ニューヨーク・コンフィデンシャル エピソード1

このコラムでは、「どうせ私なんか…」というセリフが頭に浮かんでいた日本での私が、多様性の都といわれているアメリカのニューヨークに47日間滞在し、半歩ずつそのマインドを変えていき、『“インドミタブル(不屈の精神)”MAYUMI』になるまでの軌跡を辿っています。

プロローグ0 まえがき

2022年夏、47日間にわたってアメリカ、ニューヨークに滞在する機会を得た。

日本では、しばしば「どうせ私なんか」というセリフが頭に浮かんで苦しい時があった。

娘の出産を手伝うためにニューヨークでは、一人で一軒家で暮らしながら、毎日黒人街を通い続けなければならなくなった。そんな自分の気持ちに浸っている余裕はなくなり、いつもの慣れ親しんだその気持ちと半歩ずつ距離をとっていく日が続いた。

それができたのは、ひとえにニューヨークの人、環境のおかげだと思っている。私を受け入れてくれた、ニューヨークの多様性に感動して、感謝している。

そして、ニューヨークの人に「 インドミタブル(不屈の精神)なMAYUMI」とまで言ってもらえて私は少し変わったのかもしれない。

そのニューヨークでの日々の驚きを既に個人のSNSには投稿した。今、その時の視点とは、また別の角度から見ていこうと思う。もっと深い発見に出会えるはずだから。

プロローグ1 ピンチ

娘から「子どもができた」とニューヨークからラインがあったのは今年(2022)の正月だった。

 その一週間前の年の暮に「子どもは?」とそれとなくを装いつつ恐る恐る尋ねた時の娘の剣幕ったらなかった。

「私はあんたの孫を生む道具じゃない!!」みたいな言葉を機関銃並に浴びせられ、一気に撃沈。私なりに慎重にアメリカ人のムコ殿の両親とも相談し、言葉の選び方・置き方まで考えたのに。

 それを機に、「うちの血脈は途絶えることになりました。」と皆に伝える覚悟をした。それもありだと自分に言い聞かせていたところ、とんでもなく嬉しそうな声で知らせてきたのだ。それも年の暮れには、妊娠がわかっていたのに、あんな風に怒りまくったと言うのだ。 スピーカーホンで他の人が聞いていた手前、「喜ぶフリ」をしながら、「えっ、これって何?何が起こったの?」と頭の中で、何度も同じ言葉がこだまして、訳が分からなくなって心はフリーズ。気持ちの整理のつかぬまま、それでも、普通の母親ならするだろうことをすべく、出産を手伝うために渡米の計画を立て、すぐに出産予定日の夏の勤務調整にはいる。

 コロナ禍で出入国に制限があるこのご時世(2022年早春)にも関わらず、それでも正規の渡航理由があれば行けるという気がしていた。早めに航空券も手配した。ちょっと値が張るがANAの直行便にした。優しいムコ殿がいるとはいえ、初めての出産をコロナ禍のニューヨークでするというのは、相当のストレスだろうと思ったからだ。

 娘から「サポートに来てくれるのは有難いけど、あなたの面倒は何もみられないし、ムコ殿が気を使うからここには泊められない。自分の暮らしは、全部自分でやってほしい。それができないなら、2番手のサポーター(ムコ殿の母)をお願いするから来なくてもいい。あなたは、英語もできないし、こちらの出産・育児に詳しくないけど、唯一あなたに来てもらうのは、私が気を遣わず何でも言える人だからよ。それ以外に取柄は何もない。そのことをよく心して。」と告げられた。

  娘の言っていることは一片の嘘、一片の気遣いもない。ストレスフリーの家政婦が欲しい気持ちはわかったけど、もう少し言い方があるんじゃないの。

と心の中でぶつぶつ言いながらも、こんな経緯で私のニューヨーク行きが決まっていった。娘から告げられた内容を友達に話すと、「そこまで言われて行くの?!と眉をしかめられもしたが、そこまで言うのが、パワフルが取り柄の娘の流儀。

この後、思ってもみなかった展開がそのパワーで次々と巻き起こっていった。

連載 エピソード1では、まえがきと事のはじまりについてご紹介しました。次回は、娘から一片の嘘も一片の気遣いもない言葉を浴びせられた私が、家探しに奮闘したことについて書いていきます。ぜひ次回もご覧になってくださいね。

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