
東京・原宿にある太田記念美術館で5月25日まで開催中の展覧会「没後80年 小原古邨 ―鳥たちの楽園」では、明治から昭和初期にかけて活躍した画家・小原古邨(おはら こそん、1877-1945)の作品世界にふれることができます。

国内では長らく無名だった古邨ですが、近年、その繊細な木版画作品が再評価されつつあります。本展は6年ぶりの大規模な回顧展となっており、前期・後期あわせて134点の作品を紹介。うち36点は初公開作品となっており、過去に展覧会を訪れたことのある人にとっても、新たな発見のある内容となっています。
海外で知られ、日本では知られていなかった画家
小原古邨は、石川県金沢市に生まれ、日本画家の鈴木華邨に師事して花鳥画を学びました。明治30年代には木版画の世界に転じ、松木平吉や秋山武右衛門といった版元のもとで、木版画による花鳥画を中心に数多くの作品を制作しました。
しかしその多くが、主に海外の市場向けに販売されたため、日本ではほとんどその存在が知られていませんでした。実際、古邨の名前は2000年代初頭まで美術関係の文献や辞典にもほとんど記載されておらず、専門家の間でも注目されていなかったのです。

その流れを変えたのが、2018-2019年に開催された茅ヶ崎市美術館と太田記念美術館での展覧会です。ほぼ同時期に開催されたことでメディアにも取り上げられ、多くの観客の関心を集めました。太田記念美術館でも、開館以来45年の歴史の中で一日あたりの入館者数が歴代2位を記録するなど、大きな反響を呼びました。
木版画とは思えない、水彩のような表現
古邨の木版画の最大の魅力は、その表現の柔らかさにあります。遠目にはまるで水墨や水彩で描かれたような淡い色調と、輪郭をぼかすような技法が多用されており、「本当にこれが木版画なのか」と思わされる作品ばかりです。

作品によっては、羽の細部や濡れた質感、雨粒のような繊細な線を再現するために、40〜50回以上の摺りを重ねたものもあるといいます。特に、雨の表現に関しては、細い線を彫る高度な技術や、ぼかしによるグラデーション表現など、江戸時代の浮世絵技法が進化した最終形のようにも見えます。

木版画が過去の技術となりつつあった明治後期においても、古邨はなおその可能性を信じ、丁寧に、そして果敢に新たな表現を模索し続けました。その姿勢は、今もなお深い感銘を与えてくれます。
花鳥たちのいのちが息づく作品群
本展では、作品をテーマ別に展示しています。「花樹と鳥」「雨に濡れる鳥」「雪景色のなかの鳥」「鳥の家族・つがい」「水辺の鳥」「動物」など、季節や生態にあわせた構成で、自然の命の姿が浮かび上がります。
《桜に烏》では、夜のように暗い背景に白い桜の花が浮かび、そこに黒いカラスが配置されています。一見、不吉に思われがちなモチーフながら、古邨の描くカラスには落ち着いた品格が感じられ、静かな風情をたたえています。

《雪松に鷹と温め鳥》は、冬の寒さのなか、鷹が自らの腹を温めるためにスズメを抱え込むという伝承をもとに描かれた作品です。夜のあいだ、鷹はスズメをその体に引き寄せてぬくもりを得て、翌朝にスズメを放してやったといわれています。
さらにこの話には続きがあり、鷹はその翌日、放したスズメの飛び去った方向には決して狩りに出かけなかったとも伝えられています。画面全体に漂うぬくもりと静けさからは、命の共存と自然への敬意がやさしく伝わってきます。

一方、《踊る狐》では、蓮の葉を頭にのせ、片足をあげて踊るような姿の狐がユーモラスに描かれています。通常、古邨は動物たちを写実的に表現することが多いのですが、この作品では擬人化されたような愛らしい仕草が印象的です。なお、本作は前期に試し刷り版、後期に完成版が展示される予定で、版画の制作過程にも触れることができます。

花鳥画という伝統の中に生きる
展覧会の最後には、葛飾北斎、歌川広重、河鍋暁斎、渡辺省亭といった江戸から明治にかけての花鳥画が展示されています。古邨の作品は、それらと並べられることで、浮世絵花鳥画の伝統の中にしっかりと位置づけられていることがわかります。

「浮世絵」と聞くと、人物や風景を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、実は花鳥画は浮世絵史上もっとも長く描かれ続けたジャンルのひとつです。日本人にとって花や鳥は、自然を愛でるまなざしを通して、自らの暮らしや季節の変化を感じ取るための象徴でもありました。

古邨の作品は、その流れの中で「最後の輝き」とも呼ばれるべき存在です。技術の粋を集め、自然のいのちに寄り添いながら描かれた作品の数々は、今日の私たちの心にも静かに語りかけてきます。
おわりに
鳥の姿や動物たちのふるまいには、言葉にできない愛おしさがあります。小原古邨は、それらを驚くべき技術と静謐なまなざしで描き出しました。写実的な正確さよりも、観察する眼差しと心のやわらかさに重きを置いた作品たちは、現代を生きる私たちにも、あらためて自然との向き合い方を問いかけてくれているようです。
開催概要
展覧会名 | 没後80年 小原古邨 ―鳥たちの楽園 |
会場 | 太田記念美術館 |
会期 | 2025年4月3日(木)~5月25日(日) 前期 4月3日(木)~4月29日(火・祝) 後期 5月3日(土)~5月25日(日)※前後期で全点展示替え |
開館時間 | 午前10時30分~午後5時30分(入館は午後5時まで) |
休館日 | 月曜日(5月5日(月)は開館、5月7日(水)は休館) 展示変えのため、4月30日(水)〜5月2日(金)は休館 |
入館料 | 一般 1000円、大高生 700円、中学生(15歳)以下 無料 ※中学生以上の学生は学生証をご提示下さい。 ※障害者手帳提示でご本人とお付き添い1名さま100円引き。 ※その他各種割引についてはお問い合わせください。 ※料金は消費税込み。 |
美術館ウェブサイト | https://www.ukiyoe-ota-muse.jp/80oharakoson/ |