20世紀のはじめから、すでに100年以上も世界中の夜の街を明るく照らし続けてきたネオン。
しかし21世紀に入ってから、人工照明の世界に発光ダイオード(LED)という新技術が普及。全国各地の繁華街はLEDランプに徐々に置き換えられていきました。一時期は完全に取って代わられるかにも思えましたが、そうはなりませんでした。なぜなら、LEDの爆発的な普及は、かえって人々にネオンならではの温かみやノスタルジックな魅力に目を向けさせる結果となったからです。
そこで、今回は横浜で工房を構えて22年目となる、ネオン看板製作の老舗「スマイルネオン」を横浜・新山下に訪ね、ネオン看板/ネオンサインの職人として活躍されている同社代表の高橋秀信(たかはしひでのぶ)さんに取材させていただきました!
アトリエの中にはネオンづくし!
高橋秀信さんの工房は、横浜新山下の海沿いのロードサイドの、全面が蔦に覆われたお洒落な3F建てのビルの一室にあります。元々顔なじみにしていた行きつけのバーが音楽練習用に確保していた空き部屋を借りて、そこに工房を構えてスタートしたのだそうです。
入り口では、「スマイルネオン」の社章にもなっている黄色いスマイルマークのネオン看板がお出迎え。工房を開いて以来、一度も故障することなく点灯し続けているのだとか。こうしたエピソードからも、高橋さんの技術力の高さが伺い知れます。
工房の中に入ると、中には色とりどりのネオン看板やネオンサインたちが、仕事道具や資材と一緒にズラリ!ストリートカルチャーを象徴するような数々のステッカーや、戦後アメリカ文化の香りが漂う独特な雰囲気の室内に、しばらく見とれてしまいました。
実は高橋さんが青春時代を過ごした横浜・本牧エリアは、戦後長らく米軍兵士たちの居住地となっていました。いわば、本牧は日本で最もリアルなアメリカに接することのできる、「アメリカの出島」みたいなものだったとも言えるでしょう。
そんなネオンサインが煌めくクラブ文化の中で育った高橋さんにとって、アメリカの大衆文化は、ほとんどご自身のDNAみたいなものでもあるのです。
今でも1本1本すべてが手作業で製作されるネオン管
意外かもしれませんが、ネオン看板やネオンサインは、今でも全て手作業で1本1本が製作されます。昔ながらの職人の世界でもあるわけですね。
お客さんの要望に応じて図面を起こし、原寸原稿に従ってネオン管を曲げ、電極を取り付けます。その後、ネオン管を焼き、真空引きをして、発光用のネオンガスやアルコンガス、水銀などを詰めれば完了。
面白かったのは、このネオン管製作工程が、アート作品を作っていく制作工程のようでもあり、工業製品を作っているようでもあるという、いろいろな要素を含んでいる、ということでした。
この曲げ作業は、いわゆる美術工芸にも近いのが特徴。火を使ってガラスの形を作っていく作業は、吹きガラスによるガラス工芸の制作現場と少し雰囲気が似ていると思いました。
一方、曲げ作業が完了した後、空気を抜いて希ガス類を封入する工程には、一種の理科実験みたいな雰囲気が漂っています。
このように、ネオン管製作の各工程を見ていくと、一見凄くシンプルにも見えますよね。
しかし、どの工程も決して機械では置き換えることができない作業であるというのがポイント。
「ただ曲げて、電極をつけてガラスを焼いて真空にしてガスを入れる。工程は単純だけれども、シンプルな工程だからこそ技術がいるんです」と高橋さん。
バーナーを使ってネオン管を曲げる作業は、長年の経験と勘などの「暗黙知」に頼るところが大きく、マニュアルを読んでその日からできるような簡単な作業ではないのです。
いわば、職人芸の世界がいまだに息づいているのが、このネオン製作という世界なのですね。そして、日本全国で現在数百人いると言われる職人の中でも、とりわけ技術力に秀でたトップクラスの職人が高橋秀信さんなのです。
その技術力の高さはInstagramを見れば一目瞭然。最近ではSNS経由による口コミで評判となり、大企業から地元の個人商店まで、全国各地から日々オーダーが舞い込む忙しさです。実際、この日もインタビューのために滞在させていただいたわずか1時間強の間に、高橋さんのスマホには仕事の依頼に関する電話が何回も鳴りひびきました。
ところで、弟子入りの要望などもあるのではないでしょうか?そう思ってお聞きしてみると、
「いやぁ凄いですよ。頻繁に教えて欲しい、というお話は僕のところに来ますよ。でも、お弟子さんを育てながらお給料を支払うほどの仕事量もないから、基本的にはお断りしています。そのかわり、たとえば海外などではネオンを専門に教えてくれるスクールがあるので、まずはそういった学校で勉強して仕事を覚えてから、もしわからないところがあったらいつでも教えてあげるよ、と若い人には言っています。僕も親方に教えていただき一人前にさせてもらったので、ネオンが本当に好きで学ぼうとしている人は、助けてあげたいですね。」(高橋さん)
