
2023年の夏、私は娘家族を訪ねてニューヨークを訪れました。ところが、予期せぬハプニングが続き、一人で過ごさざるを得ない状況になってしまったのです。そんな心細い思いの中、ブルックリンで1枚の図書カードを手に入れたのです。このカードは、ただの本の貸し出しカードではありませんでした。この街に住む人々の一員として認められたような気持ちにさせてくれる、魔法の鍵でした。図書カードを手に、夢を追う人々のための公共英会話レッスンに参加し、さまざまな国の人々と出会いました。そこには、沸騰しそうなニューヨークのエネルギーがあったのです。
ニューヨーク・ステート・オブ・マインドのシリーズ最終回として今回の旅を振り返ってみました。
なさけない私の旅立ち
実は、2022年にも娘の出産に立ち会うためにニューヨークを訪れていました。出産が早まったり、コロナ禍の多くの制約が立ち塞がったりしましたが、多くの人々に支えられ、温かさを感じる日々でした。そのとき、「何が起きても、なんとかなる」と初めて思えるようになりました。
ところが一年後の今、その自信はどこかに消えてしまっていました。
出発が近づくにつれ、「今回は何のために行くのだろう」と自問するようになり、不安ばかりが膨らんでいきました。旅の始まりにはワクワクと不安が共存するものですが、私の中では不安だけが膨らみ、「きっと悪いことが起きる」という考えが頭をよぎった瞬間、ワクワクは霧のように消えてしまいました。
羽田空港に着いても、「帰りたい」という気持ちばかりが募り、どうしようもありませんでした。それでも、「ここまで来たのだから」と自分に言い聞かせ、重い足を前に出しました。そんな、なさけない旅立ちでした。
ないないづくしの中で手に入れた1枚の図書カード
やっとの思いで到着したJFK空港。しかし現実はすぐに目の前に現れました。
もともと娘の家には泊まらない予定でしたが、いざ来てみると、バスルームの天井が漏水で崩落するという緊急事態で、家族は避難中でした。優しいムコ殿も今回は多忙で相手にしてもらえず、宿泊予定だったキャットシッター先には主はおらず、猫が2匹だけ。家の使い方も、猫のトイレ掃除の方法すら分かりませんでした。
スコーンと空っぽな気持ちを抱え、ブルックリン植物園の前のベンチに座り込んでいました。「知っている人が誰もいないなぁ」。ぼんやりとそう思いながら、目の前の景色を眺めていました。

そんな時、植物園の隣のブルックリン図書館で図書カードを手に入れたのです。
それも、絵本「かいじゅうたちのいるところ」のモーリス・センダックのイラスト。

その日、開催中だったのが、ヒップホップをカルチャーの位置にまで押し上げたJAY-Zのエキシビション。図書館なのにラップのサウンドが鳴り響きアールデコ様式の息をのむような図書館のファサードが、にわかにステージに様変わりして、あれよあれよという間に目の前の景色が変わっていったのでした。バンドが奏でる曲をしばらく聞いているうちに、フワフワと私も踊りの輪の中に入ったら、素晴らしいスイングで踊っていた女性達の仲間になることができ、事態が急展開、嬉しさがつのってきました。
「さっきまで一人ぼっちだったのに」
1枚の図書カードから始まっためくるめく展開
ニューヨークの図書館は、日本のそれとは大きく異なっています。単に本を借りる場所ではなく、人々が学び、成長し、交流する場でした。私が手に入れた図書カードは、英会話の無料レッスンを受けるための通行証となり、さらに住民としての証明にもなって、ニューヨーカーとしての第一歩が始まり、図書館に通うたびに、人との出会いや新しい知識が広がっていきました。

2023年の夏、さまざまな国からの移民の街であるニューヨークで英語に苦戦している人たちが、お互いどうにかして伝え合い、分かり合おうとするコミュニケーションエネルギーは強烈で、いつしかその渦に巻き込まれていきます。それが私の体内に流れ込みました。
ワークショップで数人のグループになると必ずと言っていいほど対立関係にある国同士の人がいましたが、ここに居る人たちはそんなことはお構いなし。このニューヨークで英語を喋って、と言うよりもっと必死で、英語が喋れなくても仕事を手に入れて食べていくんだ、母国よりもっと良い暮らしをするんだという意気込みの前には、母国と近隣諸国との諍いは遠く及ばないようでした。そして、それがアメリカンドリームの第一歩!

