まるで古代遺跡?秘境感漂う産業遺産「浦賀ドック」へ潜入取材!【浦賀ドック取材レポート前編】

古くは鎌倉時代以来、軍港や国内中継貿易の重要な拠点として栄えてきた横須賀市・浦賀エリア。この浦賀には、幕末から戦前期にかけて作られた砲台跡に代表される軍事遺産や、幕末の志士・中島三郎助(なかじまさぶろうすけ)、榎本武揚、または2021年度NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一ゆかりの歴史史跡などが点在しています。

様々なご縁から、楽活で横須賀での取材を重ねるうちに何度か足を運ぶことになった浦賀ですが、正直なところ、僕の中での浦賀に対する知識は、歴史の教科書で読んだ「ペリーが黒船で来航した場所」という程度しかありませんでした。

しかし、この浦賀という場所、知れば知るほど鎌倉時代以降の歴史が重層的に積み重なった、非常に面白い場所であることがわかってきたんです。

折からの散歩ブームで、東京の下町や、横浜といったメジャーな場所は、すでにガイドブックやテレビなどで発掘され尽くしている感があります。でも、浦賀は……?というと、地元の人々も認めるように、観光開発もまだまだこれからの状態。歴史ロマンあふれる、知られざるお宝観光スポットが街中に点在しているんです。

そんな中、あるご縁から「浦賀の凄い産業遺産があるから取材しないか」とお声がけいただいたのが、今回ご紹介する明治時代の屈指の産業遺産「浦賀ドック」です。

「浦賀ドック」は、当時最先端の技術をフランスから導入して作られた、日本で唯一現存・公開されている大型船をメンテナンスするための乾ドック(水を抜いて船体を修理できる船の救急病院)です。今はもう使われなくなって20年以上経過する非公開の産業遺構を、地元浦賀の郷土史家・山本詔一先生に解説頂きながら特別に見せていただくことができました。

さっそく、たっぷりの写真とともにご紹介したいと思います!

浦賀ドックとは?どこにあるの?

浦賀ドックは、横浜横須賀道路の浦賀ICを下りて数分、京急浦賀駅からも徒歩10分程度と、浦賀の街の中心地を占める「浦賀造船所」の中にあります。2021年4月から浦賀ドックとその周辺の土地が横須賀市に寄付されましたが、僕が取材に訪れた当時は、まだ住友重機械工業株式会社の浦賀工場の敷地内にありました。

浦賀ドックの入り口には、横須賀市風物百選と銘打って『浦賀造船所』と書かれたこんな観光案内が。

じっくりと読んでみましょう。

……。ふむふむ。「浦賀ドック」というのは、いわゆる愛称なのですね。明治29年に、あの戊辰戦争・五稜郭の戦いで有名な榎本武揚らの提唱によって、今から約120年前となる明治30年(1897年)に操業を開始したとあります。

明治後期から大正時代にかけて、日本の重工業の花形といえば造船業でした。渋沢栄一の石川島播磨工業、岩崎弥太郎(三菱)の三菱重工業なんかは有名ですし、日本各地で”造船王”、”海運王”とあだ名される財閥経営者が多数輩出されたのもまさにこの時代。

そんな、海運・造船業が最も勢いのあった時代に、東京湾の玄関口という要衝に作られた巨大な船の修理基地が、まさに「浦賀ドック」だったということなのでしょう。

近代日本の産業立国を象徴するような、100年以上前の乾ドックがほぼ手つかずのまま残されているというのですから、これは否が応でも期待が高まります。早く見てみたい!

逸る気持ちを抑えながら、横須賀市の職員の方々と、地元浦賀の郷土史家・山本詔一先生と合流。満を持して、浦賀ドック内へと足を踏み入れることになりました。

明治時代にタイムスリップしたような、レトロで巨大なドックが出現!

かつて山があった場所を切り開いて作られた浦賀ドック。レンガの隙間から、地下水が湧き出しています。

さて、こちらが待望の「浦賀ドック」全貌です!

