ガス灯のまち馬車道。数々のガス灯を抱く前回の馬車道ハイカラ浪漫ルートに引き続き、馬車道を味わう上で外せない名店がある。
今回取り上げるのは、近代日本のガス灯が初めて灯ったこの街に静かに佇む馬車道十番館。創業当初から横浜とともに歩み、今もなお横浜とともにある老舗の名店である。
その認知度は高く、馬車道といえば馬車道十番館というほど。近年になってからは情報発達の恩恵も後押しし、ハイカラな店内でのひとときを求め遠くから足を運ぶ顧客も増えてきた。
その魅力はどんなところにあるのだろうか。一つずつ触れていきたい。
複数の駅からの好アクセス!
複数の駅からアクセスできるところ、前回の馬車道ハイカラ浪漫ルートをなぞると、市営地下鉄ブルーライン関内駅かJR関内駅北口からのアクセスが最短。
山手234番館、ブラフ18番館などでおなじみの、どこどこ何番館。横浜開港当初、海岸沿いに建てられた外国商館は一番館、二番館と呼ばれていた。昭和42年(1967年)、明治100年記念に勝烈庵の十番目のお店として洋食の山手十番館が建てられ、その3年後に姉妹店として開業したのが馬車道十番館である。
前回の馬車道ハイカラ浪漫ルートで触れた県立歴史博物館付近の給水場に対し、こちらは大正6年、当時の横浜の陸上交通の主力であった牛馬のため、神奈川県動物愛護協会の前身である日本人道会と横浜荷馬車協会が現在の磯子区八幡橋際に設けたものだという。
このほか中区の生糸検査所、西区高島駅前、久保山ガード付近にも設置され、牛馬たちの途中休憩所とされた。荷馬車協会には3,000頭もの牛馬がおり、夏には洒落た麦わら帽子姿で気どった足どりで荷物を運んだという。(昭和四十五年十月 横浜史料保存会)牛馬たちの何とも洒落た麦わら帽子姿をひと目見てみたくなる。
十番館は横浜とともに
横浜とともに歩み続けること53年。いつまでも横浜を愛したい思いのもと、人びとの旧き佳き日を偲ぶよすがにお目見えした十番館。思わず見上げる5階建ての瀟洒な煉瓦造りからして開化当初の文明の薫香を放ち、異国情緒たっぷり。ハイカラ文化と人の思いをあたたかく抱くように保存している。
この十番館を語る上で欠かせないのが、明治の先駆けとしてインフラ整備に貢献したガス事業創始者兼、横浜を造った父の一人でもある高島嘉右衛門(たかしま かえもん)である。高島家旧跡にあたる地に佇むクラシカルな館内は、シンプルモダンなアーチ状のステンドグラス越しにやさしい光が差し込む。
十番館といえばフレンチレストラン。3Fレストランではこの国の洋食文化の扉を開いた開港ディナーなどが堪能できるが、今回は初めての方にも親しみやすい喫茶室をメインにお伝えしていきたい。
平日日中も混雑する1F喫茶室は、しばし空席待ちをすることも珍しくない。お店は長く愛され続けており、定期的にリピート愛顧する昔からの地元常連客も多く、親子何世代にも渡って利用する顧客もいるという。
時代を超え、いまもなお愛され続ける十番館。喫茶室を訪れる顧客は誰もが一様に屈託のない笑顔がこぼれ、その場に憩うことを純粋に愉しんでいる。
時代を取り巻いてきた調達品ひとつをとっても、見ごたえだらけの店内。旧いものを重んじてきた先人の思いは今日も脈々と受け継がれ、お店自体に文化を保存する資料館のような役割があるが、そこには間違いなくお客さんも含まれている。凛と優雅なハイカラ・レトロでありつつも肩肘を張ることなく、みんなでこの素晴らしい文化を保存しているのだ。人の思いが館内の随所にある木の温もりやお店の人の思いと相まって、それ自体ある意味一つの生きた重要文化財のようになっている。それを五感で顕著に感じられるのがこの喫茶室ともいえそうだ。
地元マダムにおじさま方、外国人観光客。平日もひっきりなしに入店してきてはテーブルに身を落ち着け、あたたかい笑顔をうかべる。一人しずかに珈琲を嗜む人、談笑し、交わりのひとときを愉しむ人。一人ひとりの幸せそうなお顔つきを拝見すると、そんな気がした。
温もりの秘密、椅子にもあり
気取らずスッキリ洗練された華やかさと、木のやさしい温もりが混在する店内。その秘密はこの椅子にもあるといえるだろう。喫茶は落ち着いてその場に身をゆだね、ゆったりくつろげてこそ。十番館での喫茶はそれを叶えてくれる。
注目したいのは、この革張り部分の色味である。シンプルな上品さと落ち着き、深みのあるローズピンクのような色味が絶妙にいい味を出しており、まさにハイカラ。暖色であることと、椅子自体と店内の木の部分とが相まってやさしい温もりを生み出している。
