「津田とは側にいて昼寝をすることもできるし、黙って何時間一緒にいても気が張らないからいい」そういって、気難しいことで有名な夏目漱石から可愛がられた画家がいました。
その画家の名前とは津田青楓。一体どんな作品を残した人なんだろう・・・と思って、展覧会が始まる前にGoogleで画像検索をかけてみたところ、一部の代表作を除いてほとんど引っかかりません。手元に何十冊かある日本美術史関連の書籍で調べてみても、見事に1作品も掲載されていません。
津田青楓。かっこいい作家名だけど、謎すぎる!一体どんな作家なんだろう・・・と思っていたら、2月22日から練馬区立美術館で津田青楓を特集した展覧会が始まっているではありませんか!タイトルは、「生誕140年記念 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和展」。生誕140周年を記念して、戦後初の大回顧展です。
展覧会に行ってみてびっくり。16歳で染織図案家としてデビューしてから98歳で亡くなるまでの約80年間の画業を特集した展示では、図案、装幀、刺繍といった商業美術から、日本画、洋画、書跡まであらゆる仕事をこなした青楓の仕事が約230点の作品と約50点の資料群でたっぷり味わえる凄い展覧会になっていました!
それでは、早速その見どころを簡単にまとめていきたいと思います!
見どころ1:図案・装幀などの商業美術での個性的なデザインセンス
1880年に現在の京都市中京区に生まれた津田青楓は、若干16歳で地元の染織業者向けの図案制作の仕事をはじめます。
京都は、西陣織や京焼など江戸時代から伝統工芸が非常に盛んな地域でした。職人たちが陶磁器や着物のためにデザインを木版画で提供する「図案家」が活躍しており、このデザイン画などを専門に提供する木版本の出版社も存在していました。
そんな図案家としての青楓の才能をいち早く見出して、制作を後押ししたのが、京都の有力な木版出版社「芸艸堂」(うんそうどう)でした。
展覧会の展示前半では、芸艸堂やその兄弟会社・本田雲錦堂から出版された津田青楓の図案集や、彼が描いた原画の数々をたっぷり見ることができます。
そのオリジナリティあふれるデザインは、琳派や大和絵など日本伝統の装飾文様から影響を受けたようなものから、西洋美術から着想されたような斬新なものまで実に多種多様。中には、独創的過ぎて染色家がどう使っていいのかわからなかった、時代を先取りしすぎていたデザインもあったといいます。
若くして図案家としての評価を得た青楓は、西洋絵画を本格的に学ぶため、1907年からのフランスへと留学します。帰国後、青楓は書籍の装幀も新たに手掛けるようになりました。その転機になったのが1911年。青楓は、かねてからあこがれていた夏目漱石と出会います。出会ってまもなく、二人は意気投合。漱石に絵を教えるようになるなど、公私ともに非常に親密な付き合いがはじまりました。
青楓は、晩年期の漱石の作品を中心に、当時の流行作家の装幀を次々と手掛けていきました。展覧会では、彼の装幀作品が「本箱」のような展示ケースでたっぷりと見ることができますよ。
みどころ2:器用すぎ?!様々な巨匠の影響がバラエティ豊かな洋画
フランス様々な西洋絵画の技法を学んだ青楓は、帰国後すぐの1911年頃から1933年に洋画断筆を宣言するまで、旺盛に洋画制作に打ち込みました。
展覧会では、様々なスタイルの作品が登場。印象派風の作品から、セザンヌ風の静物画、マティスのような水彩画、ゴーギャン風の土色の肌をした女性、ルオーのような黒い極太の輪郭線まで様々な作品が楽しめます。
中でも印象深かったのが「出雲崎の女」という作品。東京国立近代美術館に所蔵されているため、コレクション展などで比較的アートファンによく知られる作品かもしれません。
本作では、一糸まとわぬ大胆なポーズで横たわった裸婦が画面いっぱいに描かれています。西洋絵画で伝統的な構図ですね。ゴーギャンが描いたタヒチの女性のように土色の肌で描かれた女性は純朴な田舎娘という感じ。
作品内でモデルを務めたのは青楓が旅行先で逗留した宿屋の娘なのですが、面白かったのは本作に付随したエピソードです。ひと目見て娘の容貌を気に入った青楓は、その場でモデルをお願いして脱いでもらったのだとか。
一体どんな説得の仕方をしたら、見ず知らずの女性にその場でヌードモデルになってもらえるのでしょうか。作品のインパクト以上に、青楓のコミュニケーション能力の高さに感銘を受けました。
また、青楓は1926年から約7年間、絵を教えるための洋画塾を京都・名古屋・東京の3ヶ所で主催していました。「青楓塾展」として塾生たちの成果発表を行うグループ展には錚々たるプロの画家が客員参加したり、全盛期は150名以上の塾生が集まったりと、やはりここでも青楓の周りには多士済々な人材が集っているのですよね。
展覧会を観たライターの仲間とも話したのですが、実は、青楓はその絵画の才能以上に、稀代の「人たらし」だったのでは?という感想もありました。こうした人間的な側面が展示から透けて見えてくるのも、回顧展ならではの楽しみですね。
みどころ3:ギリギリまで権力に抵抗!そして断筆へ
戦前、装幀・日本画・洋画と様々なジャンルで並行して作品制作を続けていた青楓ですが、洋画においては自らの心の内面を描くよりも客観性を重視し「社会的なリアリティ」を反映した主題を好んで描きました。