全長約180メートル、深さ約11メートル、幅約20メートルの巨大な乾ドックです。水は抜いた状態で管理されていますが、ところどころ赤レンガの隙間からは湧き水が浸水しており、コンクリートの底面は一部苔むして緑色に見える箇所も。

現役を引退して約20年が経過しているそうですが、かつては東京湾フェリーや青函連絡船といった民間船から、自衛隊の艦艇まで、様々な種類の大型船のメンテナンスが行われてきました。

ちょっとした廃墟感も漂う巨大ながらんどうの空間は、雰囲気抜群。微妙に風化の始まったような風合いの赤レンガ造りの巨大な土木構造物は、まさに日本の近代化を支えた堂々たる産業遺産といえるでしょう。

あまりにもサイズが大きいため、手持ちの一眼レフでも広角のスマホでも全体像を上手く捉えきれません。そこで、とりあえず反対側に回ってみました。こちらは、海側から見た浦賀ドックの全体像です。上記写真の一番奥に、ちょうど大型船の船首(舳先)が収まるような構造になっています。

もう一度、船首側に戻ってみましょう。すると、照準器のような形状の、変わったスケルトン状の装置を発見。

これは何なのでしょう?早速、山本詔一先生に、謎の物体について質問させていただきます。

山本詔一先生(以下、「山本」と表記):この黄色いものは、船を中に引き入れる時に、センター位置をあわせるためのマークだったんです。かつてはこれに糸が取り付けられていて、糸の位置に船首のセンターをあわせることで、船の水平位置を調整していました。

ーすると、この照準を目印にして船の位置を中央に合わせながら、クレーンで船を曳航したのですか?

山本:昭和中期以降はそうです。それ以前は、クレーンではなく人力で引っ張りこんでいました。大きな綱を船体の両サイドにくくりつけて、人力で曳航するんです。船って、水に浮かぶと人の力でも引っ張ることができるんです。

周囲をぐるぐる回るだけでも圧倒されていたら、ここで山本先生から、「じゃあ、ちょっとドックの下へ下りてみますか」とのお言葉が。ええっ、いいんですか?!もちろん、見てみたいです!! …ということで、いよいよドックの奥深くへと、足を踏み入れていくことにいたしましょう。

激レア体験!浦賀ドック下に降りてドック内を歩いてみた!

現在、浦賀ドックはまだ一般公開用に整備されているわけではないので、イベントが開かれるときのために、閉鎖後に設置された来場者用の階段使って下へと下りていきます。非常に危ないので、階段の手すりはひときわ明るく目立つよう、明るい黄色でペンキが塗られています。

使われなくなって久しいドックですが、こうした手すりやボラードに関しては、塗装をきれいに保つなど最低限のメンテナンスが行われているのですね。

壁面のパターンに注目。元々フランスの技師を招聘して作ったためか、レンガも伝統的な「フランス積み」で積まれています。元々地盤が固い上、かなり奥までレンガ層が続いているため、度重なる地震なども難なく乗り切ってきたそうです。

この浦賀ドックの価値を高めている一つの大きな外見上の特徴が、明治時代にフランス式で積まれたレンガ造りのドック壁面です。日本で現存している100mクラスのドックでは、唯一現存・見学が可能なレンガ造りのドライドックなんです。

それにしてもなんとも言えない味の良さ。100年以上経過した自然な劣化に加え、長年の修理作業の間にこびりついたペンキ汚れや塗料などがかかった壁面は、まさに産業遺産らしい風合いを見せています。

山本:通常、明治30年代になると、東京駅や三菱一号館美術館などに代表されるように、レンガの積み方は「イギリス積み」といって、壁面の化粧面にレンガの長手(横長の断面)ばかりを並べた段と小口(短い方の断面)ばかりを並べた段を互い違いになるように積んでいくタイプが日本では主流になるんです。でも、浦賀ドックのレンガ積みは、横一列の中で、長手と小口が交互に現れるように積む「フランス積み」なんです。

―それは、やっぱりかなりレアなんですね?

山本:明治の30年代になっても、フランス積みで作られたのはかなり珍しいと思います。なぜ、「フランス積み」で造られたのか?という経緯などは良くわかっていません。

ーレンガはどこで造られたんですか?

山本:愛知県半田市です。今でもレンガ造りが続けられています。ちなみに、レンガの上にに載せられている石は、真鶴あたりで採れた硬い伊豆石が使われています。

ところで、ドックを下りていく途中で目についたのが、底面中央に等間隔にならんだ、巨大なコンクリートブロック(上には木材が載せられている)の一群です。これまた長年の風雨にさらされて、相当に風化が進んでいるようですが、一体何のために使われ、なぜこのまま放置されているのでしょうか。やっぱり山本先生にお聞きしてみました。

山本:この一列に並んだコンクリートは、「盤木」(ばんぎ)といって、船のベッドみたいなものですね。船を迎え入れて水を抜いたあと、船体を固定するため、盤木で船底のキール(竜骨部分)を支えるんです。ちゃんと固定されているかどうかは、水を抜く前に潜水夫がわざわざドック内に潜って確認していたんです。

もっと近づいて見てみましょう。コンクリートブロックの上に角材が載せられていますが、ぴったり一列に並んでいます。どの盤木も潮風と風雨でボロボロに劣化していて、現役で使うのは難しそうです。

ところで、どの盤木を見ても、下の方に、直径20cmぐらいの穴が開けられています。この穴は一体何のために開けられているのでしょうか?

