町や駅で倒れて担架で運ばれることもしばしば。道や駅で倒れて蠢いていると人って意外に冷たいものだ。50人に1人くらいかな?「大丈夫ですか?」と声かけてくれるのは。
そこ頃は、C型肝炎も肝硬変寸前。激痛には鎮痛剤も効かない。もうどうでも良いと思って最強の痛み止めのボルタレンを人の4倍飲んだ。それでも効かない時はボルタレン座薬を使った。病に寄る激痛は人格さえ奪ってしまう。貧困や金銭のトラブルのしかり。心が折れそうになる、しかし無理して強くなる必要は無い。弱いなら弱いままで良いのだろうよ。
歩くことも出来ない状態で手術出来る病院を探し、這うようにして4軒目。やっと見つけた北里大学病院で大腸と膀胱の先生二人がかりで12時間半のオペをしたのが58歳。目が覚めると体中管だらけで人口肛門になっていた。長く難病を患い、誤診、誤診で手遅れになり、激痛に悩まされ、オペをしに入院するものの、うちでは出来ないと、たらい回しの繰り返し、車椅子生活の末に、たまたまネットで北里大学病院でその病気の権威の名医を見つけ、12時間半の大手術の末、麻酔から目覚めたら人工肛門に。開腹してみたら、ぐちゃぐちゃで手の施し用がなかったそうだ。先生がしたオペの中でも5本指に入る、大腸と膀胱の権威2人がかりで12時間半の大手術だったという。危なく小用のストーマもつけるかもと言われていたがそれは免れた。
ついでにC型肝炎もインターフェロンで直してしまおうとお願いしたが、精神科のデータが悪いため、政府の補助が受けられず、高額で諦めた。そのC型肝炎も肝硬変の一歩手前に新薬の飲み薬(ハーボニー)C型肝炎が開発され、2017年に政府の多大な補助を受けて63歳でまぁまぁの回復をみた。ウィルスが消えただけで硬くなった肝臓は、元には戻らないが。
3日に1回、保険の効かない高額なストーマ器具類の付け替え洗浄、筋肉がないのでつけ替え中でも、勝手に糞が噴き出す。おかげで僕の部屋は糞だらけであった。ニラとかが人工肛門に詰まったり、装着洗浄は何時間もかかるは当たり前。まともに友達と約束も出来ない。次々と友達も去り、最後の1人の女性に見放された時、「あぁ、これが本当の孤独というものなのか?」という実感を肌で感じた時。立ち直れたのはその孤独のおかげだ。他人への依存心がなくなり、他人に期待しなくなった。
他人に依存して己の人生を全うできる訳がない。人生とは自分自身の孤独の中に見出すものだ。誰かに依存して幸せにしてもらいたいなんぞ、本当の人生ではない。砂上の楼閣だ。
2年の人工肛門生活は先生の腕が良かったのだろう。人工肛門閉鎖手術をして終止符を打てた。すでに還暦だった。100キロあった体重も60キロ。肋が浮くほど痩せこけた。
この空白の時間を、失われた空白の10年と僕は呼んでいる。
人口肛門閉鎖手術をしてから失われた10年を取り戻すかのようにパワフルになった。自分でも信じられないくらい力が全身にみなぎり、あらゆるジャンルのダンスにのめりこんだのだ。100キロあった体重は肋がうくほど痩せ細っていたのに。。その驚愕のエネルギーはなぜか、閉鎖手術からコロナ大流行までの5年間しかもたなかった。
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しかし、人工肛門ってもっとかっこいいメカぽいものだと思っていたが、お腹から飛び出した梅干しみたいにグロいじゃないか?毎日みてるとだんだん可愛く感じてくるのが不思議だ。
人口肛門時代、友人など誰もいない。1分1秒1日が長く、時間が長く遅く感じる。発病からストーマ装着時の10年余。このアニメが僕に生きる勇気を与えてくれた。『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズの第2部「戦闘潮流』は、今の僕には似合わない、徹底した人間讃歌の物語だ。人がドラマや映画に感動するのは現実ではありえない架空の作り話、もしくは自分には出来ない行動を映画の主人公が演じるからだ。僕は自己犠牲に涙することが多い。
僕の現実にはありえないからなぁ。感情移入すると幻想にどっぷりとひたり多幸感も得られる。それはドラッグに近いのだろう。
嘘だとわかっていても、そうあってほしいと思う作り話に魅入られてしまう。人の心は意外に単純で身勝手なものだなぁ。
まぁ、そうでないと、映画も小説なり立たないだろうし、夢を売る他の産業も然りだからね。
このジョジョの主題歌「ブラッディストリーム」を後輩とシンクロでフリーチャチャ(横浜発祥のソウルチャチャ)と呼ばれるステップで踊ったのはコロナ緊急事態宣言の少し前。オストメイト時代の僕を精神の冥界の淵から救ってくれたこの曲で踊ることが出来た感動は一生忘れられないほど。何かを振り切れた感があったからだ。
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でも齢を重ね古稀を目の前にして、振り返ると、ふと思うことがある。今までの数奇な経験からか?
