C.V.セバスチャンのハチャメチャ?な人生日誌 エピソード2

ここでのお話は、はちゃめちゃな自分が、今まで経験来てきたことを日誌形式と、それに纏わる、四方山話を通して、私的な人生観、果ては死生観について書いて行こうと思う。

前提として僕は運命論者では無い。宿命は3つ有る。

それは、貴方が何処の国のどんな両親から生まれて来る事を選べない。そして老い。死。それが3つの宿命だ。僕はそう思う。運命は偶然の重なり合いに過ぎない。

エピソード2ではエピソード1に引き続き、釣りに纏わるお話「人間の証明」である。

人間の証明

遥か昔の真夏のお話。確か西伊豆だったと思う。当時おつきあいして居た釣りガールと釣り仲間の男性と3人で沖の荒磯に渡船した時の恐ろしい経験。

その日はものすごく暑い日で南西風が強く吹いていた。船長が今日は危ないから、俺らがほら穴と呼ぶ場所に連れて行ってやるから心配いらないと言い渡船をつけた。

朝6時、磯に上がって崖っぷちで釣りをはじめた。地形は凹んだ窪地で風が当たらない、数カ所に小さいほら穴がある奇妙な場所だった。他に釣り人は居ない。私達3人のみ。

しばらくして、喉が乾いたので水を飲もうと思った時、波止場に駐車場の荷物の中に水と弁当を忘れたことに気がついたのだ。
友人が別のバッグに持って来たペットボトルはコーラ1本、私たちが2人で1本。いずれも500MILだった。

海の照り返しは、陸の何十倍もあり体感温度は尋常ではない。灼熱の太陽が照りつける逃げ場の無い岩場。異様な汗が滴り落ちる。

水はすぐに底を付いた。もうどうしようもない。携帯は電波がないので、船長に連絡も取れない。

水分はどんどん体から蒸発していく。目の前は水だらけの海だが、海水は飲むことが出来ない。完全な脱水症状である。
もう限界だ。釣りどころではない。

彼女は岩場の日陰の穴に入ってぐったりしてしまった。
その時友人がコーラを取り出して、グビグビと飲み出した。
目というか?生存本能というか、頭、目、体がコーラにくぎずけになった。
『ほ、ほ、欲しい。の、の飲みたい。彼を突き落としても飲みたい!!』頭が一杯になって混乱した。
極限状態になると人間、理性を忘れるというがまさにそんな体験をしてしまった。
海水だらけの海面の恨めしい。恨めしい。

勿論、彼は皆に分けてくれたが、それから終竿までの6時間。
辛くて釣りにならなかった。コーラはよけい喉が乾く。

結局、僕も飢餓と脱水症状で意識が薄れ、小さなほら穴に頭だけ突っ込んで動けず、熱中症で死亡の最悪のパターンが脳裏に蠢いていた。
こんな時生存率を高めるには、一つしか無い、当時の僕の彼女のように、動かずじっとしていることが一番大切だ。
だから釣果などは全く覚えていない。
もし、誰かが水や食料を持っていたら…襲ってしまったかも知れないと思うと背筋がゾっとする。

世にいうカニバリズムというものだろう。
僕の頭の中は連想ゲームでできている。1つの出来事が多様な事柄に結びつく。

Photo by C.V.Sebastia

真っ先に思い出すのは、昔に読んだ、日本ではあまり知られていない、アメリカ西部開拓時代史上最悪の悲劇『カリフォルニアを奪れ―リードの開拓魂』。

新天地を目指す開拓民、ドナー隊である。真冬の山中で遭難し、寒さと飢餓で半数以上が死亡した事件。1846年 - 1847年の冬シェラネバダで雪に閉ざされて過ごすことになり、87人のパーティの中、奇跡的な生き残りは48人。救援隊は雪に阻まれ大幅に遅れ、数ヶ月後に到着した時、その惨劇に目を覆った。極限の飢えの中、生き延びる為に家族や友人、子供の死体までを食べ、内臓を食い尽くしていたのだ。

