CVセバスチャンのハチャメチャ?な人生日誌 ー エピソード1

ここでのお話は、はちゃめちゃな自分が、今まで経験してききたことを日誌形式と、それに纏わる、四方山話を通して、私的な人生観、果ては死生観について書いて行こうと思う。

前提として僕は運命論者ではない。宿命は3つある。

それは、貴方が何処の国のどんな両親から生まれて来ることを選べない。そして老い。死。それが3つの宿命だ。僕はそう思う。運命は偶然の重なり合いに過ぎない。

では、ツキとは何だろう?ツイて無い日はとことんツキが無い。僕は人生のバイオリズムとしか解釈出来ない。

今回はエピソード1「釣りの腕は立つが、まるでツイてない男とロマネコンティ」という話をしよう。

釣りの腕は立つが、まるでツイてない男とロマネコンティ

https://ameblo.jp/tosen15rou/entry-12832777178.html?frm_src=thumb_module

何十年も昔のこと。真冬に仲間6人と伊豆は中木から沖の孤島へ重五郎屋中木丸さんで、渡船した。大根島(ダイコン島)と言う島だ。有名なヒリゾ浜のすぐ近くの岩だけの孤島である。

重五郎屋中木丸さんも三代目、僕がお世話になって居たのは初代船長だった。時は情けを知らず、過ぎるものだ。

その頃は中木も小さな集落で、ヒリゾ浜など、一部の釣り人にしか知られて居ないアンダーグラウンドな浜。今では大勢の観光客が押し寄せる浜のすぐ近くに釣り人以外は訪れない、孤島、大根島(ダイコン島)がひっそりとある。

船長が「あそこの島は釣れるけど、サルの群れが、いるから気をつけろ。それからポイントの先端は岩海苔があるから滑るなよ。」と私達に警告して島へチャカ着け。(※渡船して船を岩場に乗り付けること)

平たい釣り場なので後ろの岩場に荷物を置いた。

https://ameblo.jp/tosen15rou/entry-12832777178.html?frm_src=thumb_module

曇天、気温5度、風北東強めの中、午前6時に釣りを始めて、2時間程経った頃、その友人が早飯しようと岩場のバッグから弁当を取り出した時、彼の竿に当りがあった。急いで竿に走り、大きなメジナをゲット!

大満足で弁当を食べようと岩場を振り返ると、サルが器用にバッグをあけて弁当をゲットしてるでは無いか!!

彼は頭に来て追いかける。子石を投げる。敵もサルもの。あざ笑うようにフンと言う顔で絶妙に一定の距離を取る。何回もの猿との戦いは彼の完敗だった。結局サルは自慢気に弁当を持ち去り、彼の見える所でこれ見よがしに食べはじめた。

一般的に、猿の知能は人間の3歳児から4歳児位。IQは哺乳類の中で約50位とされるらしい。ただ食べ物に執着し、学習能力が高いため、バッグ等は簡単に開けてしまうらしい。

彼の弁当は猿に盗まれて、何も食べられずにいたので、皆が少し弁当を彼にあげようと思っていた時。「すべるなよ!」と言われていた先端で彼は滑って真冬の海に落ちた。。。!!

仲間は唖然として凍りついて声も出ない。氷つく現象は、初めて戦場に出た兵士にも起こることらしい。ひき金を引こうとしても、指が凍りついたように動かない。

どんどん潮に流されて行く。必死で仲間の所へ戻ろうと泳ぐが着膨れし、長靴の着衣での泳ぎは一般人には無理である。訓練された自衛隊か軍隊なら別であろうが。。。

その時、僕だけががとっさに体が動いたのは何故だか分からないが、凍りついて微動だも出来ず動けない仲間に、「おい!!何かなげろ!!」と叫んだのだ。

そしてクーラーや水汲みバケツにロープを結んで、私は海に投げた。彼のせっかく釣った大きいメジナのクーラーも空にして投げた。当然、命のが大事だろう。

僕が何回か叫んだ後、仲間はやっと事態を把握し、自分達のクーラーをロープを結び、次々と海に投げ込んだ。5個程の長いロープ付きのクーラーが海の潮に乗った。彼は必死で泳ぎ、なんとか1個のクーラーにしがみ付いた。

仲間が引き上げようとするが、1本のロープでは上がらないのだ。途中で滑ってまた海に落ちてしまう。二本のロープではどうだ。そう。訓練を受けて居ない民間人は2本でなくては上がれない。2本のロープを左右、左右で手繰り、やっと彼は岩場に生還した。

しかし真冬の海に落ちてずぶ濡れ。寒さと空腹で震える彼を見て、可哀想に思い、仲間が「もう皆、陸に上がろうか?」「弁当少し食べるか?」と言ったがガンとして拒否し、空腹と寒さに震えながら一日釣りをした。超ガンコものである!!