自分の死生観が全く変わったのだ。東南アジア、アメリカ、ヨーロッパと世界中を渡り歩いて仕事した僕は、3回倒産し、4回めげずに再起し、起業したが、成功しそうになると、なぜかうまくいかなくなる。私的には離婚。家族もいなくなり、自分の死や他人の死、世の中の出来事にあまり反応しなくなったのはいつ頃からだろうか?。多分、つい最近だと思う。
だから今はもうジョジョのアニメを見ても、昔のようには感動しなくなった。気楽な暇潰しにはよいが。。その時のバイオリズムに波長が合っていただけかもしれない。
今でも『オストメイト設備あります』の文言が書かれたトイレに行くと当時を鮮明に思います。しかし、こんな設備ではお粗末すぎて話にならない。
今でもオストメイトの方達は大勢いる。僕には気持ちが痛いほどわかる。身体の障害はわかりやすいが、内因性の障害は見た目ではわからない。
ハートマークは大分、普及したがオストメイトマークはまだない。内因性障害のマークの開発。この問題は今後の人間社会全体に対する命題だろう。
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最近、オストメイトだった時の方が幸せだっだかもと思う時が多々ある。社会復帰して人間関係の煩わしさ。凡庸な欲望に悩まされることが、その頃は無かったからだ。健常者のように動けないのだから、全てあきめざるをえなく、孤独だが欲望も無いし、ストレスも無い。現代社会は息が詰って溺死しそうになることのほうが多い。
「そう、運命ね?なぜ、自分だけがこんな酷い目に遭わなきゃいけないんだ?」と誰でも思う時がある。こういう時、運命とは本当に便利な言葉だ。「運命だ。」それで割り切れるからだ。
何年か前に近所の町医者に道端であった。激痛が出始めの頃に診察してもらった町医者だ。先生は幽霊でも見るように驚いた表情で僕にこう言った。「君〜!!生きていたんだ!!」
先生曰く「私の所見ではもう助からないと思っていたし、暫く顔を見ないから、てっきり亡くなったとばかり思っていたけど、驚いたよ。良く助かったね。」と。「医者のくせになんてことを言うんだ。この野郎!」と私は思ったが、ブラックジョークとしてはかなり受けた。最後に先生はこう言った「あの時死んでもおかしく無いんだから、後はおまけの人生だよ。」
おまけの人生なら細かい事気にせずに気楽に生ききけれるだろう。
「おまけの人生」
なかなか面白い言葉で今だに心に残っている。
入院手術前に猛烈不安になり寺の坊さんや神社の神主さんを訪ねてしたが、すべて冷たく門前払い。たった1人だけ話を真剣に聞いてくれたのは、藤沢カソリック教会のウガンダ生まれの黒人神父さんだった。
彼は僕の話を聞くといきなり上半身裸になった。「もしかしてこれは、これやばい状況??」一瞬、同性愛者なのか?が頭をよぎったが、裸になった神父の肩から腰にかけて袈裟斬りの深い傷跡があったのだ。
黒人神父はそこを指さしてこう言った。「ウガンダは貧困で医学も何も遅れているから、麻酔なしで手術するのが当たり前だ。君は日本の最新の手術を受けられるのだろう?不安はわかるが君には2人の女性天使が見守っているから安心しなさい。」と名刺の裏に僕に贈る言葉をその場で書いてくれたのだ。長時間真摯に話を聞いてくれたその黒人神父さんの対応には感激した。
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その頃からあれほど好きで全国を巡って訪れるのが趣味だった寺院が好きでなくなってしまった。そして感情はコロナ渦で決定的になった。衆庶済世など夢物語?
