ローマは「永遠の都」と呼ばれ、古代からの遺跡、中世の建造物、ルネッサンス時代の遺産、バロックの建築など、それぞれの時代を代表する建造物があり、世界最大の文化遺産の宝庫でもあります。
ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェと鉄道で廻って、最後の都市ローマにたどり着くと、建物や通りの巨大さに驚きました。街角に突然現れる遺跡、急に開ける風景など、語り尽くすことはできません。ここだけは是非見てほしい、巨大な聖堂、壮大な浴場、噴水、オベリスクなどを紹介します。
ローマ最大で豪華な浴場:ディオクレティアヌスの浴場跡
ローマ最大の駅「ローマ・テルミニ駅」は19世紀末に建設され、国際・国内線の鉄道、地下鉄にもつながっています。ローマ・テルミニ駅の「テルミニ」の語源は、終点を意味する「テルミネ」ではなく、「テルメ(浴場)」です。
駅名の由来になったのは、ローマ帝国で最大・最も豪華な「ディオクレティアヌスの浴場」です。ローマ皇帝ディオクレティアヌスが命じて4世紀に建設し、現在は「ローマ国立博物館」になり、回廊に囲まれた中庭にも大理石の胸像・彫塑・碑銘・礎石などが展示されています。
浴場の北にある「共和国広場」は浴場西側の半円型構造を残しています。中央の「ナイアディの噴水」は1901年に完成、5体のブロンズ像は、周囲にギリシア神話の水の妖精ナイアディが4人、中央の海神グラウコが抱えるイルカから水が勢いよく噴き出しています。
ナイアディの噴水の東側には「ディオクレティアヌス帝の浴場跡」の一部をミケランジェロが聖堂に改修し、18世紀にさらに大改修が行われたサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂があります。
内部は外からは想像できないほどの広さと高さがあり、ローマ時代の壮大さを感じることができます。壁画、色大理石の柱やモザイクの床で飾られています。現代美術作品も展示されていたのが印象的です。
ローマで最も高い鐘楼:サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂
ローマ・テルミニ駅の西側にローマ四大聖堂のひとつサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂があります。
「マッジョーレ(大)」の言葉が表わすように巨大な聖堂で、聖堂の前と後ろに広場があり、近付くにつれて聖堂の全景が見え、迫ってくるように感じました。14世紀につくられた正面の鐘楼はローマで最も高く、高さは75mもあります。
聖母マリアのお告げのとおり8月に雪が降り、その場所に建てられたことから「雪の聖母聖堂」とも呼ばれました。5世紀の半ばに教皇シクストゥス3世が建設を命じ、その後、歴代の教皇が改築に関わり、時代ごとの建築様式が混在しています。
内部にはローマで最も古い5世紀のモザイク画、15世紀の格子状の天井にはコロンブスがアメリカ大陸から持帰った黄金が使われたともいわれています。
後ろ側の中央に突き出た円柱部分は後陣で、内側に13世紀の金地モザイク画「マリアの戴冠」が見事です。オベリスクはローマ時代にアウグストゥス帝が自らの墓のためにつくられ、16世紀にここに移されました。
「オベリスク」は古代エジプトで神殿の入口などに立てられた方柱の記念碑で、ローマにはエジプトから持ってきたものと新たにつくったものを合わせて13本あります。
ローマの北の玄関:ポポロ門
大きな門が道をふさぐように立ちはだかっています。ローマの北の玄関「ポポロ門」です。モーツァルトもゲーテもここからローマに入りました。
門を入って東側に建つサンタ・マリア・デル・ポポロ教会は11~12世紀に市民の寄附によって創建され、市民を表わす「ポポロ」の名前がつきました。カラヴァッジョの絵画2点をはじめ、著名画家や彫刻家の作品を見ることができます。
ポポロ門を入ると、劇場の幕が上がるように「ポポロ広場」が登場します。19世紀初頭の都市開発で整備され、中央のオベリスクはエジプトのラムセス2世がつくらせ、台座からの高さは36.5mです。
