あなたは、自分の顔を認識したのをいつだか覚えていますか?
私は覚えていませんが、おそらく物心がつく前に鏡を見て認識したのが最初で、気づいたらいつの間にか「これが自分の顔」だと当たり前のように思っていました。
幼い頃に「なぜ自分はこの顔で生まれてきたんだろう?」「なぜ自分の顔は他人とは違うのだろう?」と思ったのが、私が「顔」に興味を持ったきっかけでした。
鏡の歴史
では、鏡がなかった時代の人間はどのようにして自分の顔を認識したのでしょうか。
水溜りや池などの水面に映る自分の姿を映す水鏡が使われたと考えられます。
ギリシア神話に登場する美少年のナルキッソスは、水面に映った自分の姿に見とれ、キスをしようとして溺れ死んだと言われています。
その後は、金属板を磨いた金属鏡が作られるようになりました。多くは青銅などの銅鏡です。
鏡に「映る」という現象(まだ鮮明ではなくおぼろげながら)は、神秘的で貴重なものとして捉えられ、祭祀の道具として使われました。
八咫鏡(やたのかがみ)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)からなる「三種の神器」の八咫鏡も、『古事記』によると「高天原の八百万の神々が天の安河に集まって、川上の堅石を金敷にして、金山の鉄を用いて作らせた」とのことです。
現代の我々も使用するガラスの鏡は、イタリアで14世紀初頭に誕生。日本にガラス鏡が持ち込まれたのは1549年、キリスト教布教のために来日したフランシスコ・ザビエルによってと言われています。
ただ、それ以降、江戸時代にもガラス鏡は存在したものの、暗くて曇りやすく歪みも大きい「ビードロ鏡」でした。精度の高い平面ガラス鏡が日本に入ってきたのは、1854年に日本が開港してからのことで、国内で精度の高い板ガラスの生産は20世紀初頭で、ほんの100年前の話です。
鏡を見る行為は自己認識の第一歩
初めて鏡に映る自分を見て、ビックリして飛び跳ねる子猫や、「なんだおまえは!?」と吠えて鏡をツンツンしている子犬のかわいい動画を見たことがある人もいるでしょう。
人間以外で鏡に映る姿を自分自身と認識する動物には、チンパンジーなどの類人猿のほか、イルカ、ゾウ、ブタ(以上、ほ乳類)、ヨウム、カササギ、カラス(以上、鳥類)が確認されています。
2019年には大阪市立大学大学院理学研究科・幸田正典教授の研究グループが、魚類(ホンソメワケベラ)が鏡に映る姿を自分だと認識できることを世界で初めて明らかにしました。
鏡に映った自分を自分と認識できる能力を「自己鏡映像認知能力」と呼びますが、人間においては、1歳頃には鏡に映っているのは実物の人ではないことがわかるようになり、鏡に映っているのが自分だとはっきりと認識するのは2歳頃です。
自己認識が進み、自己認知が確立すると、自我が芽生え、自分と自分以外の他者は違う人間であることがわかってきます。
このように、鏡を見る行為は自己認識の第一歩であり、人間は鏡によって自分自身を客観的に見る手段を得るようになりました。
イタリア初の女性医師・マリア・モンテッソーリによる「モンテッソーリ教育法」では、赤ちゃんの時から鏡を見せるメリットとして下記の4つがあると言われています。
- 自己と他者の違いを認識できる
- 自分の顔や体の動かし方を理解する
- 表情が豊かになる
- 共感能力が育まれる
写真の中の顔
9月17日に開催された顔学オンラインサロン(第61回)「写真の『顔』は誰の『顔』なのか」(甲南女子大学文学部メディア表現学科 馬場伸彦教授)は大変興味深いものでした。
1840年頃にはミニチュア肖像画家の大部分が職業写真家になっていたという話がありました。
「ナダールの肖像写真」の話では、出来上がった自分の写真を見て失望し、時に怒りだす人もいて、男性客のほうが女性客より激しい拒絶があったそうです。
当時の写真機は露光時間が非常に長く、真っ直ぐな姿勢をキープするために頭を固定する器具が使われていました。それによって表情が強ばり、どうしても堅苦しい表情になったそうです。
また、“私たちは肖像写真を見るとき背後に隠された「見えざるものの」の意味や物語を無意識に探ろうとする。人物の外観を構築するさまざまな要素に思いを巡らし、その人物のアイデンティティを突き止めようとする。”という話に、外観(特に顔)から内面を探ろうとする人間の習性、「顔の持つ意味」について改めて考えさせられました。
それほど「写真」というのはそれまでの「絵」と違い、克明に自分に似た映像です。日本で写真が普及し始めた頃、「写真に撮られると魂が抜かれる」なんて言われたのは、自分の分身が紙に写し出されたような感覚だったからでしょう。
SNSの普及によって顔加工アプリが数多く開発され、女子の間では自分が理想とする補正した顔(盛られたイメージ)を「自分の顔」として出すのが当たり前になってきました。
これについても馬場教授は、「理想化された仮面」とし、“素面を覆い隠し、パーソナリティやアイデンティティから分離した「新たな顔」なのです。画像加工アプリは、写真の共有を前提とした最も現代的な化粧であり、画像のペインティングであり、メスを使わないデジタル時代の美容整形術と言えるでしょう。”と分析していました。
生成AIによって造形される顔
最近では、生成AIによって作られた「顔」もよく見るようになりました。
日本マクドナルドが8月17日に公式X(旧Twitter)上にアップしたAIで生成された美少女が多数登場する「AI広告」が、「気持ち悪い」「買う気がしなくなった」などと批判され炎上するニュースもありました。
ロボット工学者の森政弘氏が提唱した「不気味の谷現象(ロボットが人間らしい特性を持つにつれ好感を持たれるようになるが、あまりにも人間らしくなりすぎると不気味になる)」がありますが、個人的には、どんなに生成AIの技術が進歩しても、生成AIの顔は不気味だと思う「人間としての感性」を持っていたいと思っています。
自分では見ることができない自分の顔
鏡で自分の「顔」を確認することはできますが、「鏡の顔」は反転した顔です。
写真や映像で自分の「顔」を見ることはできますが、それらは紙に乗ったインクや RGBの光の粒々で表現されたものです。
本当の自分の「顔」を自分では見ることは不可能。
自分の「顔」は他者を介してしか見ることが出来ないという風にも考えられます。
勝手にいい顔をしていると思う権利を与えられている。
自分がいい顔と思っている時は相手から見てもいい顔。
相手の顔がいい顔に見え出したら、相手も自分の顔をいい顔に見えている。
鏡や写真だけでなく、結局のところ「本当の顔」なんてものは存在せず、人ぞれぞれが「イメージする顔」が「顔」なのです。