コンパクトなテーブルもほどよく使用感があり、椅子との共演で落ち着いたハイカラクラシックな雰囲気を作り出している。
温もりのある空間の、温もりのある椅子。ただそこにあるだけのものと違うのは、そこに横浜の歴史と人の思いが溶け合っている点だろう。それを愛しつづける人たち、守り受け継いでいく人たちがいて、この空間はできている。
ハイカラスイーツ
そんな優しい椅子に腰を落ち着かせ、喫茶室ではデザートや軽食など、十番館自慢の美食を嗜むことができる。
ハイカラスイーツと呼ぶにふさわしい、数々のデザートあふれる十番館。個人的なおススメも多々あるなか、今回は初めての方にも向け、十番館といえばこれ!で有名なふたつの名物を取り上げたい。ショートケーキとビスカウトである。
まずはショートケーキ。
十番館といえばこの丸いショートケーキ。十番館スイーツの中でも一番人気を誇るテッパンスイーツである。定番の三角型とはひと味違う、この丸型こそが十番館ならでは。丸型はまず見かけないという方も多く、この時点でかなりレアである。
それにしても、どうして丸型なのだろうか。由来や思いなどを伺った。黒服に身を包む凛とした佇まいで、十番館スタッフの金子さんはこう話す。
「三角のショートケーキは元々丸型のケーキから切り離して三角になっているのに対し、十番館のショートケーキは元々丸い型で作っています。由来というよりは、切り離したものではないことに価値があるという考えに基づいて、そのように創られています」
そしてお味の方は、”ほどよさ”が人気の秘密だ。ケーキをいろどる、ほどよく甘酸っぱいいちごは中にもうまいこと入っており、それでいて控えめで上品な甘さの生クリーム。そしてふわふわのスポンジ。三者コラボによる、ほどよさシンフォニーが口の中にやさしく拡がっていく。
あまり甘すぎるのはちょっと、という方にこそぜひ味わっていただきたい。
オリジナルブレンドコーヒーは、そのままの味はもちろん、シュガー、ミルクインのほか、クリームを注いでウインナーコーヒーとしても愉しめる。シュガーにミルク、クリームはすべてがたっぷり気前よく入っており、一杯で複数の違う味わいを嗜めるのも、十番館ならでは。
ハイカラ店内で香り高いコーヒーとともに文明開化の華やかな香りをかぎ、ゆったりとした時の流れに身をゆだねてほしい。
響きもハイカラ、ビスカウトプレト
続いては、ビスカウト。ショートケーキともども、これも馬車道十番館の看板商品として欠かせない存在である。
真ん中にガス灯をあしらった十番館のビスカウトは、「あいすくりん」ともどもハイカラな響きが粋な名物である。創業から変わらない味は横浜土産としても広く親しまれ、アイスクリームを挟んだものもある。今回は定番のクリームを挟んだビスカウト(ピーナッツ、ココア、レモン)を取り上げたい。
まずはピーナッツ。こちらはサクサクのビスク生地にピーナッツクリームの風味がほどよくしみこんでいるところがポイント。まだクリームに到達していないにもかかわらず、ひと口かじっただけで早くもピーナッツ風味がやさしく拡がる。
ココアは上品なほろ苦さで、奥行きのある味わい。クリームも甘すぎず、手のひらサイズながらも調和のとれたまとまりを感じられる。
レモンはパッケージを開けた瞬間、ふわ~っと拡がるさわやかな香りがポイント。ピーナッツ同様、予告なしの素敵な魔法仕掛けのようなその香りに、筆者自身思わず「うわぁ~・・・」「たのんでよかった・・・」と声がこぼれてしまったほど。香りも味のうちだと改めて知らされる焼き菓子である。
ビスカウトは一つひとつが大きめでボリュームがあるため、ワンプレートでもなかなかの食べごたえ。どの味も共通ポイントはショートケーキ同様、上品な甘さにある。初めての方も馬車道のハイカラな足跡を辿った暁には、ぜひ十番館で五感のセンサーをフルにして召し上がっていただきたい。明治当初へのタイムスリップ度がひときわ高まる喫茶室で嗜むことで、味わいもいっそうゆたかになる。
なお、ハイカラスイーツを先にたのんでからあとでメインのプレート(料理)をたのむと、スタッフさんのこちらのメイン料理に移行したいタイミングまで待ってくれる心づかいも嬉しいポイント。デザートの食器類を下げてくれたあと、ほどなくして料理用のフォークやスプーンがテーブルに並べられるそのときは、これからメインのおたのしみがいよいよやってきますよ感もひとしおになる。
