「北欧」というと、何がイメージされるだろう?
夏の白夜や、冬の空を彩るオーロラ。
黒い森や湖から成る風景。
長く厳しい冬の雪景色。
厳しくも美しい自然を舞台に神々や巨人、怪物が織り成す、北欧神話のエピソードの数々。
美術関係ならば、大部分の人が、エドゥアルド・ムンクの名やその作品を連想するだろう。
それらからは、イタリアやフランスなど、他のヨーロッパの国々にはない、独特の「神秘的」な趣きが感じられる。
現在、SOMPO美術館では、この「神秘」をキーワードに、19世紀から20世紀初頭にかけての約100年間の北欧美術の流れを紹介する展覧会が開催されている。
今回は、展覧会に寄せて今まで日本ではあまり知られていなかった、北欧美術の深遠な世界へとご案内しよう。
①北欧美術のはじまり
19世紀以前、ルネサンスやバロックなど美術の大きな動きは、イタリアやフランス、ドイツを舞台に始まり、栄えていた。対して、スウェーデンやノルウェーなど、北方の国々では、それらの影響を受けつつも、独自のカラーを備えた様式や画家を輩出するには至らなかった。
そのような状況が大きく変わったのが19世紀初頭、ナポレオンによる侵略戦争がきっかけだった。侵略にさらされたことによって、北欧の国々では自分の国や民族に対する自覚が目覚め、ナショナリズムの風潮が高まり始めたのである。また、1815年にナポレオンの失脚後、フランスでは「感情」や「多様性」を重んじるロマン主義が台頭し、ヨーロッパ中に広がって行く。
北欧では、このロマン主義とナショナリズムとが結び付き、「国民的ロマン主義」へと発展していった。そして、国や民族のアイデンティティの拠り所となり、国民の愛国心を強く掻き立てるモチーフとして、人々は自国の身近な自然風景へと目を向けるようになったのである。
この《滝のある岩場の景観》は、1850年代のスウェーデンを代表する画家マルクス・ラーションによって描かれた。曇り空の下、ごつごつした岩山が連なっている。そこかしこには針葉樹が並び、ここが北欧であることを感じさせる。画面中央には、岩をえぐるようにして、大きな滝が飛沫をあげながら落ち、うねり流れていく様が描かれている。全体的にどんよりと暗い中で、滝の水は白く、それ自体が光っているかのようである。
このように人間が到底太刀打ちできない自然の力をドラマチックに描き出した風景画作品は、見る者に畏敬の念を抱かせると共に、この風景が「自分の国」の姿である、ということに対する「誇り」をも掻き立てた。
時代が進むと、大仰さは次第に薄れ、ニコライ・アストルプの《ユルステルの春の夜》のように人々の生活の場としての自然を描いた作例も増えていく。
また雪景色は、北欧らしさを感じさせるモチーフとして、盛んに描かれた。
向き合い方、描き方は変化しつつも、画家たちにとって自国の自然は常に主要なモチーフであり、それと向き合うことを通して、「北欧独自の美術」も育って行ったと言えよう。
②民間伝承(ファンタジー)の世界
キリスト教が伝わる前、ヨーロッパの各地にはそれぞれ土着の神が信仰され、様々な伝説が語り伝えられていた。19世紀には、民族としてのルーツにもつながる、それらの民間伝承や民話に対する関心が高まった。
フィンランドでは、口承で伝えられてきた独自の伝説や伝承をもとに民族叙事詩『カレワラ』が編纂され、音楽や美術の題材となった。また、ロシア帝国からの独立運動にも多大な影響を与えたとされている。
ノルウェーでも、テオドール・キッテルセンら画家たちが、ノルウェーの伝承に着想を得た作品を制作していた。具体的な作例として、《アスケラッドと黄金の鳥》を見てみよう。
アスケラッドとは、ノルウェーの民話の主人公の少年の少年の名前である。末っ子で誰からも何も期待されない立場にあるが、試練を乗り越え、最後には富や結婚を勝ち取る。
キッテルセンは、ノルウェー国内の各地から集められた民話をもとに、少年アスケラッドの冒険譚を創作し、12枚からなる連作に描いた。
