横須賀に本格的な穴窯が!縄文土器に魅せられ、アーティスト村で活動する薬王寺太一さんのアトリエ訪問レポート!

最近、楽活では不思議なご縁に導かれ、横須賀の様々な魅力をお届けしています。特に、ここ数回は、汐入駅にほど近い、軍港に隣接する大型ショッピングモール「コースカベイサイド」を集中的に特集させて頂きました。

今回もまた、ある大切な方のご紹介でつながった取材となりました。

きっかけは、「コースカベイサイド」のセンターステージにプロジェクションマッピングを設置する「点灯イベント」にて、名刺交換をさせていただいた立ち話からでした。横須賀にまつわる不思議なご縁、まだまだ当面続きそうな予感がします!

さて、今回ご縁を頂き、取材させていただいたのは、横須賀市で約2年前に開設された「アーティスト村」です。本格的な穴窯を開いて、アーティスト村で縄文土器を焼いている面白い作家さんがいらっしゃるよ、との話だったので、横須賀市のまちなみ景観課の方にアポイントをいただき、早速訪問してまいりました!

横須賀のアーティスト村ってどんなところなの?!

さて、今回訪問させていただいた横須賀市のアーティスト村は、かつて明治時代には鉱泉が湧き、温泉保養地として栄えていた地で、市営住宅の跡地にあります。作家のプライバシーを守るため、正確な住所は明らかにされていませんが、JR田浦駅/京急安針塚駅から車で10分ぐらい山あいへと入っていった田浦泉町にあります。

途中、大型車一台分がやっと通れるくらいのかなり狭い生活道路を抜けながら、慎重に車を進めること約10分。

急峻な山道をかきわけて、アーティスト村へと到着。

街中からわずか10分程度奥へと入っていっただけで、こんなにも豊かな自然に囲まれた落ち着いた環境が得られるのは凄い。三浦半島の先端部分の急峻な半島地形ならではだな、と思いました。

ちょっと、この写真だけだとよくわからないと思いますので、横須賀市が気合を入れて制作した、アーティスト村のプロモーションビデオを御覧ください。途中、上空から敷地内を撮影したドローンの空撮映像を見るとよくわかりますが、建物の周囲は鬱蒼とした林に囲まれ秘境感が出ていますね。

2021年2月現在、こちらの長屋のような平屋建ての建物をベースに、2人の作家(薬王寺太一さん、山本愛子さん)が生活しながら制作活動に励んでいます。もうそろそろ3組目として、地元神奈川県在住の漫画家・小説家の折原みとさんもこちらで腰を据えて執筆活動へと入る予定であるのだとか。

この日は、運良く陶芸作家の薬王寺太一さんがいらっしゃいました。そこで、せっかくなので薬王寺さんにこちらでの制作活動について色々とお聞きすることにいたしました!

アーティスト村第1号居住者・薬王寺太一さんにお話を伺いました!

引用:薬王寺太一さんのFacebook記事より(https://www.facebook.com/photo?fbid=10208072246361025&set=pcb.10208072247561055)

薬王寺さんがこちらに住むようになったのは2018年12月。アーティスト村のプロジェクトが立ち上がった直後に入居を決めました。やきもの作家を目指して、当初は池田満寿夫の開いた窯もあった山梨県の窯元で、薪焼成を中心とした陶器づくりを学んでいましたが、窯を離れて独立してからは、穴窯を作れる拠点を探していました。

そんな時、所属している横須賀美術協会から、穴窯を構えるならどうですか?、ということで「アーティスト村」を紹介され、移り住むことを決めたのだそうです。

横須賀市との取り決めは、年間の3分の2以上の日数をこちらで居住し、一定の頻度でワークショップや陶芸イベントを開催すること。築いた穴窯も、横須賀市の共有財産になるので、地元のコミュニティと共有して使います。

以降、地元田浦町周辺の近所の人々や、窯作りに興味のある有志にも手伝ってもらいながら、ゼロから穴窯を作り上げ、こちらで陶芸活動に打ち込んできました。

プロの陶芸家のアトリエを大公開!

