ニューヨーク・コンフィデンシャルエピソード13

このコラムでは、「どうせ私なんか…」というセリフが頭に浮かんでいた日本での私が、多様性の都といわれているアメリカのニューヨークに47日間滞在し、半歩ずつそのマインドを変えていき、『“インドミタブル(不屈の精神)”MAYUMI』になるまでの軌跡を辿っています。

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#24 小さな初めての冒険( PCR検査証明ゲット)

8月の最終土曜日、来週の火曜日にはJFK空港から帰国するので72時間前だ。到着した時には、日米の報道からCovid19PCR検査のネガティブ証明なしで日本に帰国できるかもしれないと淡い期待を抱いていた。しかし、証明なし入国が私の帰国予定日の翌週の月曜日からという決定を受け、ほんの3,4日の差でCovid19PCR検査が必要になってしまった。歯軋りしつつ、ネットで調べてみると、帰国者向け検査の広告がたくさんあって日本語対応とか日本の書式で発行とか甘い言葉が並んでいる。それらは、みんな175ドル以上のお高い値段設定だ。ところがコロナのPCR検査自体はニューヨーク市内いたるところで無料でやっている。検査のためのバンが公園などに止まっていて予約がなくても即、受けられる。親友のベッツイが娘のクレアは喘息なので、定期的にこれを受けているから、「これで大丈夫 」と強く言うし、ネットにもこの検査で日本入国できましたと投稿している人もいた。よし、NY在住者向け検査にトライしてみよう。そして、無事に「鼻ぬぐい」検査を済ませた、

ところまでは、良かった。

出国72時間前に向かってカウントダウン中。検査自体は、あまりに呆気なく終わって拍子抜け。こういう時に出てくる考え方のクセは、「物事がこんなに簡単に行くはずがない。どこかに 私が気がつかなかった落とし穴があるに違いない」 という 何の根拠もないネガティブビリーフ。 すると、すぐに心配事が浮かび上がってきた。それは、「ファミリーネームとラストネームを間違えたかもしれない。しっかり記憶に残るほど確かめなかった」という思いが黒く広がってきた。 一緒についてきてくれたベティは、あっけらかんと「大丈夫、大丈夫」と言って取り合ってくれず、仕方なく私は娘たちのところへ。そこでは、家族みんなが、「さぁ、メッツを応援に行こう」と野球観戦を前に湧きたっていた。そこで、私が1人で暗い顔でうち 沈んでいると、娘はその悪いオーラに巻き込まれないようにと私を積極的に避けてくる。それでも、どっぷり不安の悪循環サイクルに入ってしまった私はいつもの「念のための確認行動」をしないと気が収まらない。娘に頼みこみ、検査のバンまでついてきてもらった。すると、ベティ が言った通り間違いはなかった。やっとホッとして、メッツ球場に向かう車に乗り込むことができた。みんな、 筋金入りのメッツファンだ。車内は、ホット!初めてのメジャーリーグ観戦へのワクワク感が湧いてきた。 

#25 メジャーリーグをこの目で。そこに「praying mantis 」が

座った4階席はメッツ側。ここでは対戦相手のヤンキースの話題はもちろん禁句。3回あたりで、ナンシーに誘われ、噂のステーキドッグとビールを買いにウロウロ、見ると多くの人が試合観戦を休んで、食べ物、飲み物、メッツのグッズショッピング。日本での野球観戦のような一球入魂を息を止めて見つめるという緊迫感がないなぁと思って、ふと見るとカマキリが私たちのそばのアクリル板に止まってずっと試合を見ている。そのカマキリに周りが気づいて喜んで写真を撮りまくり、「praying mantis (祈る預言者)」と叫んでいる。実は、カマキリは、英名「praying mantis」と言い、その由来は前足の形が祈っている姿勢に見えるというところからきていて、祈りを捧げる預言者とか占い師に見立てられているそうだ。 「幸先良し!」メッツの勝利とともに私の入国のための検疫ファストパス(正式名:ファストトラック)を青にしてくれる検査結果が早く届きそうな気がしてきた。