たまたま、僕が訪れた時、巡り合わせが悪かったのかも知れないが。。。
コロナ退散で人気アニメ鬼滅の刃とコラボしたお守りを売り出した神社のニュースを聞いた時は違和感があったのは確かだ。まぁ人間の好き嫌いの感情って自分が得した気分になれるのは好き。自分が損した気持ちになるのは嫌い。損得感情。それだけのことだと思うが。。
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58歳で手術を受けたときは重病棟だった。隣の若い青年と仲良くなった。彼は余命わずか。がんのため、胃も腸も大部分を摘出してしまって内臓がほとんどなく食事もしんどそうだった。
僕はなぜ、彼が明るく振る舞えるのかが不思議なくらいだった。私が退院するときお守りとして持って来ていたルルドのマリア様の呼び鈴を彼にプレゼントした。
カソリックではルルドのマリア様は病気治癒の守り神だ。その後、通院していた僕は彼に会いたくて担当医面会を申し出たが、彼は別の病院に移送されたとのことしかわからなかった。担当医に聞くところ彼はそのお守りを異常に喜んでいたそうだ。もう一度会いたかったが移送先は教えて貰えなかった。多分、亡くなったのだろう。
病気はあがいた者勝ちという言葉は酷い糖尿病の後輩の男の言葉である。透析、透析でひどかった彼は中国まで腎臓を買いに行くとまでいっていたが、父親から腎臓を貰える事になり移植してくれる病院を探した.しかし3カ所は断られ、やっと女子医大で移植。今は透析もせず元気に暮らしていることだろう。まぁいずれしろ、僕も彼も、他の原因で死は免れないが、ひと時のおまけの人生は安寧に暮らせるだろうしね。
死とはどんなものか?死の定義は脳死だと僕は思う。心臓が止まっても数分間、脳は生きていて色々妄想を見る。稀に蘇生した人が冥土を見てきたと言われているには、心肺停止になっても脳が停止してないからに違いないだろう。これまでの人生の走馬灯を見たも、同じこと。脳死するまでの数秒間だろう。通常1秒から15秒といわれている。
だが、今の僕は確信を持って言える。あの全身麻酔と同じだ。夢も見ず、記憶も無い。無の世界。多分自分が死んだことすら気づかないだろうと。友人に孤独死を異常に怖がる人がいるが、死んだことにも気づかないのなら、恐怖を感じる必要はないのに。僕には理解できない。死生感の違いだ。
自分が死んでも死んだことも分からないのなら、生きてる間にハチャメチャな、楽しくオールジャンルのディスコ生前葬をやろうと思い立ったのは、2022年の秋のことだった。
半年がかりで企画。自らDJをし、神父やシスターのコスプレで踊り、沢山のDJやミージャンを呼び、スタジオの内装を教会に大改造し、生花に縁取られた、大きいモニターに遺影を写した。去年2023年3月決行に漕ぎつけた。ロックミュージシャン、社交ダンスからヒップホップ、さまざまなジャンルの方のご協力を得て、多いに盛り上がって大盛況だった。生前葬は一般的には染みがないので、香典はどうするの?とか、お悔やみの言葉はどうするの?戸惑う方も多々居たが、生前葬の場合花代とか長寿祝いというそうだ。
生前葬後、中には生前葬2はやらないのか?と冗談言う人もいるが、そりゃ詐欺だ。(笑)だから僕が死んでも葬式はしない。
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1分ちょいの尺だけで息が上がってしまう動きの早い動きとルーティーン。お客様のアンコールは無理。椅子にへたり込んでしまったが、アンコールが鳴り止まないので心臓止まってももういいやと思い2か回目。やり切ったが5分ほど動けなくなった。危ない。危ない。
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先述の釣り場でのお爺さんのように苦しまず、好きなことやりながら、ポックリも、病で悶え苦しんで苦しみ抜いて死ぬのも、どんな死に方でも良いと思う。思い込みや執着を捨て死ぬ時が来たら黙ってただ、死ぬだけ。それだけだ。
そんな最高?の人生の終わらせ方をする死生感も悪くはない。。人はみな、おんぎゃと生まれて、生きて、泣いて笑って死ぬ。人生は何処でどうなるかわからないから面白いのだ。そこが儚くも人生の面白いところ。
今までの長い人生で少し学んだ事がある。人生には一大事などなく、大切な事もない。人はみな同じ。己の思い込みと欲望を満たすことのみに生きている。ボランティアも慈善事業も殺人も強盗も同じこと。己の欲望を満たすだけ。そこに欲望に善悪などない。