本牧のネオンライトに魅せられて、ネオン一筋34年
日本トップクラスのネオン職人として、知る人ぞ知る高橋さんですが、一人前になるまでの修行時代はかなりの長期間にわたったそうです。元々、看板屋の職人として就職した後、ネオン独特の美しさに惚れ込んで転職。蒲田のネオン管職人の下で10年、尾山台の別の職人の下で2年下働きをするなど、独立するまで実に12年以上も修行時代を送ったそうです。
その後、2000年に横浜新山下現在の所在地に「スマイルネオン」を開業されました。
「70年代、スマイルマークが流行したじゃないですか。それに、自分はなんといっても笑顔が好きなので、そういった思いを込めて、会社名を決めました。元々本牧の街で遊んでいたこともあって、好きな横浜で開業しようと決めていましたね」(高橋さん)
独立してからは、「横浜の仕事は全部やってやろう」という気持ちで一生懸命取り組んでいるうちに、いつしかお客さんも口コミで拡大。個人商店から大手企業まで、クライアントは全国に広がりました。
それでも、開業以来最大のピンチを迎えたことも。
きっかけは、2011年の東日本大震災でした。震災直後から電力需給が逼迫すると、世の中には省エネの機運が拡大。ネオン管は決して電力をいたずらに浪費するメディアではありませんが、震災後約数年間は新規のオーダーが激減してしまったそうです。高橋さんほどの名手であっても、副業をして食いつながなければならない時期がしばらく続きました。
そういえば、2020年以降での新型コロナウイルスの感染拡大は、お仕事に影響したことはあったのでしょうか?恐る恐る聞いてみたところ、今回のコロナ禍では、幸いなことに仕事量が減ることはほとんどなかったそうです。
ただし、客層は大きく入れ替わったとのこと。リモートワークが定着したことで大手企業のオフィス需要が減退した替わりに、高橋さんの評判を聞きつけた個人客が全国からコンタクトしてくれるようになりました。
でも、なぜ今個人客からの引き合いが増えているのでしょう。その理由をお聞きしてみたところ、そのカギとなったのは「SNS」だったのです。それまでもホームページなどからの引き合いはそれなりにありましたが、転機になったのは、仕事用にInstagramを開設してからでした。完成したネオン看板を一つ一つInstagramへとアップしていったところ、Instagram経由の仕事が急増していったそうです。
現在、高橋さんは公式(https://www.instagram.com/smileneon_official/)と作品用(https://www.instagram.com/smileneon/)と2種類のInstagramアカウントを開設。両アカウント合わせて5000名以上のフォロワーを抱える人気アカウントとなっています。
それぞれ見ていくと、高橋さんがオーダーを受けて製作したネオン看板だけでなく、製作中の作業工程を撮影した貴重な動画などもアップされていて、本当に見飽きません。
まとめ
CDが普及してレコードやカセットテープが見直されたように、LEDの爆発的な普及が、かえってネオン独特の魅力を人々に気づかせる結果となったのかもしれません。約100年前から世界中の都市を照らし続けてきたネオンの灯りには、LEDで失われてしまった温もりや、少し切なくなるようなレトロな美しさが漂います。
折からの静かなネオンブームに乗って、最近ではデザインの美しさを専ら追求する「ネオンアーティスト」も増えてきている中で、敢えて「職人」としてネオン好きのお客さんに寄り添いながら仕事を進める高橋秀信さん。その優しい笑顔の裏に秘められた確固たる職人魂に、浜っ子の矜持を見たような気がしました。
ぜひ、一度高橋さんのInstagramを覗いてみてくださいね。ノスタルジックなネオンの世界がたっぷり味わえます!
スマイルネオン代表・高橋秀信さんプロフィール
自動車、看板デザイン製作会社を経て、NYなどのネオンサインの美しさに魅了され、東京蒲田のネオン工房へ弟子入り。2000年より横浜市新山下にスマイルネオンを設立。その他個性派ショップやレストラン、CM、イベントなど、数多くの製作実績あり。
所在地:〒231-0801 神奈川県横浜市中区新山下1-2-1 丸善ビル3F
TEL:045-621-8483/FAX:045-621-8423
公式HP:https://www.smileneon.com/
Instagram(公式):https://www.instagram.com/smileneon_official/
Instagram(作品用):https://www.instagram.com/smileneon/