それでは、早速薬王寺さんのアトリエへとお邪魔することにいたしましょう。

アトリエの中は、まさにプロの陶芸家の作業場という雰囲気です。机の上や棚には、乾燥中のやきものや試作品、制作用の道具、材料、資料などが所狭しと置かれています。写真右の水色の扉の奥は、薬王寺さんの寝室などがあるプライベート空間。アトリエと寝室の2部屋を借りていらっしゃいます。

窯に入れられるのを待っている、様々なかたちをした焼き物。粘土で成型してからしばらく乾燥するまで時間がかかります。
こちらは、焼き終わった作品群。トレーの上に密集して置かれている様子は、まるで焼きたてのパンを見ているかのようでした。

室内をぐるりと見回して次第に気がついたのは、薬王寺さんの制作された作品は、どこか縄文土器に似ているということ。土器、というよりは、もうちょっと陶器っぽい地肌をしているのですが、うつわ表面に刻みつけられたプリミティブな縄目文様は、まさに縄文土器そのもの。

棚の上には、様々な色や形の陶器が飾られていました。縄文土器そのものを模してつくられたものもあれば、古墳時代の土師器とミックスしたような独創的なデザインのやきものもあります。
野焼きで焼かれた作品。部分的についた、黒い焦げ目がチャームポイントになっています。

そこで、薬王寺さんがそもそもやきものへの道を志したきっかけや、なぜこのような縄文土器を作りたいと考えるようになったのかなど、色々とお聞きしてみました。

薬王寺さんが縄文土器に興味を持った理由とは?

ーまずは、薬王寺さんが最初に「やきもの」に対してご興味を持たれたきっかけを教えていただけますか?

薬王寺:実は、僕がやきものに興味を持ったのは、大学4年生の時なんです。

ーえっ?ほとんど社会人になる直前に、陶芸家を志したということなんですか?!

薬王寺:そうなんです。それまでは、文学部で社会学を学びつつ、音楽をずっとやっていました。大学4年生になって、何かもっと他の表現をしてみたいと考えた時、「土」と「火」と「水」を使って作り出す「やきもの」の表現に魅力を感じました。大学でのカリキュラムも卒論と教育実習のみだったので、九州を中心に窯業地を回ったりもしましたね。そうしているうちに、ご縁が重なって山梨の窯元でお世話になることになったんです。

ーえーっ、美大のご出身ではなく、しかも土壇場で、サラリーマンではなく、窯元へ飛び込んで修行する道を選ばれたのですね。凄い!

「クオーク」シリーズ。「球体」は、洋の東西もなく、昔も今もない、普遍的な形だと思うのでよく手掛ける形です、と語って頂きました。窯の中で焼き締めた時に薪の灰がかかったことで、紫っぽいニュアンスが出ています。

ーところで、薬王寺さんは、なぜこうした縄文土器に近いスタイルの作品を手がけられるようになったのですか?

薬王寺:きっかけは、ヨーロッパへ旅行で、フランスの美術館巡りをしていた時だったんです。ヨーロッパとかのギャラリーや美術館はもうお腹いっぱいになっている時に、フランスの博物館で土器をみたんですね。その時に結構衝撃を受けて。朴訥とした、何も飾らないスタイルが。

ー海外で出会ったことがきっかけだったのですね。

薬王寺:そうなんです。凄い衝撃を受けてしまった。別に売るためでもなく、見せるためでもない、何千年も前に作られたやきものに絶対的な存在感を感じて、「なんだこれ?」と衝撃をうけて。

そこから色々調べていくうちに、世界中で見ても、これだけの技術や感覚って本当に世界でも類がなく、突出した存在だなと思うようになりました。造形や精神性とか死生観など、様々な面で凄さが実感できたんです。

ーただ、部屋の中の作品を見ていると、深鉢や壺といった、いわゆる縄文土器らしいものもありますが、オブジェ的な作品も数多く手掛けていらっしゃるのですね。

薬王寺:そうですね。私が主に修行させていただいた八方窯も、食器などよりも、純粋に展示・鑑賞するためのオブジェをメインで制作していました。私も、生活雑器よりはアート性の強い作品を志向するようになりましたね。

だから、「薪で焼く」という大前提の下、色々見聞きして面白いと感じたものは作品にどんどん取り込んでいます。縄文時代と違って、現代は多くの情報源からインスピレーションが得られるので、色々なアイデアをミックスしていこうと思っています。

ーすると、縄目文様だけでなく、薬王寺さんのオリジナルの文様や技法なども使っていたりするのですか?

薬王寺:そうですね。縄文時代は、いわゆる「縄文原体」と呼ばれる道具を使って縄目文様を作っていましたが、そういうものだけでなく、もっと、たとえばボールペンなどの身近な道具も活用したりします。

ー薬王寺さんのやきものには、釉薬などは使われたりするのですか?