次に思い出すのは、ピアズ=ポール・リードのノンフィクション小説『生存者アンデス山中の70日』を原作とし、フランク・マーシャル監督がメガフォンを取った映画版『生きてこそ』だろう。

Photo by C.V.Sebasti

1972年。10月ウルグアイの敬虔なカソリック信者の学生ラグビーチームと家族友人45人を乗せた旅客機が、厳寒のアンデス山中で墜落事故を起こす。機体は真っ2つ。27名が奇跡的に助かったものの、身動きの取れない状態。生存者も次々と命を落としてゆくラジオで捜索打切りの知らせを聞き、絶望的な状況の中、生き残るため、彼らは死体を食べるという決断をする。

敬虔なカソリック信者の夫婦はそれを拒み、餓死する。厳寒の山脈で72日間生き残り、短い夏季を利用して、救助求めて下山する2人の決死隊が編成され、数々の難所を超え、チリのふもとに辿り着き、救助隊を呼ぶことに成功。奇跡的に生還したんは16人だけであった。痛ましい事故現場には慰霊の十字架が建てられた。

映画では救援隊のヘリの到着シーンでAaron NevilleのAve Mariaアベマリアがエンディング曲で使われている。僕は無宗教だが、涙が止まらなかった。今でもラジオからこの曲が流れるとジーンとしてしまう。パブロフの犬状態だ。下記YouTube URL3分6秒から。

https://ja.wikipedia.org/wiki/生きてこそ_(1993年の映画)#/media/ファイル:FokkerAnde1972.jpg

アニメ好きの僕、奇跡という言葉を聞くと連想してしまうのが、納得のこのセリフだ!
「起きるはずがないから奇跡と言うんだろう。」「じゃあ、起きた瞬間にそれはもう奇跡じゃない。」
「奇跡とは起きた瞬間にすでに奇跡ではない」アルプスの奇跡も起きた時に奇跡ではないということか?

荒木飛呂彦の漫画『ジョジョの奇妙な冒険第4部 ダイヤモンドは砕けない』。同漫画のスピンオフ作品『岸辺露伴は動かない』集英社より。

余談だがカソリックにはマリア様がいるが、プロテスタントにはいない。
その関係性については僕はこの場で語るつもりはない。宗教は非常に繊細で、多くの場合危険だからだ。

日本人は宗教を聞かれると無宗教(無神論者)と答える場合がおおいが諸外国ではあり得ないお話だ。逆に悪魔的な危険な人間と捉えられることもある。それほど諸外国では宗教とは、みじかで重要なものなのだ。

僕は3回暗殺されかけたことがある。その1つは宗教的な事件、1つは食人だった。

1回目は、20代前半に自身のデザイナーブランドを立ち上げ、時代の追い風をうけて、30代には全国展開していた頃だった。
店を営んでいた時、精神異常者が店で暴れたので、出入り禁止にしたら、相手からの逆恨みである。近くの駅から電話があり、これからおまえを殺しにいくという予告電話があり、慌てて警察を呼んだが、警官と刑事は僕にこう言った。予告電話してくる奴の殆どは来ないよ。わざわざ捕まりにくるやつはそういないからな。刑事の言葉通り、来なかった。

2回目はもっと凄かった。異常性格者の男性とでもいうのか?僕のことが、好きで、好きで、殺して、食べてから、ホルマリン漬けにして頭部だけ一生そばにおきたいとの巻き物が玄関に置かれて、その後猫の生首や犬の死体等が置かれる事となったのだ。あのビートルズの元メンバー。ジョンレノンを連想させるものがあった。しかしそれも刑事の言葉通りに事なきを得た。その男が別件で精神病院に入れられたからだ。

