幕末以降、産業立国を目指した日本の近代化とともに歩んできた港湾都市・横須賀。三浦半島の先端に位置し、風光明媚な海辺の美しい風景を保ちながらも、東京湾の玄関口として製鉄や造船、そして軍港の街として栄えてきました。
そんな横須賀市には、自然や産業、そして歴史にまつわる見どころが満載。美しい海景をバックに、幕末以降の歴史名所を巡るハイキングや街歩きはやみつきになります。
しかし、東京の下町や横浜、あるいは熱海や伊豆半島などに比べると、まだまだ三浦半島の魅力は多くの人に知られていないのが現状かもしれません。そこで横須賀市ではここ数年、広大な市内全域をひとつの「ミュージアム」と見立てた『ルートミュージアム』構想を立案。市内に点在するフォトスポットや歴史名所、産業遺産巡りを訪問者自らがカスタマイズして組み立て、気軽に楽しめるための基盤づくりを目指してきました。
その中核となる施設が、今回ヴェルニー公園内に新たに作られた「よこすか近代遺産ミュージアム ティボディエ邸」なのです。
今回、楽活では5月29日午後から待望のグランドオープンを迎えたティボディエ邸を徹底取材。同館ゆかりの日・仏・米の3カ国の来賓を迎えたオープニングセレモニーの様子を含め、じっくりとご紹介したいと思います。
「よこすか近代遺産ミュージアム ティボディエ邸」とは?
ティボディエ邸は、横須賀港を臨む海辺の憩いの場「ヴェルニー公園」の中に2021年5月29日にオープンしたアットホームなミュージアム。最北端にある「ヴェルニー記念館」に次いで、ヴェルニー公園内にオープンした2つ目の展示施設となります。
公園内の案内板で、位置関係を確認しておきましょう。
よこすか軍港めぐりの乗船場や、コースカベイサイドストアーズに近い、庭園に囲まれた南側の敷地内に新設されました。電車で来るなら最寄り駅は京急汐入駅。車で来るなら、ヴェルニー公園の専用駐車場に停めるか、コースカベイサイドストアーズで買い物をするついでに立ち寄ってもいいですね。
さて、今回この公園内に建てられた「ティボディエ邸」とは、旧横須賀製鉄所副首長ジュール・セザール・ティボディエ(1838-1918)が住んでいた官舎を復元した建築物です。
幕末の開国後、日本では欧米列強に対抗するため、工業力・軍事力の向上が急務となりました。そのために当時の勘定奉行・小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)らを中心に構想され、1865年頃からフランスの技術を導入して立ち上げられたのが横須賀製鉄所でした。その中で、シェルブールの造船学校を優秀な成績で卒業したティボディエは、日本人に造船技術を伝えるためのトップレベルの造船技師として来日します。
彼は日本人技術者を養成するために設置された「黌舎」(こうしゃ)での教育に従事するとともに、1869年には横須賀製鉄所の副首長に就任。
そこで、専用官舎が現在は在日米海軍横須賀基地内にある小高い丘の上に建てられました。それが、旧ティボディエ邸です。以来、旧ティボディエ邸は日本におけるコロニアルスタイルで建てられた屈指の西洋館建築として高い評価を受けていましたが、2003年には老朽化等によって惜しまれながらも一旦取り壊されることになりました。
そこから紆余曲折を経て、約20年後の2021年5月29日についに復活。資料館と観光案内所の機能を併せ持つ市民ミュージアムとして、前回の解体時に保管されていた建築部材を一部取り入れる形でヴェルニー公園内に復元されたのです。
(ちなみに、横須賀製鉄所で首長を務め、彼の上司だったのが、ヴェルニー公園の名前の由来にもなったフランソワ・レオンス・ヴェルニーです。ヴェルニーやティボディエは横須賀製鉄所の運営が日本人の手に移った1875年以降フランス本国に帰国しますが、その2年後、ティボディエとヴェルニー婦人の妹・ナタリはパリで結婚。異国の地で寝食を共にした絆は、帰国後もますます強くなったのですね!)
2021年5月29日午後、ティボディエ邸がグランドオープン!
さて、オープンとなった2021年5月29日(土)正午に先立って、午前中には日・仏・米のVIPを招いてのオープニングセレモニーと内覧会を実施。上地克明市長による力強い式辞は印象的でした。
上地市長は、横須賀再興の柱の一つとして、海洋都市・横須賀の地域資源を最大限活用するための重要な施策を推進するための一丁目一番地がこの「ティボディエ邸」である、と強調。アフターコロナを見据え、ルートミュージアム構想を推進し、横須賀での交流人口の増加に寄与するための最重要な施設として、ティボディエ邸を位置付けていると説明してくれました。
その後、テープカットに進みます。
テープカットでは、上地市長をはじめ、駐日フランス大使フィリップ・セトンさんや、横須賀基地司令官リッチ・ジャレットさんら錚々たるメンバーが揃い、日・仏・米3カ国の友好的なムードの中、厳かに式典が進んでいきました。
気になる館内の見どころは?