#26 48時間

ところが、48時間なのにメールが来ない!早ければ24時間以内に検査結果メールがくると言われていたから、一緒にランチをしていたベッツィーも心配しはじめている。

そこで二人で現地のバンに行って確かめることに。すると、被験者番号からすぐに陰性だったことは分かった。ただ、結果通知メールが何回やってもらっても手元に来ない。私たちの前でかわいいナースが左手に自分の携帯、右手に私の携帯を持って、奮闘してもダメ。その間にも他の受検者が来て、交渉を始め、聞いていると「今すぐ、検査して結果が欲しい。そうでないと仕事ができない」と言う。私は、心の中で「それは、無理だろう。ネットに結果は24時間から48時間以内にメールで通知と書いてある」と思ったが、その男性は、「今すぐに結果をもらえないと仕事ができないから困る」と言って看護師たちに断られてもちっともひるまない。その隣で先ほどから結果メールを私の携帯にメールし続けてくれているのだが、やっぱり、私の携帯に届かない。念のため、NY在住者のベッツィーの携帯を試してみてもダメ。このやり取りの際中に、なんと私たちの後ろで大柄な黒人男性と女性が怒鳴り合いを始めた。「えっ~!」バンの前の道路では、若者が大音量でパンクをまき散らし、後ろでは、大げんか。40度を超える日差しの中、三重苦を抱え、私たちは汗まみれだ。「出発まで24時間を切っている」と言うと、バンにはプリンターがないので、スクショを私の携帯で撮ってくれた。

少し、ホッとしてその画面を全集中で確認すると、これだと入国の検疫をパスするアプリに入力できない!そう、日本政府が必要としている項目が一つ足りない。それは、検体の項目。私たちは、後ろに下がって店の日除けの下で作戦会議を始めた。1メートルも離れていないところでは、先ほどから、男と女が罵り合いを続行中。そんな中思いついたのは、私が肌身離さず身につけていた日本国政府が推奨している証明書の用紙を見せながら、採取した検体の種類のデータについて質問することだ。それで、ベッティがまた、バンに聞きに行ってくれた。なかなか、ベッティがこちらを振り向かない。「あっ?!」、何と言う展開!急に幕が切って落とされたようなびっくりするものを見た。振り返ったベッツィの手に記載済みの証明書がある。私がずっと持っていた用紙にナースが書き込んでくれていたのだ!オフィシャルにはやらないことなのに、日本政府推奨用紙の必要項目をきちんと記入し、ニューヨーク保健衛生局のサインもしてある。私たちが「メールは来ないわ」、「採取した検体の種類の記載がないわ」ということで、50分間以上、油汗を流しながら交渉を続けた甲斐があった。さすが、アサーションの国アメリカ!

日本の流儀とはちがうが、アメリカの友達の言うことを信じて、身近にあった一番簡単なやり方で一番欲しかったものを手に入れた。それを厚労省アプリに入力するとすぐ入国パスが黄色から青色に変わったのを見て胸がジンジンしてきた。帰国の際、煩雑な書類を検疫で見せる必要がなくなったということより、友と一緒に意味あることにトライしてゴールできた事に舞い上がった。それが、私の身に本当に起こったのだと自分に言い聞かせる。成し遂げた出来事自体は、ほんの些細な事かもしれない。でも、友達が面倒ばかりかける私を見捨てたりしないで、最後まで一緒に居てくれて、望みが叶えられた時に手を取り合って喜べたというのは私には初めての経験だった。私の体、宙に浮き始めてる?

奇跡だ。お金をかければ同じことが短時間でなんの苦も無く手に入るが、それでは、「どうせ私なんか、人より損して当然」とか「どうせ私なんか、良い運なんか手に入らないに決まっている」とか「どうせ私なんか、相手に逆らうと相手から見放されるに違いない」とか諸々、ものすごい長い年月 培ってきた ネガティブ ビリーフを変えるきっかけは手に入らなかったはずだ。

巨大な地下水脈のようなネガティブ ビリーフのせいで私は石のように感情を押し殺して生きてきた。 そのせいで、今まで、きれいな観光地に連れて行ってもらっても「見た、見た」で終わってしまっていた。素晴らしいサービスを受けても極上の食事をいただいても「たくさんのお金を払ったのだから当然」としか思えなかった。その場所やら、そのサービスをしてくれた人やら、その食事を丹精こめて作ってくれた人やらの中にある本質に感動できたことは一度もなかった。

 そんな私が、思い出すたびに私を強くしてくれる大きな喜びを感じ取ることができた。私はレジリエンスは低いままだが、そんな私がビビりながらでも何度でも挑戦すれば願いは叶うということが実現された。それをベッティという人が一緒になって手を取り合って喜んでくれている。

今まで、作文に「喜び」と書いたことはあったが、それに伴う身体中に溢れる喜びという感覚を知らなかった。

それは、初めてヘレンケラーが「水」をわかった時どんなに興奮したかを想像させた。手のひらを濡らしている物体が「water」であると頭の中で文字と感覚が一致して炸裂した瞬間        
そうだ、ベッティは私のサリバン先生