〈アスケラッドと黄金の鳥〉は、その9枚目にあたり、主人公が城の中で黄金の鳥が眠っているのを見つけた場面を取り上げている。輝く鳥は、周囲を赤々と照らし出し、絵の前に立った者の視線を一瞬で惹き付ける。左下には主人公のアスケラッドがいて、動くことも忘れて、鳥を見つめている。
現実世界と、描かれた物語の世界とをつなぎ、見る者をファンタジーの中へと深く誘い込む役割を担っている、と言えるかもしれない。
西洋美術では、「神話」というとギリシャ・ローマ神話を指してきた。そして、神話のエピソードや登場人物を描いた神話画は、画家の知識や技量が大いに試されるジャンルとして、最高位に位置付けられ、膨大な作品が生み出された。
対して、北欧土着の神話や民間伝承は、画家たちにとっては、新鮮なインスピレーションの宝庫であり、手垢がついていない分、より自由に想像の翼を広げられる題材でもあっただろう。
それらを描いた作品が、北欧美術の重要な一角を占めていくのも当然の流れだったと言えよう。
③都市を描く
19世紀は、産業革命や科学技術の発展によって、社会や人々の生活が根本から変化した時代でもあった。
特にフランスでは、「外科手術」にも例えられた大規模な都市改造が行われ、中世以来の面影を残していたパリは、整備された近代都市へと生まれ変わった。そんな新しい都市の姿、そしてそこに住まう人々の生活は、19世紀後半、印象派の画家たちによって、積極的にテーマとして取り上げられた。
そして、最先端の美術を学ぶため、フランスに留学していた北欧の画家たちもその影響を大いに受け、「同時代の身近な生活」というテーマは、北欧美術の中にも取り入れられた。
エウシェン王子は、もとはスウェーデン王オスカル2世の末子として生まれた。1787年~89年にパリに留学し、20世紀初頭には風景画家として、スウェーデンを代表する存在となった。
〈工場、ヴァルデマッシュウッデからサルドシュークヴァーン製粉工場の眺め〉は、1905年に彼が移り住んだ、郊外の邸ヴァルデマッシュウッデから見た対岸の風景を描いたものである。
時刻は夜。海を挟んだ向こうに工場が聳え立っている。手前に浮かぶ二艘の船と比べても、なんと巨大に見えるだろう。薄闇の中、一つの塊と化した建物の群は、内部に灯された人工の光によってオレンジ色を帯び、中央左寄りに突き出た煙突からは、濃い色の煙が噴き出し、空へと広がっている。その様は、巨大な怪物が蹲り静かに息をしているのにもたとえられよう。
一方、工場が揺らめく海面に映りこむ様を、長めのストロークを重ねて表現する手法は、モネの〈印象・日の出〉にも通じるものを感じさせる。
都市を描いた風景画の中でも、この作品のような薄明の景色は、特に1890年代からは、「北欧の典型的な風景」として、多く描かれるようになった。
フランスの印象派をはじめ、都市を題材にした絵は多いが、そこに「神秘的」な趣を見いだし、作品へと昇華させるに至ったのは、「独自の感性」が、時間をかけて育ったことの証とも言えるだろうか。
身近な風景と向き合うことから始まった北欧美術は、地域独自の伝承や同時代の都市生活などへと裾野を広げながら発展していった。1900年前後には「黄金期」を迎え、西洋美術史全体から見ても大きな存在であるエドゥアルド・ムンクをはじめ多くの優れた巨匠が、輩出された。
ここで紹介できたのは、そのうちのわずか2、3人に過ぎない。が、展覧会場では、より多くの画家たちの作品と出会い、北欧美術の奥深さを体感できるだろう。是非、足を運んでみて欲しい。
展覧会情報
展覧会名 | 北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画 |
会期 | 2024年3月23日(土)~ 6月9日(日) |
会場 | SOMPO美術館 |
休館日 | 月曜日(ただし4月29日、5月6日は開館 振替休館なし) |
展覧会ホームページ | https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2023/magic-north/ |