オベリスクの後ろに双子のように似た姿の教会があり、向って左がサンタ・マリア・イン・モンテサント教会、右がサンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会、ともにレナルディ設計の17世紀の建築です。
広場は二つの聖堂の間と左右から放射状に伸びる3本の主要道路バブイーノ通り、コルソ通り、リペッタ通りの出発点でもあります。一番東のバブイーノ通りにスペイン広場があります。
スペイン広場はローマで最も人気のスポットのひとつ。135段の階段の先に見える白い建物は16世紀に建てられたトリニタ・ディ・モンテ教会です。階段の下にあるベルニーニ作「舟の噴水」はワインを運ぶ小舟をかたどったものです。
ローマ復興のシンボル・噴水:ナヴォーナ広場、トレヴィの泉
ローマには多くの噴水があります。ルネッサンス時代の教皇がローマ時代の水道橋を復興して、終着点に特別に華麗な噴水を築き、修復に関わった人々の名誉と誇りを讃えたものです。その代表がナヴォーナ広場の噴水とトレヴィの泉です。
ナヴォーナ広場は古代ローマ時代の競技場で、中世には水を張ってボート遊びや水浴に使ったといいます。現在の姿になったのは17世紀。南北に約300m、幅約100mの細長い広場に三つの噴水があり、周りを壮麗な教会や貴族の館が囲んでいます。
西(写真の左)側のドームがある建物はボッロミーニ設計「サンタニェーゼ・イン・アゴーネ聖堂」、曲面が特徴です。ボッロミーニはベルニーニとともにバロック建築の二大巨匠と呼ばれています。
中央にはベルニーニの傑作「四大大河の噴水」、ナイル川(アフリカ)、ラプラタ川(南アメリカ)、ドナウ川(ヨーロッパ)、ガンジス川(アジア)を表す力強い男性像がローマ時代のオベリスクを支えています。北にはポルタ作の「ネプチューンの噴水」があります。
ナヴォーナ広場には車が入れないので、噴水の彫刻や周りの建物を見ながら歩き、カフェやレストランに寄るのもおすすめです。12月から1月の初旬にかけて、クリスマス・マーケットが建つ広場としても有名です。
ローマで最も有名な噴水「トレヴィの泉」は、18世紀にサルヴィが設計し、三叉路にあるので三叉路を意味する「トレヴィ」と呼ばれています。
中央の彫刻は、2頭の馬が引く貝に乗ったギリシアの海神ネプチューンの躍動的な姿です。泉に後ろを向いてコインを投げ入れるとローマ再訪が叶う、という言い伝えもあります。
世界一大きなカトリック聖堂:サン・ピエトロ大聖堂
カトリックの総本山「サン・ピエトロ大聖堂」は、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝によって、十二使徒のひとりペテロの埋葬地に4世紀に創建されました。
ルネサンス期に危機が迫りましたが、再建は16~17世紀に行われました。再建には莫大な費用がかかり、免罪符で費用を補おうとしたことが宗教改革の引き金になりました。カトリックが信者を引き留めるために壮大で豪華、躍動的なバロック建築・美術が生まれたのです。
聖堂内には11の礼拝堂と45の祭壇があり、6万人を収容できます。高い天井ときらびやかな装飾を見ながら奥に進むと、ベルニーニの作の高さ約20mの大天蓋があり、その地下には聖ペテロを弔う聖堂があります。真上のドームから光りが差し込むとより厳かな雰囲気になりました。
大聖堂の前にある「サン・ピエトロ広場」は、教皇アレクサンデル7世の命によりベルニーニが設計、世界中から集まる信者に感動を与えようと、幅240m、奥行340mの広場の左右に高さ15mの円柱4列・284本を配し、30万人を収容できる壮大なスケールに仕上げました。
ドームから見ると、サン・ピエトロ広場の形がよくわかります。広場の中央には、地上からの高さ41.23mのオベリスクが聳え立っています。このオベリスクは紀元前1世紀にローマ人がエジプトに建て、16世紀にここに移されました。
オベリスクからまっすぐに伸びる道の北側、テヴェレ川に沿いにサンタンジェロ城が見えます。大聖堂の西側にはバチカン市国の3分の1を占める庭園があります。
バチカン美術館はバチカン宮殿内にある24の美術館の総称で、歴代の教皇が集めたコレクションを展示しています。見学できる部屋数は1400、通路は全長7kmもあります。