山本:この盤木の穴は、クレーンで吊るして設置する時に引っ掛けるための穴なんです。フォークリフトじゃとてもじゃないですが重くて動かないので、岸壁に設置された両サイドのクレーンで、これから迎え入れる船の形状にあわせて、毎回数センチ単位の精度でぴったり縦一列に並べていたんです。

なるほど…!今もテレビのドキュメンタリー番組などで、たまにクレーン技術者の神業的な操舵術が特集されることがありますが、浦賀ドックでも、かつては「神の手」を持つ凄い職人さんが活躍していたのですね。

こちらは鉄製の作業用の階段。錆びて朽ち果て、今にも崩れ落ちそうになっています。これが100年の重みなんですね。

一方、ドック前方(海側)を見ると、何やらタイヤが取り付けられたクッションのようなものが。これは、ドックに入庫してきた船の船体が、ドックの壁面にぶつからないように取り付けられた緩衝用のタイヤバリアなのだそうです。こちらもいつ崩れ落ちてもおかしくない錆び方。

山本先生からお話を伺っている最中も、海水が排水される際の「ゴーッ」という音が時折聞こえていました。

さて、「浦賀ドック」は、いわゆるドライドック(乾ドック)と呼ばれる種類で、注水した状態でドック内に船を迎え入れた後は、ポンプで水を抜き、ドック内に水がない状態でメンテナンス作業が行えるのが特徴。

そのための排水装置もまた、下に降りるチャンスがあれば見ておきたいポイントの一つかも知れません。写真は、まさにドック内から水を抜くための排水溝です。鉄さびが浮いて、ボロボロになっていますよね。

ドックの外側に回ると、明治時代に作られた排水ポンプ施設がありました。パイプ部分も含めて、つい最近ペンキが塗り替えられているためか、とても100年前の施設には見えません。

しかし、なにもかもスケール感がでかい。この排水ポンプ施設だけでも、ゆうに一戸建ての住宅一棟分ぐらいの容積がありました。

朽ち果てた作業用のクレーンもド迫力!(※2021年3月26日撤去済み)

さて、もう一度ドックの周囲を改めて見回してみると、移動式クレーンが両サイドに2基鎮座しています。ドック両サイドの岸壁に取り付けられたレールの上で作業位置が変えられるようになっているので、このクレーンで船体を引っ張ったり、重たい部品を運んだりしたのでしょう。

こちらのクレーンは、しっかり塗装が塗られていて、今でも現役で稼働できそうな感じに見えますね。

でも、もう1基が凄かったんです。

昭和18年に造られた、20トンクレーン。約80年の風雨に耐えて現在に至ります。

どうですか、この廃墟感のある威容は!これぞザ・産業遺産ですよね?!

反対側にあるもう1基のクレーンは、すでにメンテナンスが行われておらず、かつて最上部にあったはずのジブ(腕の部分)や、フック部分は、安全確保のため地上に降ろされてしまっています。港内で風雨などを遮るものがなく、100年間ずっと潮風に煽られていたら、いつ飛んでいってもおかしくないですからね。

もうちょっと近づいてみましょう。

タワー部分も含め、鉄さびが凄い。タワー内部には、作業用のはしごや足場も見えますが、腐食が進んでおり今にも崩れ落ちそうです。現在では、危険すぎてもう誰も昇ることはできないのだそうです。

また、移動式クレーンの手前には、ゴンドラのような形をした運転室も設置されていました。箱型の無骨なデザインも昭和レトロな雰囲気が漂い、凄く素敵です。ドックの操業最盛期では、一旦こちらの運転室に入ったら、昼夜を問わず休憩を取る時間もないほどの激務でもあったようです。

富国強兵を目指して列強に立ち向かった戦前から、戦後の高度成長期を支えてきた男たちの記憶と栄光がたっぷりつまった産業遺産でした。

こちらの移動式クレーンは、2021年3月26日に取り壊されて撤去が完了。後日、もう一度取材で浦賀を訪れた際に敷地外からチェックしてみましたが、完全に更地になっていました。残念……。