薬王寺:いえいえ、薪による焼成のみです。やきものに表情がつくとしたら、釉薬を使わずに焼き締めていって、窯の中で灰がかかってガラス化する時にできる「自然釉」のみですね。このあたりは、まだ研究中です。

ー薬王寺さんのやきものは、かなり黒に近い焦茶色に仕上がることが多いのですね。これは、やっぱり使っている土や焼き方による影響なのですか?

自作の湯飲みと平皿。湯飲みは、鮮やかなチョコレート色です。光が当たると、見る角度によっては紫色や金色っぽい見え方をすることも。

薬王寺:そうですね。わりと黒いのは、土に含まれる鉄分が多いからなんです。アーティスト村の敷地内で、偶然やきものに適した粘土層を見つけたので、今はこの田浦の土と信楽から取り寄せた土を混ぜて使っています。

ー信楽の土と混ぜているんですね。なるほど、だから器の表面は長石の粒が浮き出した信楽焼っぽい質感だったのですね。でも、なぜミックスしていらっしゃるのですか?

高火度焼成に耐えられず、窯の中でへたってしまったうつわ。

薬王寺:田浦の土だけだと、耐火度、つまり火に耐えられる温度が結構低いので、焼き締めるために窯の温度を上げると、うつわが変形してへたってしまうこともあるんです。なので、高温に強い信楽の土を混ぜることにしました。それでも、まだまだ研究しなければいけない課題は山積みですね。

ーそういうことですね。まだわからないところも、いろいろあるのですね。

薬王寺:いっぱいあると思います。

そういえば、こちらの作品群は、一体どのようにして焼いているのだろう…と思っていたら、薬王寺さんから「せっかくなので、窯も見ていきますか」とありがたいお申し出が。

「是非お願いします!」ということで、アーティスト村敷地内に、薬王寺さんが仲間と共に築いた本格的な穴窯「田浦和泉窯」を見せていただくことにいたしました。

手作りで作り上げた本格的な穴窯は大迫力!

アトリエを出てすぐのところにあるアーティスト村の敷地内の一角に、穴窯が設置されていました。

それにしても……。思ったよりデカい!!

レンガでガッチリと固められ、高火度による熱の圧力に負けないよう、何重にも石や土がこんもりと積まれており、正面からみると、さながら古代の王族が埋葬された古墳のようにも見えます。

特別に、内部を見せて頂きました。焚口から中を覗き込みます。

内部は、レンガが規則正しく積まれ、奥に向かって階段状に傾斜がつけられています。うーん、ますます古代人の墳墓のようですよね。中に人骨が転がっていても何の違和感もありません。奥の煙突につながる空気孔は、まるで奥に古代人の財宝が隠れているような雰囲気ですよね。

よく見ると、右奥には空気穴みたいなものがあります。これは「サイドストーク」といって、ここから焼成の様子をチェックしたり、薪を投げ入れて温度調整するために使われます。

裏に回ってみましょう。

こちらが、斜め後ろから窯を見た景色。…何かに似ていますよね。

そう、「風の谷のナウシカ」に出てくる「王蟲」そっくりじゃありませんか?!窯に火が入って、闇夜の中でボーット赤く光る場面を想像すると、ちょっとゾクゾクしてきました。

そういえば、窯の外面は結構ひび割れているのです。

窯に火を入れると、窯の内側からの熱と圧力で、窯の外側も真っ赤に光りながら膨張するそうです。なので、火入れ時の膨張と、火を落としてからの冷却時に収縮を繰り返す中で、こうしたひび割れが自然にできていくのですが、かえってこの方が適度に熱と圧力を逃がすことができるので安全なのだそうです。

さて、穴窯の中は、数日間をかけて最終的に1200~1300度ぐらいに上げていくのですが、これだけの巨大な焼成室で一定の熱を保つには、薪の使用量も半端ないのではないでしょうか。

薬王寺:そうですね。基本は地元横須賀の雑木林などで採れた間伐材を使用します。でも、それだけでは不十分なので、高いカロリーが得られる、長野県産のアカマツやカラマツの木材も混ぜて使っています。

そして、こちらが縄文土器に近い、もっと低火度の700~800度くらいで野焼きを行うための「ピット」です。

縄文人は、夜は火を起こして焚き火を囲みながら食事や団らんを楽しみつつ、時には焚き火の中に粘土を投げ入れて土器を焼いていたのではないかと推定されています。薬王寺さんもまた、窯を使うだけでなく、より縄文土器の製法に近い野焼きも取り入れて制作されています。それにしても、本当に焚き火の跡にしか見えないですよね(笑)