若い時から私淑していた左翼活動家・河上肇と知己を得て、本格的に交流するようになると、次第に青楓の作品も左翼思想を帯びた反政府的な作風へと変化していきます。
自身も創立メンバーの一員であった二科展には、周囲の目を引く大作・問題作を相次いで出品。彼は次第に周囲から左翼画壇の中心的人物として認知されていくことになります。
そうなると当時の官憲から要注意人物としてマークされてしまうのは時間の問題でした。そして彼は1933年、ついに反政府的な左翼運動へ資金を提供した疑いで、治安維持法違反で留置所へと拘束されてしまいました。
その直前まで描いていた大作が、本展でのハイライトとなる展示「犠牲者」です。一段高い位置に展示された本作は、まるで殉教者を描いた聖人像のよう。
本作は、同年に獄中にて拷問死した「蟹工船」でも有名な左翼活動家・小林多喜二の死を悼んで制作されたとも考えられている作品です。「十字架のキリスト像にも匹敵するやうなものにしたいといふ希望を持って」描いたと後に青楓も述懐しています。
実は本作が初公開されたのは、制作されて17年後となる1950年の第26回白日会展でした。官憲が青楓のアトリエに踏み込んでくる直前に、それを察知した青楓が本作を急いで隠したことで、押収・散逸を間一髪で免れることができたのでした。
みどころ4:奔放さとゆるさが心地よい南画の傑作
留置所で厳しい取り調べを受けた青楓は、「洋画断筆宣言」を公表することで釈放されることになります。表現の自由が著しく制限された当時の社会情勢下では、これ以上自身が追求する「社会派リアリズム」を洋画において追求することは不可能、と悟っての準引退宣言でした。
その後、洋画制作をやめた青楓が生涯を通して打ち込んだのが南画です。公募展など対外的な活動から身を引いた青楓が、私生活の中で自らの内面と向き合って制作したプライベートな意味合いの強い作品群ですが、これが結構味わい深いのです。
文人画らしく、伝統的な山水風景や花鳥などが奔放な筆使いで描かれているのですが、その味わい深さは、やっぱり素人の手慰みとは断然違います。年代を経るに従って筆跡も大胆になり、風景表現も抽象化が進んでいきますが、ユルさと激しさが絶妙な配合でブレンドされた作風は、観ていて非常に心地よいのですよね。
展覧会では比較的大作が多くならんでおり、キャリア中期~晩年期まで様々な年代の作品が並んでいますので、各年代での作風の変化や違いを楽しんでみるのもいいですね。
みどころ5:玄人受けした?!青楓の味わい深い書跡
津田青楓展の見どころはまだ終わりません。隠居生活に突入後、文人の嗜みとして交友の記念などに青楓が残した「書跡」作品も本展では展示されています。
たとえば、展示前半で展示されている青楓がやりとりした手紙類。さすが明治前半生まれらしく、江戸時代からの書き言葉や崩し字を交えた流麗な達筆は実に味わい深いのです。
青楓は1920年代から書を本格的に学び始めており、1924年に制作された夏目漱石の遺稿を収めた桐箱への箱書きは、漱石の門下生を代表して青楓が手掛けていたりもします。
ぜひ、展覧会の後半に展示される南画の中に自ら書いた「賛」や、最終展示室に飾られている、交友の記念に残されたいくつかの書跡を味わってみて下さい。おおらかで、形にとらわれないのびのびとした筆さばきを見ていると、次第になんとなく癒やされるような感覚が得られるかもしれません。
まとめ:回顧展の面白さが詰まった展覧会
作家の生涯における制作活動を、作品を中心として、作家の制作に影響を与えた交友や生活、同時代の事件などを記録した関連資料などと一緒に振り返る展覧会のことを「回顧展」と言います。
特に、明治時代以降の日本人画家については、作品だけでなく関連資料も豊富に残されているので見応えのある回顧展が日本各地で多く開催されています。その中でも、今回の津田青楓展はまさに「回顧展の教科書」とでもいうべき非常によくまとまった大回顧展だったのではないかと思います。
特に、津田青楓は非常に長命な画家でした。明治・大正・昭和と激動の時代を生き抜いたその生涯は、文豪夏目漱石との交流、洋画断筆宣言など興味深いエピソードにあふれていました。
また、それまであまり知られていなかった「洋画断筆宣言」以降の余生で追求した南画や良寛研究、そして書跡なども取り上げられることで、津田青楓の作品世界がくっきりとわかりやすく整理されているのも本展の素晴らしい魅力だと思います。
世間の流れに安易に迎合することなく、自らの興味や信念を大切に作品制作に取り組んだ津田青楓。その生き方は決して器用ではなく、長寿を全う下にも関わらず、断筆宣言の影響で今ではすっかり忘れ去られた存在になってしまったきらいがあります。しかし本展が開催されることによって、人柄・作品を含めた青楓の魅力が人々に再認識されるきっかけになったのではないかと思います。本当に良い展覧会です。
ぜひ、会期末までに足を運んでみて下さい。
展覧会基本情報
展覧会名:「生誕140年記念 背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和展」
会期:2020年2月21日(金)〜2020年4月12日(日)
※3月28日(土)~4月12日(日)の土日は、臨時休館
※最新の開館情報はHPをご確認ください。
会場:練馬区立美術館
公式HP:https://www.neribun.or.jp/museum.html