さて、それではいよいよティボディエ邸の館内の様子をじっくりとご紹介していきましょう。
見どころ1:デジタル映像を交えた、ビジュアル満載のパネル展示
まず館内に入って驚かされたのが、デジタル展示の充実ぶりでした。エントランスを入ると、正面には大きな液晶モニターが、そしてその手前には巨大なタッチパネルが鎮座しています!
また、館内をざーっと見ていくと、解説パネルによる展示の中にCG動画や画像を紹介するモニターが埋め込まれていたり、実物展示のすぐ横にデジタルディスプレイが設置されているなど、デジタル展示を駆使して情報が整理されていることに気づきます。写真や実物に加えて、こうした動画による解説があると興味が持続しやすいし、理解度が上がるので、こういった工夫は大歓迎です!
さらに、もっと横須賀のルーツについて学びたい人のために、毎時00分には『横須賀造船所めぐり』をシアターで上映。こちらは、同館唯一の有料コンテンツです。(といってもわずか200円ですが……)CGなどを駆使して制作された往年の横須賀造船所の様子を中心に、軍港の街として発展してきた横須賀の歴史を楽しく学べるようになっていました。
見どころ2:横須賀製鉄所からはじまった技術や文化がわかるレア資料群!
さて、館内にあるのはパネル展示だけではありません。横須賀から日本全国へと伝わっていったとされる技術や文化、歴史などが、貴重な資料群を用いて紹介されています。いくつか見ていきましょう。
まず、「なんだこりゃ」とちょっと面食らったのが、この何の変哲もない1本のネジ。ですが、このネジには、日本の開国史に纏わるストーリーがしっかり込められていたのです。
実はこのネジ、日米修好通商条約が1858年に締結され、その批准のためにワシントンへと派遣された77名の日本の使節団の一人であった小栗上野介が、アメリカの海軍造船所を見学した時に持ち帰ったものなんです。何度も視察を繰り返す中、小栗は日本でも工業力の強化のため、製鉄所(造船所)の建設の必要性を幕府に説くようになったとされます。
小栗が生涯大切にとっておいたこのネジこそが、彼の殖産興業へ賭ける強い思いを支えていたのだろうと思うと、ちょっと感慨深いですよね。
さて、そんな小栗が構想し、維新後は明治政府によって運営強化が図られた横須賀製鉄所ですが、横浜開化絵のような上空から俯瞰した大判の木版画が残されています。操業開始後約20年で、田舎の港町が、製鉄所・造船所・ドックなどを備えた一大工業基地へと変貌していることがよくわかりますね。
今は米軍基地内にあるいくつものドライドック。ドック内の壁面は石造りで(異様に石のサイズが大きいですが)、排水用のポンプ所も丁寧に描かれています。ドックの内外は土塀で仕切られ、あたり一帯が「船渠職場」と今では耳慣れない単語で書かれていますね。
こちらには、山を貫通するトンネルも複数描かれています。急峻なガケも多い三浦半島の険しい地形ならではの光景かもしれません。それにしても「トン子ル」という表記が時代を感じさせますね。
また、展示室内には、横須賀から日本全国に伝わっていったとされる、横須賀発祥の文化や歴史、技術などが強調されたオリジナリティあふれる展示が見られます。いくつか見てみましょう。
こちらは、メモリのテーブルの片面が「尺」、もう片面が「メートル」となっている、日仏どちらの単位でも長さを計測できるようにした珍しい巻き尺。フランスの技術を導入して運営された横須賀製鉄所でしたが、当時まだフランス直伝の「メートル法」に馴染みの薄かった日本人にとっては、便利な道具だったでしょうね。歴史の重みを感じられるアイテムです。
続いては、横須賀造船所の見学用パンフレットです。今でこそ、各地の産業遺産ツアーやメーカーなどの工場見学は庶民の観光メニューとして当たり前のものになりましたが、そもそも近代的な工場すらなかった約150年前では、非常に珍しかったのではないかと思います。
工場内で稼働する巨大なクレーンやスチームハンマーを目の当たりにした当時の観光客は、パンフレットにはさぞ興奮したでしょうね。(多分、今見ても驚くはず)
さて工場見学に来たら、お土産も買って帰らなければなりませんよね。そういうところは当時から上手くできていたようで、明治時代から横須賀ではちゃんとお土産業界が発達していたようです。こちらは、当時の軍港巡りツアーに訪れていた観光客向けに売られていた饅頭の包み紙です。
また、横須賀は、現在でもYRP(横須賀リサーチパーク)が日本屈指の研究開発拠点として存在感を示すとおり、戦前から日本の電波無線通信技術開発のメッカでもありました。
こちらは、当時の潜水艦での使用を目的に開発された、長波・中波・短波などあらゆる電波受信に対応した「全波受信機」。高い受信感度、戦闘時の雑音下でも良好な受信性能を発揮したため、海軍のあらゆる部隊で活用された名機とされます。横須賀で開発されて、日本中へと広まっていきました。
その他にも、横須賀製鉄所のお雇い外国人と共に日本に伝えられたフランス料理のルーツや、戦前の凄腕シェフが開発したフランス料理のフルコースレシピなどが紹介されています。今ではすっかり「よこすか海軍カレー」で有名になりましたが、元々はフランス料理の街でもあったわけですね。
見どころ3:150年前の西洋館の雰囲気を伝える復元建築!