それにしても、ビスカウトだけでも十分ハイカラな響きをもつところ、それプラス「プレト」でビスカウトプレトとはなかなかシビレる。プレート、と伸ばさず、短く「プレト」というところがポイントかもしれない。
ということでビスカウトにビスカウトプレト。どうぞお見知りおきを。
そして、贈答用ビスカウトを結ぶリボンとしても登場するこの三色。十番館のシンボル旗について、フランス料理をやっているからフランスの国旗の色にしているのかおたずねしたところ、スタッフの合田さんが「詳細はお店スタッフの方でも聞いていないのですが」とした上で、「そうですね、フランス料理に因んでいることと、あと文明開化のイメージからもそうなっているようです」と話してくれた。
ゆっくりと時間をかけ、しみじみと馬車道の足跡を辿った記念のお土産には、迷わず名物ビスカウトをセレクトしてほしい。近年ではミニビスカウトも登場し、地方発送も承っている。
開港期の香りを今に伝える調達品
十番館の見どころの一つは、数々の調達品。先人の思いを受け継ぐそれらは、これだけでも見ごたえ十分といってもいいほど。建物自体が一つの文化財そのもののため、今回は1F喫茶室から比較的近い素敵部分をかいつまんでお伝えしたい。
夜は格別ですよ編
前回のハイカラ浪漫ルートおさらいも兼ね、ここで馬車道の夜についても触れておきたい。馬車道の夜はガス灯たちが放つ夜ならではの色気があり、日中とはまた違った顔を見せてくれる。
普通の電気とはひと味違う、やわらかな光のゆらめきはガス灯ならでは。これは記事の写真でというより、ぜひ現地で直に見て五感でそのよさに触れてほしい。
体に巡る記憶と変化
前回取り上げた馬車道の息づかいをゆっくり思い巡らし、その余韻に浸るよすがとしてうってつけの十番館だ。あたたかいハイカラレトロな店内で、初めて来たのにずっと前から知っている場所のような、どこかなつかしさを覚えるという人も多い。それは物理的に生まれ育った実存の故郷のみならず、時や環境の変化を超えてなおいつまでも心に残る、何かしらの心地よい記憶や感覚とどこかでリンクしているからこそではないだろうか。そしてこのなつかしさこそが、そこにしかない居心地のよさを生み出している。
馬とガス灯とこのまちの切っても切り離せない関係を思うとき、故郷のもつふしぎな力を思わずにはいられない。馬に関していえば、レースでいまひとつ成績の振るわない競走馬たちを休養のためいったん生まれ故郷に戻してやることで元気になり、その後成績がよくなる子たちがいる。同様に、十番館に来店する人びとはそれと似たような疑似体験をすることで心地よく原点に帰るようにパワーチャージし、だからこそまた来ようと思う人も少なからずいるのではないだろうか。故郷のもつなつかしさには理屈や説明を超えた特別な力があるものだ。
それはガス灯にも似ている。ちょうど、ガス灯がこのまちの夜道を初めて明るく照らしたように、心のガス灯にもあたたかい火を灯してくれるような、そんな感覚かもしれない。
一杯の珈琲の温もりとともに、人びとは今日も記憶を体に巡らせている。ほぐれた心と笑顔でその場に思い思いに憩う一人ひとりからそう感じた。そしてそのような人びとをお店の片すみで見守り、馬車道の歴史を刻んできたあの大時計の針は、止まっていてもなおまだ動いているように思えた。どれほど時代が変わろうとも、十番館が人の思いの中にありつづけるかぎり、いまでも人とまちとともに歴史を刻んでいるのだと。
馬車道での散策後、十番館でのひとときがくれる心の変化にぜひ思いを巡らせてみてはいかがだろうか。時を超え、心のふるさとは誰にでもいつまでもありつづけ、あたたかく自分を取り戻させてくれる。
店舗基本情報
店名 | 馬車道十番館 |
住所 | 神奈川県横浜市中区常盤町5-67 |
電話 | 代表 045-651-2621 予約専用 045-651-2168 |
営業時間 | レストラン 11:00~22:00 ランチ 11:00~15:00(L.O. 14:00) ディナー 17:00~22:00(L.O. 21:00) 喫茶・売店 10:00~22:00 バー 16:00~23:00 |
ホームページ | https://www.yokohama-jyubankan.co.jp/ |
記事詳細情報
馬車道商店街協同組合 | |
住所 | 神奈川県横浜市中区常盤町4-42 |
電話 | 045-641-4068 |
ホームページ | https://www.bashamichi.or.jp/index.html |