今でこそ笑い話だが、着衣で海に落ちると言うことは死を意味する。しかし、助かって本当に良かった。もし彼が助からなくても幸せな一生だったんだな。齢を重ねた今の僕はそう思える。

そう、何故僕だけ凍りつかずに動けたのだろう?実は私の親父から誰かが海に落ちたらクーラーを投げろと教えられていたので、皆の様にフリーズせずに反射的に判断し動けたのだろう。父に感謝だ。

出典 https://ameblo.jp/tosen15rou/entry-12832777178.html?frm_src=thumb_module(船中から見た沖磯)

引用:https://www.facebook.com/groups/1032760736756235/?locale=ja_JP&paipv=0&eav=Afa2Sg0UWLzWq9IRJNSYf8exXVcqs9-W99k4RnwTuHb0jAX5nU35FBz3wPaCurYxkJk&_rdr
Photo by  C.V.Sebastian

こんな美しい海も一瞬で地獄となるのだ。ほんの一瞬で。海は本当に恐ろしい。恐ろしくも壮大だ。

しかし何故、釣りをすると大きい満足感があるのだろう?それは太古の狩猟民族の名残だと言われている。

人間の一番古い脳。延髄、別名トカゲの脳と言われる場所に関係があるらしい。狩猟をすることで、トカゲの脳が刺激され通常生活では得られない快楽が延髄を満たすからだそうだ。その延髄は爬虫類や昆虫にも存在し生命維持を司る部分。人間においては呼吸、心拍、消化器官、自律神経をコントロールする大切な部分である。

トカゲの脳が満たせれないと、自律神経失調症等に悩ませれることとなる。延髄は狩猟でなくとも、微妙な食こと、恋愛等でもバランスをとることが出来るが、肥満、失恋等を考えると危険性は大きいかも。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E9%AB%8

古今東西うつ病の文学者は多いが、代表的な作家は開高 健だろう。

彼の場合はうつ病(躁鬱混在型)であるが、うつ状態の時期と気分の高揚する時期に繰り返し襲われる。今は双極性障害ともいう。これは僕の持論だが、自律神経が著しくバランスを崩すと、うつ病等も発症する。僕自身も長年経験したからだ。

開高はの軽度の躁状態の時にはよく飲み、よく食べ、世界中を飛び回り、釣りをしたという。

開高の著書『オーパ! (集英社文庫)』は釣りの小説の最高傑作であるだろう。うつ病も決して何も産まない訳ではない。誰もが持つ不安のとう要素がテーマの文学も心に響くのだ。開高さんは後年うつ病で自殺したヘミングウェイとも共通する感覚があるのかも知れない。

「賢者は海を愛し、聖者は山を愛す」開高健。至極、納得である。

縁あって、1974年から彼は茅ヶ崎に居住していた。開高健記念館も茅ヶ崎にある。僕は何度か訪れて彼の書斎や居間、巨大魚の剥製等を写真に収めた。

Photo by  C.V.Sebastian(巨大魚の剥製がずらり)
Photo by  C.V.Sebastian(巨大魚の剥製がずらり)
Photo by  C.V.Sebastian

その頃、開高は地元茅ヶ崎の無茶苦茶汚くてびっくりするほど安い昭和の面影を色濃く残す、『ジンギスカン茅ヶ崎』という飲食店によく通っていた。

ここはメニューも凄く豊富でお肉も羊でけでは無く牛、豚、鳥、と揃っている。

(このお店は持ち込みもOK。特に安価で極上のテールスープはすぐに売り切れだ。メニューがデカデカと壁に貼られているが、その端に大きく水無料と記載されているのには驚きの店である。2000円もあれば満腹だろう。窓際の窓の下には開高健の写真が飾られている)

Photo by  C.V.Sebastian

僕も好きで何回も訪れているが、煙モクモク、油ベタベタで、匂いや油で汚れても良い服で行かないと、とんでも無いことになるので、そこは要注意なのだ。とにかく肉よりビールのが高いという地元の人気店。その店の肉のお味が恐ろしく美味くて安い。

実は有名なエピソードが残されている。

毎日のように通っていた開高はある時、高価なロマネコンティを持ち込みジンギスカンをほうばりながら、安物のワンカップ大関のコップになみなみとロマネコンティをつぎ飲み干していた。

それが報道で世に知られる事になり、ワイン愛好家からもの凄い反発を買うこととなった開高は、ワインを冒涜してる。開高は作法も知らないと、今で言う炎上である。その時、開高はこう語った。

「無作法という作法もあるのだよ」これには誰も反発出来なかった。この言葉が小気味良くて僕はとても気に入っている。

Photo by C.V.Sebastian

そして、連想ゲームのように思い出す言葉は、あるロックスターの言った言葉だ。(確かジョンレノンだったかも)記憶がおぼろだが、ロールスロイスに運転手を雇い超一流ホテルに乗り付けボロボロのヒッピー服を着て車から出てくるのが最高にクールなんだぜ。ある意味似ている反骨精神かも。

重ねて言うが、僕は開高がとても好きだ。「男は自殺するかわりに旅(釣り)に出る」。もし生きていれば気の合う釣り友達になったかもしれない。

そして、ロマネコンティを日本に初めて輸入したのは、実は彼だということはあまり知られてない事実なのだ。

そんなジンギスカン茅ヶ崎は僕のお勧めの店なので、開高にも思いを馳せ、美味しい肉を頬張りに、ぜひ訪れてみてほしいと思う。

次回は真夏の沖の孤島に取り残された釣り人達の飢えと乾き。そして人間としての心の葛藤。生存本能が勝つか?はたまた理性が勝つか?

エピソード2。 人間の証明に続く

おすすめの記事