日本からフランスに飛び出した「出る杭」松井守男画伯がトップで居続ける秘訣とは?

世界トップクラスの芸術家が集まるフランス。その第一線で、1人の日本人画家が50年以上も生き抜いてきたことは、日本ではあまり知られていません。

その画家とは、松井守男(まつい・もりお)さん。1942年に愛知県豊橋市で生まれ、1967年に武蔵野美術大学を卒業しパリに留学。以来、フランスで制作を続けています。その功績ゆえ、フランス政府から芸術文化勲章、レジオンドヌール勲章を受章されました。

《マツイブルー》2020年 キャンバスに油彩 97×130cm

青く見えた太陽を描いた作品。著書『夕日が青く見えた日』で「私たちは、目を凝らさないといけない。固定観念を取り払って。既成概念を覆して。大事なものを見落としているかもしれないのだ」と語っている。

しかし2020年2月に日本に一時来日してから、コロナ禍で戻れなくなってしまったとのこと。「早く帰ってこないとアトリエを爆破するぞ」とは冗談ですが、そう言われるほどフランスが必要としている画家です。

そんな松井さんが日本に留まるのは、この機会に日本でやりたいこと、日本人に伝えたいことがあるから。噂を聞き付け、松井さんの作品がある神田明神に飛んでいき、お話をうかがいました。

ビル街に出現した鎮守の森

《光の森》2018年 キャンバスに油彩 250×1000cm/神田明神文化交流館 「EDOCCO」令和の間にて撮影。窓から差し込む光が透過するため、季節や天候、時間によって作品の表情が変わる。周辺には高層ビルが建つが、神社を囲む鎮守の森を想起させる。

――神田明神に奉納された《光の森》は横10メートルで、とても大きい作品ですね、部屋の横幅いっぱいです。

松井守男さん(以下、「松井さん」と表記):普通、日本では部屋に合わせて絵を選ぶでしょう。そうではなくて、絵のサイズに合わせて部屋が作られたんですよ。

――(序盤からスケールの大きい話が飛び出し、筆者絶句)……窓辺に飾ると、光が透過して美しいですね。

松井さん:薄いキャンバスに、わざと小さな穴を開けています。「先生、修復しなきゃ!」と言われますが、これは特別なんですね。

《光の森》(部分)

――作品は固定されておらず、カーテンのように出したりしまったりできる仕組みなんですね。

松井さん: 動かすと絵具がだんだん剥がれてくるから、今見ている作品と100年後、1000年後の作品は違います。剥がれる作品は自分が最初だと思っていましたが、バンクシーが先にやっていました(笑)穴が開いているのも自分が最初だと思ったのに、日本の巻物も湿気に耐えられるように穴が開いています。本当の意味で一番になるのはこれからですね。で、一番になって天国に行ったら、100番目だったりして(笑)

まだ誰もやっていないことをやりなさい

《ル・テスタメント ー遺言ー》1985年 キャンバスに油彩 215×470cm/細い筆による線が横4メートルを超えるキャンバスを埋め尽くす作品。完成までに約2年半を費やし、類を見ない新しさ、美しさからフランスのアート界で「光の画家」として認知される。

――ご謙遜を。《遺言》で「光の画家」として認められ、松井さんはフランスで唯一無二の立場を築いていらっしゃいます。

松井さん:フランスには、昔からの貴族、難民、いろんな人がいます。職業に貴賤はないし、自分が最高のものを見せるだけです。パリの美術学校で最初に教えられたのは、絵を丸めても絵具が落ちないようにすること。アートは心で楽しめるだけでなく、財産でもあるから、革命や戦争のときに持ち運べないといけないんです。僕はこの考え方も日本に伝えたい。次に、誰もやっていないことをやりなさい、と教えられた。日本だと、弟子は先生について先生と同じように描きますが。それで弟子が先生を超えると、いじめられちゃったりして。

神田明神に奉納された作品の展示風景

――松井さんの作風はひとつに決まっておらず、いろいろな描き方をされますよね。何か理由はありますか?

松井さん:有名になって同じような絵しか描かなくなったら、フランスでは「お前は怠けているのか」と言われてしまいます。でも、自分に素直だったら変わるのが自然でしょう? 10年前の自分と今の自分は違うんだから。

《アヴニール ー未来ー》2021年 キャンバスに油彩 92×73cm

――日本人は、変化を恐れるような傾向があると思います。松井さんは日本人に対してどう思われますか?

松井さん:日本人はハラハラして人の目を気にして生きている感じ。僕はそれをフランスで直されました。僕も学生の頃は気にしていたんですよ(笑)日本でもフランスでも酷いいじめ(※)に遭いましたが、僕には絵がついていてくれたから平気だった。それに、「お前を悪く言う人は、お前を知らずに悪く言っている」と言われました。人の目を気にする態度を変えないと、本当の意味での個人・個性は出てこない。それが最初の教育だと思いますね。

※学生時代は嫉妬によるいじめが酷かったそうで、学生ビザでフランスに入国した記録を消されるなど、いじめもスケールが違います。

《光の森》2018年 キャンバスに油彩 250×1000cm/神田明神文化交流館 「EDOCCO」令和の間にて撮影。室内の照明を使って順光で見ると、逆光で見たときとは異なる印象に。

――子どもたちに絵を教える機会も多いと思います。どんな風に個人・個性を引き出すのですか?

松井さん:「利き手でないほうの手で描いてみなさい」と言いますよ。うまい・へたなんて気にしなくなります。自信になるんです。

――簡単なことで呪縛から逃れられるんですね!