ティボディエ邸は、建築ファンが訪れても楽しめる場所になりました。
2003年まで米軍基地内にあった旧ティボディエ邸は、日本における明治初期に建てられたコロニアル形式の洋館として有名でしたが、今回の復元建築では、別の場所に大切に保管されていたオリジナルの建築部材の一部が建物内に展示されています。
まず、入口を入るとすぐに気づくのが、天井を覆っている木造のトラス部材です。
こちらは、実際に建物を支えているわけではなく、あくまで現代工法で建てられた構造の上に「展示装飾」として載せられているだけなのですが、それでも雰囲気は十分。約150年の風雪に耐えてきた、傷みの目立つくすんだ焦茶色の木材を見ていると、歴史の重みを実感できるでしょう。
さて、旧ティボディエ邸で導入された当時の日本にはなかった秘密兵器が、こちらの「木骨れんが造」の技術でした。こちらは、フランスから直輸入され、日本ではじめて横須賀製鉄所に伝わりました。
「木骨れんが造」 は火に強く、地震の多い日本に対応するために採用されたといいます。火事に対しては赤レンガで対抗して、地震に対しては取り扱いが容易な木造で対応するという「いいとこ取り」のコンセプトだったようです。こちらも、旧ティボディエ邸で実際に使われていた木材とレンガの実物が展示されています。
嬉しいのは、旧ティボディエ邸の建物の全体像が、CGで再現された映像展示などでわかりやすく解説されていたこと。子供でもわかるように、しっかりとふりがなが振られています。
また、建物の壁面の色、壁紙のデザイン、調度品などの内装も見どころの一つ。残されている当時の資料からできる限り復元を試みたとのことです。ちょっと疲れたら、いすに座って休憩することもできます。
建物外周のベランダ部分には、たくさんのいすとテーブルが用意されていました。ひさしのついたベランダ部分がゆったりと張り出しているのは、コロニアル様式の建物の特徴。直射日光を浴びることなく、気持ちよく海を眺めながらのんびりできそうです。コロナ対策にもいいですね!
資料館だけじゃない!観光案内所としての強力な機能を持つティボディエ邸
さて、ここまでは、ティボディエ邸の「歴史資料館」「ミュージアム」としての側面を紹介してきました。しかしこの施設は、資料館としての機能を持つだけでなく、横須賀市全体の観光をスタートする起点となる「観光案内所」としての機能も持たされているのが特徴なんです。
少し冒頭で触れましたが、現在横須賀市では、市内全域を一つの大きな「博物館」と見立てて、市内を訪れた外部の観光客に、市内各所に点在するサテライト(観光スポット)を自分自身で自由に見学経路を組み立てて楽しんでもらおう、という「ルートミュージアム構想」という考え方が推進されています。
これは凄く理にかなった方策だと思うんですよね。
というのも、横須賀市は、どこを歩いてもどのエリアを切り取っても、「自然」「歴史」「産業」の香りが漂う風景に出会えるのが特徴だからです。街歩きしたい人、ハイキングしたい人、海で遊びたい人、それぞれ目的は違えど、本当に多彩な楽しみを提供してくれる場所だと思うんです。
でも、これまではそんな横須賀市の多様な魅力を効果的に伝えられるサービスや拠点がなかったんですね。そこで構想されたのが、近代遺産を中心とする横須賀の観光スポットのガイダンスセンターとしての「ティボディエ邸」だったというわけなんです。
その横須賀市の「ルートミュージアム構想」への意気込みは、今回のティボディエ邸を見て、十分に伝わってきました。たとえば、エントランスエリアに設置された、巨大な液晶タッチスクリーンの「デジタルマップ」です。
こちらは、同時に3人まで使える、縦約1.5mぐらいある巨大なタッチスクリーン。液晶画面にタッチすると、テーマ別に横須賀市の様々な観光スポットを迫力のビジュアルで案内してくれます。キビキビした画面遷移も好感が持てました。
操作性も非常に優れていました。テーマ別、エリア別、観光コース別に整理された情報を、地図上に出てくる写真を手で触れて画面を開いていくことで、自分の興味のある観光スポットまで簡単にたどり着くことができました。これならIT機器に苦手意識がある人でも大丈夫です。