おすすめは、ピオ・クレメンティーノ美術館です。1503年に美術館の元になった教皇ユリウス2世のコレクション「八角形の中庭」を含め、「ラオコーン群像」などの古代彫刻があります。
「地図のギャラリー」の壁にはイタリア各地を描いたフレスコ画、かまぼこ型の天井には絵画と彫刻がびっしりです。「絵画館」にはダ・ヴィンチ、ラファエッロ、カラヴァッジオなどの名画、システィーナ礼拝堂にはミケランジェロが描いた天井画「天地創造」、壁画「最後の審判」も見逃せません。
建物自体造形や装飾も素晴らしく、会場が広いので、日本語音声ガイドやガイドブックが役に立ちます。
古代から現在までをつなぐ「フォロ・ロマーノ」
フォロ・ロマーノは「ローマ市民の広場」という意味、紀元前6世紀から紀元3世紀まで、古代ローマの政治・経済の中心地として繁栄した場所です。
ローマ皇帝は「死後多くの人々の記憶に残り続けることが成功である」と考え、自らの名を冠した建造物を建てました。フォロ・ロマーノだけではなく、皇帝を讃える建造物がローマのいたるところにあります。
コロッセオは紀元1世紀に完成した闘技場で、主に剣闘や野獣の戦い、サーカスなどが行われました。外周は527m、長さ188m、幅156mある楕円形で、高さは48.5m、約5万人を収容できたといいます。近くにいる人たちがとても小さく見えることで、コロッセオの大きさがわかります。
コンスタンティヌスの凱旋門はコンスタンティヌス帝が政敵を倒した勝利を称えて、4世紀に建造、高さは21m、ローマ最大の凱旋門です。コンスタンティヌス帝が313年にすべての宗教を公認して、キリスト教が広まりました。
395年にテオドシウス帝が没するとローマ帝国は二つに分かれ、東はビザンチン帝国として1000年続き、西ローマ帝国は476年に滅亡しました。ローマが栄光を取り戻すのは15世紀、教皇がバチカンを拠点にして古代遺跡や古代の水道を修復し、オベリスクを主要な教会の広場に道標として置きました。
1870年にイタリアが統一され、翌年ローマは首都になりました。ローマ旧市街のほぼ中心・ヴェネツィア広場には初代イタリア国王を記念して、ザッコーニが設計した白亜「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂」が1911年に完成しました。高さ70m、幅135m、中央には初代国王の騎馬像、屋上には馬車に乗る勝利の女神像があります。
記念堂の屋上からは360度を見渡すことができ、正面を向いて立つと、左にはバチカン、正面のコルソ通りを直進するとポポロ広場、右にサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、後ろにはフォロ・ロマーノを見ることができます。
ローマに魅了されたフランスの画家たち
コロッセオのそばに、絵に描いたような光景がありました。枝の先に葉を茂らせた松、後には細長い糸杉があります。ローマに魅了されたフランス生まれの画家たちを思い出しました。
ニコラ・プッサン(1594~1665年)、クロード・ロラン(1600~82年)、ユベール・ロベール(1733~1808年)です。17 世紀のローマはヨーロッパ美術の中心地となり、芸術家が集まり、各地の美術を育む役割も担っていました。
また、この記事で何度も名前をあげたベルニーニ(1598~1680年)は、17世紀のイタリアを代表する建築家、彫刻家、画家です。「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」といわれ、古いローマを壮麗な美の都に変えたと賞賛されています。
ローマは古代から現代まで特別な存在感を放っています。短い日程では見尽くせないローマ。ローマに興味をもったことが、ローマへ行く道へとつながっています。まずはグーグルマップでローマを旅してみてください。
今回紹介したなかで世界遺産は、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、バチカン市国、フォロ・ロマーノ、コロッセオ、コンスタンティヌスの凱旋門です。
※撮影はすべて2010年6月のものです。