3番目が一番恐ろしかった。詳しくは言えないが、東京中野署から電話があり、「君がとある別の国際過激集団の宗教上の理由で暗殺リストにのっている」と知らされ、国際テロ科の刑事が訪ねて来てシークレットガードが昼夜交代で3ヶ月付いたが、危うく、殺されかけたことがあるからだ。だが今、思うと、僕はその3ヶ月間シークレットガードを見かけたことはなかった。それは当然だ。ターゲットである僕のそばに、あからさまについているのは、ボディガードと呼ばれる職業だ。多分、近くのマンションあたりから、暗視スコープ等で監視していたのだだろう。でも、襲われるのは確実に夜。そして一瞬だ。ガードが駆けつけた時はすでに遅しだったろうな。そして事件は闇から闇の中へ。それが暗殺と言うものだ。姿のみえない暗殺者の恐怖に慄き続けた3ヶ月が過ぎ、公安か警察が僕のかわりにマスコミに問題となった商品の自主回収、焼却処分の画像と謝罪文を載せ、事件は収拾した。考えたくないが、もしかしたら僕は公安にとってデコイで目的は組織解明だったのかも。当時、連続多発、していた種の事件だからだ。

しかし、国際テロ科の刑事ってあまり馴染みがないのは当たり前だが、柔和なインテリタイプで多国語を話す。穏やかな大学教授みたいな感じだった。よく知っている殺人科やまる暴(今は『ソタイ 組織犯罪対策課』)とは全く異質だ。

この頃はそういうバイオリズムだったのだろう。それ以降は全くこのようなことはなくなった。質の違う事件に変わっただけなのだが。

カニバリズムには種類があるという。性的人肉嗜食は異常者のみなので除外。驚いたのは古代アステカ。食人が制度化されていたというのだ。

族内食人と呼ばれるカニバリズムは死去した人の権威や長生きに預かろうという、日本の「骨噛み」にもみられる。そこには愛ゆえの「骨噛み」も当然ながら存在する。勝新太郎が父の骨をはんだことは有名である。死者への愛着ゆえ食人のは世界中に見られる。魂を受け継ぐ意味合いもあり、そう珍しいことではない。

僕にとっての一番強烈な印象を残す食人は60年代後半から70年代にかけてヒッピーのバイブルとされたロバートAハインラインの『異星の客』 (創元SF文庫)だ。

殺人、宗教、近親相姦、フリーセックス、カニバリズム、タブーを扱った800ページ弱ある分厚い本だ。
当時の社会に与えた影響は強烈だった。数々のカルト集団も生まれた。最後の審判プロセス教会に深い関係を持つ、あの悪名高いカルト集団チャールズマンソンファミリーも『異星の客』に強い影響を受けたらしい。

族外食人呼ばれるカニバリズムは、敵の肉、または肝(肝臓)を食べてその敵の力を取り込む慣習。この慣習は世界中にあり記載しきれないだろう。
パプアニューギニアの奥地では今も行われているらしい。何回も軍が出動したが、あまりの奥地のため、生還者がいなかったと聞く。

昔に読んだ門外不出のお留め流儀「薩摩示現流」の書籍に食人が記載されていて、驚愕したのを覚えている。

信じがたいことだが、薩摩藩士は殺した敵の肝をその場で取り出し食べたと言われる。強ければ強いほど自分も強くなるという慣習だ。

なんか流れが僕好みの話題になってきてしまった。おほほ。僕は剣流が好きで、全て読み漁った時期があったが、薩摩示現流は奇異な剣流だ。

門外不出の薩摩示現流。お留流の為、幕末までその存在すら知られなかったという。明治を作った薩摩示現流。新選組の近藤勇が隊士に薩摩の初撃は外せときつく命じた剣。薩摩示現流。薩摩の剣は初太刀しかない。他の流派、例えば柳生新陰流の様に逆風と呼ばれる誘いやフェイントなどはない。示現流では2の太刀3の太刀は使わない。1の太刀、初撃のみに全てを注ぐ。そのかわり、電光石火のスピードと破壊力のみが凄まじい。
普通、剣は左手の小指が重要だが、薩摩示現流は左手の小指を使わない。トンボと呼ばれる体勢から柄を支える右手がつぶてを投げるごとく剣を振り下ろす。その速さと破壊力は凄まじく、自分の刀や柄が頭にめり込んだ死体や、真っ2つに切断された死体は凄惨を極めたという。因みに斬り込むさいにチェイスト〜!!とは言わない。キィエーイと言うらしい。