#27 今回の旅で

帰る朝、ベッティに誘われてベッティの家の裏にできたカフェにブランチに行った。ベッティの家の斜め前には大きな教会がある。そこには、貧しい人々が、衣類や雑貨や食糧をもらいに来ている。その帰り道、角まで来て、大声で怒鳴り合うようなドラマを二階の窓からこの45日間しばしば眺めてきた。私が生まれた頃の日本を思い出させる光景だ。ところが、 同じブロックなのに裏側に回ってみると、日本で言うところの「こ洒落たカフェ」がいつのまにかできている。そこで私がご馳走するとベティは無邪気に喜んでくれた。私がベッティからもらったものは、比べられないくらい大きいのに。

このワンブロックの中にさえ日本が 昭和から令和までに経験したものがぎっしり詰め込まれ密度が濃い。この界隈でファーストメディカルケアと書いてあるクリニックに私がPCR検査について尋ねに行った時、 話が通じないのを居合わせた患者が近くのミスターメロンからアジア人を呼んできて 私の話を聞いて助けてくれようとしたのも、すでに遠い昔のことのように思える。みんなが、熱く話しながら、関わり合って生きている。 それは、餓えないために熱く話し関わり合っているようにも見えるが、実はニューヨークには無数のチャンスが転がっている。そのチャンスを手に入れるために熱く話し合って関わっている。時には、怒鳴り合っている。生まれたルーツが違う人の集まりなので、言葉だけではなくいろいろ違っていることばかりだが、違っていることが前提にある社会なので、ここで生きていくためにはお互いを認め合うしかない。よって、多様性の実現は必然的に起こる。それが正論だからではなくここ移民の国では必然だからである。この瞬間にもここには無数のチャンスがあるからだ。足を引っ張り合うよりそのチャンスを拾う方が幸せに近い。多様性にもとづいて人との関係を結んでいるので、当然頭の中の思考の枠は外される。その柔らかい思考から、たくさんのチャンスに巡り合える。枠が無いから、あいつ変だと見ないし、見られない。あぁ、気が楽だ。

 シルバーベイでは、私の頭の中の常套句である「どうせ、私なんか」と言って一人でウジウジしている時間がなかった。「食う、寝る、遊ぶ」その瞬間を生きることの連続だった。

 私は、たまたま巡り合ったシルバーベイという場所で人を気にせずに初めて自分のやりたいように過ごせた。なぜなら、英語をほとんど喋ることができないから、初めから孤立している存在だった。元々一人ぼっちだ。そういうことなので、失うものが本当にない。人に気を使うのをやめて、自分のしたいことを自分ができる範囲で全力投球した。自分のやりたいことだけをやっていると、日本では自分勝手な行動とレッテルを貼られるのだが、ここでは違った。私を見ていた人たちから、「あなたがここに来てくれて、私たちみんなにとって良かった」と言われて本当に驚いた。日本で私は相手に気に入られようと考えて行動してきたし、それがうまくいかない経験も多くあって、それは、私という「人間ができていない」からだと思いこみ、ずーっと、「早く人間になりたーい」と叫んできた。それなのにこんな遠くまで来てここで会った人達に素の自分を感謝されてしまった。えぇ?頭の中で考えてきた「こうすれば、相手から好かれる・嫌われること」なんて、ちっちゃいことで大したことじゃなかったんだと目が覚めた。人から感謝されるネタは山ほどあるんだ。私はここでは、毎日一生懸命 セーリングヨットを始めいろんなことにチャレンジしていただけだ。それを 素敵だと思って影響を受けてくれた人がいたわけだ。もちろん 相手を乱暴に扱っていいわけではないから大切にするんだけど、それは、相手の思惑ばっかり考えるんじゃないんだな。人には丁寧に接して、そして、自分のやりたいことを見つけて、それをやっていいんだ。

このことを忘れないようにしなきゃ、日本に帰って環境が元通りになっても忘れないようにしなきゃ、「あぁ〜、面白かった」来年も来ようっと。おしまい

 最後までお読みいただきありがとうございました。日本で「どうせ私なんか」のマインドポジションで暮らしてきた私が、娘の出産をサポートするためにニューヨークに行き、通いで家政婦の仕事をするだけの予定でした。ところが、「たまたま」の出来事が重なり、「意味ある偶然」が起こり、、、という物語を13回に分けてお届けいたしましたが、ご一緒に旅をしている気分になっていただけましたでしょうか。

 さて、次のシーズンも来年1月から始まります。今度はどんなことが起きるのかと臆病な私も期待するような気持になっています。ぜひ、引き続きご覧下さいませ。

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