ニューヨーク・コンフィデンシャル エピソード4

このコラムでは、「どうせ私なんか…」というセリフが頭に浮かんでいた日本での私が、多様性の都といわれているアメリカのニューヨークに47日間滞在し、半歩ずつそのマインドを変えていき、『“インドミタブル(不屈の精神)”MAYUMI』になるまでの軌跡を辿っています。

#1 機上で人とふれあえた!

飛行機代の25万円を「ふいにしてよいのか!」と自分を叱咤激励してやっと乗ったJAL。

次なる心配事は、窓際大好きの私にとって、通路に出るための隣の席の人。
その男性は最初にCAが通りかかって、私がブランケットリクエストのため呼び止めようとしたら、その動きを察して一緒に呼び止めてくれた。わー!何とも親切なお方!話が弾んでいくうちに、仕事用チェアの話になり、長らく探していた座りやすいくてリーズナブルなブランドまで教えてもらってネットで見つけることができた。
彼は、超グローバルコンサルタント会社の社員で、夢はなんと、「お父さんになること」というので、少子化問題への力強い助っ人の一人だった。

会話の合間に、機内映画で、ずっと見たかった「ノマドランド」「グレイテスト・ショーマン」も楽しんだ。気がつくと出発前の縛りつけられていた不安な気持ちはするするとほどけていた。

羽田からニューヨークは、時差が13時間(サマータイム時)、飛行時間も13時間なので出発時刻と同じ時刻に無事到着。

お隣の彼は、到着荷物ベルトコンベヤーで急ぎ荷物を取って、すぐに乗継便へ。「旅は道連れ、世は情け」素晴らしい道連れだったので、あっさりお別れになってしまい少し残念。次は、「お母さんになりたいと言ってくれる女子」に巡り合えることを祈ってるわよ。

#2 ブルックリン、ひとりぼっちじゃない!

すでに長い一日だが、ここからがスタートだ。入国ゲートを出ると、親友(ここからは親友と呼ぶことにした、ベツィ)が迎えに来てくれていた。それなのに、マスクをしていたので、すぐにはわからなかった。毎週SKYPEで話してきたけど、生で会うのは5年ぶりだ。ヤッホイ‼

イエローキャブ(タクシー)でブルックリンに向かう。有名なブルックリンブリッジでマンハッタン島につながる古き良きニューヨークの雰囲気が残っている街だ。親友の自宅は、赤レンガの壁の3階建てで1階は人に貸している。前庭、裏庭にも花が植えてありベンチも置いてある。いいところだなぁと第一印象で思った。

街は、活気があるといえば聞こえはいいけど騒がしく道にごみが多かった。

治安は、昔に比べると改善しているらしい。

部屋に入ると「みおまゆみ ニューヨークへようこそ」と日本語のウエルカムメッセージが貼ってあり、ホッコリさせてくれた。彼女は日頃から日本語に興味があって「Duolingoアプリ」で勉強するのがお気に入りだ。みおまゆみって呼び捨てのところはご愛敬。ウェルカムと言ってくれる人がいて、一人じゃないと思えて、グッときた。日本では1人ボッチ感満載で生きてきた私が、ここにきて1人じゃないと思えるなんて奇跡のようで、グッときた。「やってくれるじゃないの、ベツィ」

それに旦那さんのケビンは私のためにベッドサイドに耳栓を用意してくれていた。「えっ、そんなに?」

これから住んでいくといろいろわかってくることがあるのだ。

今回は機内での喜ばしい出会いと迎えに来てくれたベツィとそのブルックリンのおうちの紹介でした。次回は、とうとうピリピリしている娘と生まれたての赤ん坊と右往左往するムコ殿に会います。

ぜひ次回もご覧になってくださいね。

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