YouTube URL 示現流の使い手 鯉登少尉ちと実際の示現流と違いコミカルだけど。笑

ゴールデンカムイ鯉登少尉

若い世代では手塚治賞受賞の『ゴールデンカムイ』(集英社・週刊ヤングジャンプ)の薩摩示現流の使い手、鯉登少尉で知られているかと。。
しかしアイヌは単一民族と思い込んでいたが、このアニメをみて無数の部族があり、言葉も習慣も違うというのには驚いた。手塚治虫賞は伊達ではない。

織田信長が、前年討ち取った浅井久政、長政及び朝倉義景の頭蓋骨を髑髏杯にした逸話があるが、これもカニバリズムの1つに入るのかも知れない。本当なのかは信憑性に乏しいが、当時殺した相手の頭蓋骨に漆を塗り金箔を塗す「はくだみ」が流行りだったらしい。

そういえば、僕の家の隣の叔父さんの足には、太平洋戦争南方戦線で受けた敵兵の銃弾がそのまま残っている。

父も同じ世代。黙して語らなかったが、己の死を悟った時、ポツリポツリと話しだした。やはり戦友の死体を食べるカニバリズムは日常だったそうだ。昔の人は精神力が強いのか?よくPTSDにならなかったものだと思う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ガダルカナル島の戦い#/media/ファイル:GuadMatanikauDeadJapanese.jpg

非常時、緊急下、戦争下のカニバリズムは厳密にいうとカニバリズムではないらしい。が、客観的にはカニバリズムだろうと僕は思う。

しかし素朴な疑問だが、人肉って美味しいのだろうか?味はイノシシ肉に似ているらしい。 子供や女性の肉は柔らかいというのを聞いたことがあるが。

https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田茂#/media/ファイル:Shigeru_Yoshida_8.jpg

カニバリズムや経験談の話はつきないので、この日本の戦後を作った男。

吉田茂元首相のユーモア溢れるエピソードで終わりにしよう。政界引退後、吉田は米寿を過ぎても元気そのものだった。
ある時、記者からその元気の源はなんですか?と聞かれた。
吉田はこう言った。君達とは食べ物が違うよ。儂は人を食ってるからな。本当に食えない男である。

極限状態に置かれた人間の取る理性など吹き飛んだ行動。

極限状態に置かれても理性を保ち自ら死を選ぶ行動。そんな極限状態。
無神論者の僕にはわからないが、アンデスの奇跡の生還者が感じたように、人智を越えた、神とか天と言う存在を無意識に感ずるのかも知れない。

そんな極限状態は僕らの日常にも、いつ訪れるのかは誰も知らない。多分、天災、戦争等により、突発的に起こるのだろうとは予測できる。

その時、貴方がどんな行動を取ったにせよ。理性が勝つか?本能が勝つか?
いずれも人間の証明であるのだろう。善悪など、そこにはあるはずも無いだろうからだ。

海も山も命を育み、命を奪う。人間にとっては、慈愛と畏怖に満ちた存在である。それはあくまで、人の物差し。地球の自律運動には全く関係がない摂理だ。そう思うと地球から見た、人間など単なる寄生虫に過ぎないのかもしれないと、ふと思う。

渡船の沖磯での釣りも少し似たようなところがある。少しの油断が命落としかねないサバイバルだ。

沖磯 伊豆 横根にて Photo by C.V.Sebastian

危険な沖磯釣りは、若いからやれたけど、長く生きすぎた現在ではもう無理だろう。

今は船頭が居る綺麗なトイレと豪華なカフェもある楽な船釣りが一番だ。可愛い釣りガールも沢山いるしね!!と4,5年前には思っていたが、身動きできなかったコロナの数年間も祟り、古希に近づいた昨今、体力が衰え徹夜での釣行は無理。
早朝も昔のようには、起きれないので、主に昼から、のんびりと午後船にしている。僕のハチャメチャな人生もそろそろ終焉。かなと思いきや、常に新しいことに挑んでいる。

人生はどこでどうなるか?わからないから、面白いのだよ。人生は死ぬまでの暇潰しそれ以上でも以下でもない。

次回のエピソード3は 「最高の人生の終わらせ方」。気がつくと隣で釣りをしていた爺さんが、死んでいた。

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