ニューヨーク・コンフィデンシャル エピソード3

このコラムでは、「どうせ私なんか…」というセリフが頭に浮かんでいた日本での私が、多様性の都といわれているアメリカのニューヨークに47日間滞在し、半歩ずつそのマインドを変えていき、『“インドミタブル(不屈の精神)”MAYUMI』になるまでの軌跡を辿っています。

プロローグ4 目まぐるしい展開

出発が迫ってくるとこちらも緊張が高まってくる。仕事の調整やら持って行くものなどいろいろ頭をめぐる。そんな折も折、病院に妊婦検診に行っていた娘から泣きながら連絡があった。一体どうしたの?

出産を前に最後の妊婦健診にきたら血圧が既定値を超えていたので、自宅に帰るのは危険だからこのまま促進剤を打って今日これから出産することを強く勧められているところだという。たった「1」超えただけで。

びっくりして事情を聞くと、受診時間にギリギリだったので、勤務先から走ってきたから血圧があがっちゃって、左手で計ったらギリ既定値がでたので、念のため右手でも測られて既定値を超えてしまったという。

ほんの些細な不注意で、目の前に早産という現実を突きつけられて、自責の念と不安で涙ながらにライン電話をしてきたらしい。

日本なら、そのまま妊婦を病院のベッドに縛りつけるようにして、安静にさせて少しでもお腹の中で胎児を育てようというのが基本だと知っている娘は、この展開に自分が悪いことをしたと涙にくれている。

あちらは、事情が違うようだ。でも、医者がそう言うからには既に安全な出産が可能であるという自信があってのことだろうと踏んで、こちらも医者の言うとおりにして大丈夫だからと応えて娘を少しでも安心させるしかなかった。

ムコ殿から、今から来られないかと尋ねられたが、今から行っても間に合わないだろう。彼がちょうど仕事のキリが良かったので付き添ってくれた。

娘は、小学校の時から「廊下は走るなって!」と言われても、しばらくすると、また走ってるような子供だったので、やっぱり、ばたばた動くのはやめられないよね。ちょっとヒヤッとしたが、促進剤と無痛分娩で息み5回で無事女の子をポンとこの世に生み出したようだ。娘もお母さんだ。ホッとするものの、行く前に本番が終わってしまったので、私のパンパンに膨らんでいた緊張と期待の空気は抜けてしまった。そして、計画変更に弱い私が、この出来事を手始めに次々予測不能の場面に投げ込まれていくことに。

とにかく無事に生まれたらしいことがわかり一安心。

プロローグ5 旅立ちの時

出発直前、いざとなると訳もなく不安になる。頭の中をサーチしても、やり残したことはないし、あちらには、友人が出迎えに来てくれているとわかっているのに、羽田空港の保安検査場を目の前にして座り込んでしまった。

私は、いつもの日常が安心で大好きなのだ。でも、払い戻しのきかない飛行機代を払ってしまったのだから行くしかないと自分に言い聞かせる。

世間でよく言われている「早く赤ちゃんのお顔がみたいでしょう。」というワクワク感が、湧いてくれればまだしも、私は、実体のあるものと実際にやりとりをしないと気持ち自体が湧いてこないんだ。それも湧いてくるまでに時間がとってもかかる。皆が、そのことを忘れてしまった頃に気持ちが出てきてそれを口に出すと、驚かれたり呆れられたりするぐらい時間がかかる時もある。

世間の人はどうやって、まだ見たことのない人や物事に対して気持ちを駆り立てているのだろう。それがわからず、今日から始まる非日常への怖さばっかり膨らんだ。

 「踏み出すって、なんて大変なことなんでしょう。」 ゆっくり、半歩ずつ後戻りできないところまで、カラダを運んだ。

今回は、このサイトの皆様へのメッセージである「はじめの半歩」を踏み出すのは大変だけど、とにかくどんな半歩でもいいので動いてみましょうという趣旨にぴったりの私の実体験エピソードでした。

次回から、とうとう国外に飛び立ちます。ぜひ次回もご覧になってくださいね。

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