山本先生にお聞きしたところ、地元の有志でどうにか残す方法がないか探ってみたけれど、保全するには莫大な資金が必要となることがわかり、断念せざるを得なかったとのことです。

そういう意味では、取り壊す直前に、いろいろな角度から至近距離で見ることができたのは、本当にラッキーだったのかもしれません。

ちなみに、こちらの白黒写真は、浦賀文化センター内に展示されている、現役で操業していた際の浦賀ドックの様子。巨大なクレーンがドック左奥でそびえ立っているのが印象的ですね。右側の写真は、まさに浦賀ドックが活気のあった頃、企業城下町として栄えていた街の様子を写した一枚。

ドックの入口部分に設置された、海水をせき止めるためのゲートの真上にも立ってみました。写真上でよく見ていただくとわかりますが、左側には浦賀港のせき止められた海水が、右側には水が排水された状態のドック内が写っていますね。

ゲート内に船が入渠してくる際は、水圧でゲートを水平に倒し、船を迎え入れていたのだそうです。今はもう動くことはないのでしょうけれど、実際にゲートを倒す作業は、近くで見ればド迫力だったでしょうね。

最後に、ドックの先端から臨む穏やかな浦賀港の様子を見ていただきましょう。遠くには東京湾フェリーと、その先には房総半島がぼんやりと見えていました。港内の東側(東浦賀地区)と西側(西浦賀地区)の間には、今も地元の人々の生活に密着した渡し船が現役で稼働中です。

期待される浦賀ドックの一般公開。隣接した建物には資料を展示予定!

浦賀港の大部分の敷地は、現在も住友重機械株式会社の私有地となっています。ですが、2021年4月から浦賀ドックのある西側の敷地内の所有権が横須賀市へと移転したことをきっかけに、地元を中心に浦賀ドックを新たな観光の目玉にしようとする機運が盛り上がっているようです。山本先生も、将来の構想をお持ちでした。

山本:2021年度以降、浦賀ドック内のガイドツアーを実施するための、ボランティアガイドの養成を計画中です。また、浦賀ドック関係の歴史資料を、専用施設にまとめて展示していきたいと思っています。

そのための施設は、実はすでに建設済み。ドック敷地内に隣接したこちらの焦茶色の平屋建ての建物に展示されるようです。横須賀市からの今後のアナウンスを楽しみに待つとしましょう!

まとめ

かつて、工場の敷地内を囲っていた煉瓦塀の残骸。積み方のパターンを見てみると、やはりこれも「フランス積み」でした。

いかがでしたでしょうか?三崎港や観音崎、葉山、横須賀港など、風光明媚な海辺の観光地が多い三浦半島の中では、どちらかといえば地味な印象があった浦賀ですが、実は超弩級の産業遺産が街のど真ん中に眠っていたのですね。

約20年前に乾ドックとしての最後の操業を停止して以来、企業の敷地内で非公開のままだったため、地元民以外にはほとんど知られていない「浦賀ドック」。これだけの規模の産業遺産が、ほぼ手つかずのままで残っているというのは、一種の奇跡に近いといっても過言ではないでしょう。

しかし今後は、横須賀観光の目玉として多くの人に注目される存在になっていくのだろうなと思います。思い立ったらわずか都心から約90分前後で来ることができるという好立地も手伝い、一般公開がスタートしたら人気化しそうなスポットですよね。

明治後期から昭和にかけて、日本の基幹産業と国防を支えてきた非常に貴重な歴史遺産です。一般公開がスタートしたら、ぜひ実物を見て、その大きさや歴史の重みを体感してみてくださいね。

さて、前編はここまで。後編では、浦賀ドックの目と鼻の先にある「浦賀コミュニティーセンター」(郷土資料館)に移動して、横須賀随一の郷土史家・山本詔一先生からじっくりと浦賀の面白さについてお聞きしていきます!

(▼ 後編はこちらから!)

「浦賀ドック」所在地

所在地:〒239-0822 神奈川県横須賀市浦賀4-7

「浦賀ドック」関連情報

浦賀歴史散策マップ(無料PDF)
https://www.wakuwaku-yokosuka.jp/files/multi_page/multi_page_1596614046.pdf

三浦半島気ままに散歩「浦賀駅」(無料PDF)
http://stg.cocoyoko.net/pdf/kimama_uraga2017.pdf

横須賀観光情報 ココは横須賀「浦賀ドック」
https://www.cocoyoko.net/spot/uragadock.html

横須賀市HP「浦賀の歴史とふれあう散策ルート・浦賀ドック」
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2490/uraga_walk/higasi1.html



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