特にオススメなのは「テーマ別」での検索。全11テーマに分かれて整理された横須賀市の観光スポットを、ゲーム感覚で楽しみながら直感的に見つけられます。オープン日当日も、多くの子供がタッチパネルに夢中で触っていたのが印象的でした。
このデジタルマップ上で行きたいスポットをピックアップしたら、今度は、デジタルマップのすぐ側のテーブルに置かれている「サテライトカード」を手に取って、自分の行きたい候補地をキープしましょう。
各サテライトカードには、表側に写真、裏側にはその観光スポットの解説及び「ルートミュージアム」Webサイト上の詳細ページへと飛べるQRコードが配置されていました。
そして、サテライトカードをいくつかいただいて、行きたい候補地のピックアップが完了したら、今度は横須賀市謹製の「ルートミュージアムマップ」をもらって、このマップ上で経路を確認していきましょう。
このマップもサテライトカード同様、非常にスグレモノでした。蛇腹状に折りたたまれ、胸ポケットなどに入るコンパクトなサイズに調整されているのですが、展開してみるとかなりの大きさに!
マップ上には、館内のデジタルマップ同様、テーマ別、エリア別、観光コース別に各サテライトが整理され、横須賀市全域の地図や主要交通機関の交通アクセス、ルートミュージアムの使い方などが印刷されていました。
本当にこれ、無料でいいの?っていうくらいの優れたクオリティです。極限すれば、これ一つあれば横須賀観光は間に合っちゃうかも……というレベルでした。同館を訪問したら、ぜひ記念に一ついただいていきましょう!
他にも、市内各地の観光施設案内のパンフレットがしっかりと整理されて陳列されていました。サテライトカード同様、こちらもコンパクトなサイズで統一されているのが嬉しいですね。
ちなみに、館内のデジタルマップだけでなく、ティボディエ邸オープンに合わせて5月26日に開設された「横須賀市ルートミュージアム」公式サイト上でも、観光スポットが同様のコンセプトで整理・公開されています。つまり、ティボディエ邸を離れても、自分自身のスマホ上で、後日ゆっくりとルートミュージアムを楽しめるということなんです。
Webサイト版では、気になるサテライトを「キープリスト」に入れたり、サテライトの位置関係がわかる地図をダウンロードできるような工夫もなされています。こちらのWebサイト版もかなり使い勝手良くまとまっているので、ぜひ合わせてチェックしてみてはいかがでしょうか?
横須賀市ルートミュージアム
https://routemuseum.jp/
近代の歴史遺産満載の横須賀観光が楽しくなるティボディエ邸、おすすめです
ここまで内覧会を取材して得られた情報を元に、ティボディエ邸をご紹介してきましたが、小さな平屋建てのミュージアムながら、展示内容や得られる観光情報は、質・量ともに非常に中身が濃く、ルートミュージアム構想も非常に優れた取り組みだと感じました。これがほぼ全て無料で提供されているとは本当に驚きです。
いよいよ本格的に観光振興に本腰を入れて取り組み始めた横須賀市の本気度が伝わる、非常に優れた施設です。観光だけでなく、買い物や仕事のついでに立ち寄ることができる好立地なのもいいですね。
今後、さらに現在整備中の歴史遺産なども一般公開が決定したり、公開の検討が進んでいるとのこと。これらの情報も、ティボディエ邸に行けば随時最新情報を得られるはず。ぜひ今後は横須賀観光のお供に、定期的に訪問してみたいですね。おすすめです!
関連情報:「よこすか近代遺産ミュージアム ティボディエ邸」
所在地:〒238-0042 神奈川県横須賀市汐入町1丁目1 ヴェルニー公園内
開館時間:9:00~17:00
休館日:年中無休
入館料:無料(※シアターには一部有料コンテンツあり)
URL:https://thibaudier-yokosuka.com/
横須賀市ルートミュージアム
https://routemuseum.jp/