挑戦
ある日、授業後にクラスメイト達と一緒にカフェに行き、お互いの国の文化や生活について語り合いました。特に印象に残ったのは、エクアドルから来た友人の話でした。彼は母国で教師をしていましたが、「英語が話せれば、もっと多くの子どもたちに夢を与えられる」と語りました。その言葉が心に刺さりました。語学を学ぶことは単にスキルを身につけることではなく、自分の可能性を広げることなのだと改めて感じたのでした。
「他にはこんな場所ない」とつぶやいた途端、「いや、そうでもないか?!」と自宅近くのヒップホップスタジオのことが浮かんできました。そこの先生に勧められていたブロードウェイダンスセンター(BDC)に「行ってみよう」と、急に勇気が湧いてきました。実際に行ってみると、ほとんど踊れませんでしたが、それすら楽しめました。はじっこで笑って踊る自分が、なんだか誇らしく感じられました。メトロポリタン美術館では、アナログ時代の待ち合わせ方法で、インドから来たクラスメイトと美術館巡りに行き、ゴッホを存分に堪能しました。いろんな観光地に一人で行っても写真を撮ってくれる人に困ることはなく、被写体の私がいろいろポーズを変えるものですから、大笑いする瞬間もありました。いつも根暗でネガティブな私がこの一瞬を楽しむ方法をじわじわ身につけられたなんて、自分でも信じられない。

仲間になった
授業の合間にすぐそばのブライアントパークでコーヒー片手に、それぞれの夢や家族のことをおしゃべりしていた時、「私はあなたに嫌われたくないから、あなたの期待に添いたいんだけど、できないと思うよ」と言ってしまったことがありました。ところが、返ってきたのは、「私は眞由美さんに何の期待もしていませんよ!」という明るい笑い声でした。「はぁ~」と息が抜けて、身体中のこわばりがほぐれ、心が柔らかくなりました。そのテーブルには、ブラジル、コロンビア、エクアドル、ロシア、中国、韓国、フィリピン、ベトナム、インド、スペイン、フランス、イスラエルといった国籍の人々が集まっていました。誰かが、「私たちは皆、ニューヨークで夢を追いかける仲間だね」と言ったとき、同じ思いでつながっていると実感しました。英語がカタコトでも、伝えたいという気持ちさえあれば、言葉の壁を越えてつながっていける。お互いに、もたれかからないけど、同じ希望を分かち合える仲間。
気がつけば、一人ぼっちだった私に仲間ができていました。奇跡は、思いがけないときに訪れるのです。
幸せっていう退屈もある
帰国する前にニューヨーク州の北にあるアセンズ(ギリシャのアテネにちなんだ地名)に住んでいる親友のベッツイとケビン夫婦の所へ遊びに行きました。ニューヨークからアセンズまでアムトラックという列車が走っています。どちらかというと仕事をリタイアしてニューヨークからここに移り住んだ人たちが多い町です。ニューヨークのような汚れた道路、ぶつかりそうなほどの人混み、怒声や大音量のクラクションはなく清潔でのどかで平和です。その街で彼らは1日に5回愛犬の散歩に行っていました。一緒に散歩に同行した私は、2日で飽きてしまいました。2人は良い人で、ベッツイのお出かけにはケビンがさっと車を回してきます。すごくお互いを思いやっていて仲がいいのです。幸せなカップルの見本のようです。

でも、幸せって退屈なんだなと初めて思ってしまいました。何が起こるかわからないニューヨークの生活が懐かしい。
ニューヨークでの生活
私は娘を訪ねてニューヨークに来ていたけど、滞在場所は自分で探さなければなりませんでした。幸運にも、古くからの友人の助けを借りたり、キャットシッターをすることで宿泊場所を確保できたり、そうした経験を通じて、ニューヨークの街で生き抜く術を学ぶことができました。
この街には、さまざまな夢を抱えて集まる人々がいる。多くの人が厳しい環境の中でもがきながら、少しでも前へ進もうとしている。その熱気に触れることで、私自身も新しい挑戦を続ける勇気をもらいました。

地下鉄で出会ったシングルマザーは、昼は働き夜は大学に通っていました。「ニューヨークは厳しいけれど、頑張ればチャンスがある」と彼女は語りました。その言葉は、私の心に深く残りました。
帰国
一枚の図書カードがきっかけで広がった世界、英会話を学ぶことで自分の可能性の拡がり、新たな出会いと発見——それらすべてが、私の中で「アイラブNY」という思いを強くし、私にとって特別なものとなりました。あの街で過ごした時間は、単なる旅ではなく、私自身の変容の一部となったのです。ニューヨークの自由と寛容は、決して甘くはありません。だが、挑戦する者に対しては、必ず何かを与えてくれる場所です。
私の猫背が少し伸びた気がしています。