そして、こちらはアトリエのすぐ横に設置された簡易的な窯です。

なんだかピザ窯みたいだな、と思っていたら……。

薬王寺:そうですね。以前、ワークショップに参加した子供たちとピザを焼く企画を実施した時に、ありものを組み合わせて簡易的な窯を組んでみました。でも、こんな窯でも中は900度くらいまで上がるので、これで土器を焼いたりすることもあるんです。

なるほど…。ちなみに、ピザは薪で焼くと素材の旨さが引き出されて絶品なのだそうです。

ビニールシートを剥ぎ取ると、ストックされ山積みになった土質の土が現れました。この土で、薬王寺さんの作品が全て生み出されています。
ところで、ところどころに雑草が顔を出しているのは、この一帯の土が肥沃な土だからでしょうか?!

そして、こちらが現在やきものに使っている地元・田浦町で採れた原土。

ここから、土を細かく砕いて、天日干しをして、さらに水の中につけて不純物を取り除き、土練機(どれんき)にかける、という一連の工程を経てやきものに適した土へと生まれ変わっていきます。このあたりの土作りの工程も、ワークショップで小学生に体験させてあげるのだそうです。

薬王寺さんに今後の抱負や目標をお聞きしました

さて、一通り戸外で窯や土など珍しいものを見せて頂いたあとは、再びアトリエ内に戻って取材再開です。最後に、薬王寺さんに、現在の課題や今後の豊富についてお聞きしてみました。

ー直近では、なにか個展などの予定はあるのですか?

薬王寺:直近だと、2021年から2022年にかけて、3つぐらい個展やグループ展にお声がけいただいています。だから、ワークショップの合間に、自分の制作もしっかりやらないといけないなと。展覧会向けに目玉となる大きな作品もつくっていきたいです。

ーそれ以外でも、作品の販売などは主にどういった形で行っていらっしゃるのですか?

薬王寺:そこが結構今の悩みですね。今は、横須賀市との取り決めで地域向けのワークショップなどで年に5~6回やらせていただくなど、教える機会は増えているのですが、その一方で作品をどうやって販売していくか、というのは今後もっと考えなければいけない課題だと思っています。やっぱり、穴窯の運営は、薪代など経費も結構かかりますので。

ーちゃんとつくって、販売してというサイクルを。

薬王寺:そうですね。Webなどもいろいろやっていかなきゃと思っているのですが(笑)オンラインショップなど、しっかりした体制を整えていきたいですね。ここ2~3年は、アーティスト村での活動基盤を整えることで忙しかったのですが、ようやく落ち着いてきましたので。ちゃんと販売の方も打ち込んでいきたいですね。

ーいよいよこれからですね。頑張って下さい!

アーティスト村の今後に期待!

都心から、車や電車でわずか1時間行っただけで、これほど雰囲気の良い山里があるとは全く想像もしていませんでした。制作活動に思い切り集中できる一方で、何か用事があれば、歩いて山を降りると徒歩20分で最寄り駅へとたどりつけるという、アーティストにとっては非常に便利な環境なのではないでしょうか。

鉱泉が止まってから時が流れ、使用しなくなった市営住宅にアーティストを招聘して一種の芸術家コロニーをつくることで、地域コミュニティを活性化したい、という横須賀市の狙いは、今のところ非常に順調に行っているように見えました。

「石の上にも三年」とはよくいいますが、2021年は、このアーティスト村が開設され、薬王寺さんがこちらに移住してから3年目になります。長引いていたコロナ禍もようやく収束の兆しが見えてきましたし、今年は薬王寺さんとこのアーティスト村にとって、飛躍の1年になるといいですよね!

横須賀市アーティスト村の問合せ先

問合せ先:横須賀市都市部まちなみ景観課
URL:https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/4821/index.html
電話番号:046-822-9855
ファクス:046-826-0420

薬王寺太一さんのプロフィール

主に土器を制作している土器作家。窯元で修行をしていた経験もあり、アーティスト村の現地に地域の人々や陶芸仲間とともに田浦和泉窯(穴窯)を作り上げた。現在は土器制作のほか、現地の土を使用し田浦和泉窯で焼成する陶器「田浦和泉焼き」の制作も実施している。

ホームページ:http://taichi-yakuoji.com/
Facebook:https://www.facebook.com/taichi.yakuoji
Instagram:https://www.instagram.com/taichi_yakuoji/

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