松井さん:日本でうまいと言われている子のほうが、世界では通用しません。ダメと言われている子のほうがいい。日本では先生が個性を消してしまうことがありますから。

――教育や大人の先入観の問題もありそうです。

松井さん:大人はもっと凄いですよ。海と山と空を描くと、雲は灰色、山は緑。風景を見ないで描いているんです。その大人が子どもに、うまく描けとか言うんだから。恐ろしいですよ。

捨てる神あれば、もっと素晴らしい拾う神あり

2021年7月23日に行われたリトアニア大使館による文化イベント『絵画と音楽の融合 - 松井守男画伯とジドレ・オヴシュカイテさんのパフォーマンス』にて即興で制作する松井守男さん

――松井さんには他人からの意地悪を跳ねのける強さがあると思います。どうすれば松井さんのように生きられますか?

松井さん:京都で美大生と話したとき、「パリには行きたいけど、どうやって生活するんですか?」という質問が出ました。僕の頃はそうじゃなかった。もうがむしゃらにやった。そうすると、目をつけてくれる人が絶対に現れるんです。人間は何億人もいます。変な人もいるし酷い目に遭うこともあるけど、頑張っていれば、その直後に素晴らしい人が現れる。捨てる神あれば、もっと素晴らしい拾う神ありですね。

――なるほど、「もっと素晴らしい拾う神」ですか。そうはいっても、将来に不安を抱く人は大勢います。最後に、松井さんから楽活読者に向けてメッセージをいただけないでしょうか?

松井さん:僕はもう有名になりたいとは思わない。本当に頑張っている純粋な人たちを手助けしたいです。それと、不幸が起きたほうが、良いことが起きるんだなという実体験があります。不幸よ来いとは思わないけど、逆に励みになりますね。そうじゃない若い人もいるから、何とか僕の生き様を見せたいです。よく「どうしてうまくいくんですか?」と聞かれるけど、そうじゃない。頑張っていればいいんです。

インタビューを終えて

松井守男さんと筆者

売れた絵を丸めてパリからミラノに列車で運んだこと、ピカソから「お前は太平洋から来たから、明るいブルーを描け」と言われたことなど、規格外のお話がバンバン飛び出す、刺激的なインタビューでした。

やはりと感じたのが、「出る杭は打たれる」こと。松井さんも強く打たれてここまで来た方です。

しかし、逆境を乗り越えた経験を自慢することなく、「捨てる神あれば拾う神あり」と話す様子はとても謙虚でした。天狗にならず努力を続けるから、周りにも良い人が集まってくるのではないでしょうか。

著書『夕日が青く見えた日』

個性を大切にすること、どんな環境でも頑張ることなど、松井さんが画家生活で培った「よく生きる秘訣」は、最新の著書『夕日が青く見えた日』で詳しく語られています。酷い嫌がらせのあと、運命を動かす人々と出会ったことも、この記事より詳しく興味深いです。

1日1日を一生懸命に生きることは、喜びにもつながるはず。みんなと同じを好む典型的な日本人の価値観に、「そのまま死んでいくのでいいの?」と揺さぶりをかける1冊です。

松井さんの作品がある神田明神

神田明神に奉納された作品の展示風景

松井さんは神田明神に作品を奉納されており、神田明神文化交流館「EDOCCO」で作品を拝見しました。御祈祷などで参拝する方は、松井さんの作品が飾られる通路を通るそうです。

絵画:松井守男《Blue・Bleu・ブルー》、立体:宮田亮平《二の宮・少彦名命「えびす様」》

《Blue・Bleu・ブルー》は施設の外からでも見られます。館内の「EDOCCO CAFÉ MASU MASU(江戸っ子 カフェ マスマス)」のかき氷が美味しい、と松井さんもおっしゃっていましたし、神田明神への参拝時に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

松井守男さん・プロフィール

1942年、豊橋に生まれる。武蔵野美術大学造形学部油絵科を卒業と同時に、フランス政府給費留学生として渡仏。パリを拠点に制作活動を始め、アカデミー・ジュリアンやパリ国立美術学校に学び、ピカソとの出会いに大きな影響を受ける。細かなタッチを面相筆で大画面に重ねて描く画境を確立し、西洋でも東洋でもない全体とディテール・すべてから精神、生命、光を発する抽象画で、現地で高い評価を得るに至る。

2000年にはフランス政府より芸術文化勲章、2003年にはレジオンドヌール勲章を受章し、2005年に「愛・地球博」 のフランス・ドイツ共同パビリオンの公式作家、2008年には日仏友好150周年記念展シャネル・ネクサス・ホール(東京・銀座)や長崎の大浦天主堂などの史跡で個展を開催。

2008年に長崎県五島列島の久賀島を訪れ、その自然の光と歴史に心打たれ、以来同地にもアトリエを構えコルシカと日本の双方に制作拠点を構えている。2011年 東日本大震災後は、日本復興への祈りを込めて「HOPE JAPAN」、世界に誇るべき日本のエスプリを伝えようと「大和魂!」のシリーズを制作し、絵画世界の新たな次元に挑戦中。

公式HP:https://moriomatsui.com/en/

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同日に明菜さんが別の切り口で松井守男さんにインタビューした記事が、「イロハニアート」さんに掲載されています。こちらの記事もぜひお読み下さい!(追記:楽活編集部)

今を楽しめ!「アートは生きる喜び」と語る松井守男画伯の生き方
https://irohani.art/interview/4652/

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