「マスクの着用は個人の判断」となった3月13日以降も、街を歩くと約9割の人がまだマスクをつけています。
そもそも、それ以前から厚生労働省では「屋外では原則不要、屋内では原則着用」とし、「マスクは任意」でした。それなのにマスクを継続する人がなぜこんなに多いのでしょうか?
まず、厚生労働省に問題があります。
令和5年2月10日に作成された3月13日以降のガイドラインには、未だに「感染拡大防止対策として、マスクの着用が効果的である場面などについては、マスクの着用を推奨します」「周囲の方に、感染を広げないためにマスクを着用しましょう。受診時や医療機関・高齢者施設などを訪問する時。通勤ラッシュ時など混雑した電車・バスに乗車する時」「ご自身を感染から守るために、マスク着用が効果的です」とあるのです。
すでに、マスクは感染予防対策として効果がないことが科学的に証明されているにもかかわらずです。
コロナ前からマスクが好きだった日本人
そもそも、2020年に始まった世界的なコロナパンデミックの前から、日本では、晩秋・冬・春にかけては、風邪対策や花粉症対策でマスクをする人が多い「日本特有のマスク文化」がありました。
2017年にシャレコーベミュージアムの「第6回ハロウィンフェスティバル」で『【仮装 変装 変身】ハロウィンだからマスクとコスプレを考える。〜プロレスの覆面を中心に〜』という講演をおこなった際、すでに新聞記事を元に“外国人には異様にうつる日本人のマスク集団。女性は「化粧していないのを誤魔化す」、男性は「ひげを剃っていないのを隠す」などの理由がありますが、特に多いのは若い女性です。”と私は話していました。
日本人の伝統的な美意識「顔隠しの文化」
この日本人のマスク好きは、日本には、平安貴族が扇子で顔を隠したり、江戸時代には御歯黒や眉剃り、白塗りで顔を隠すなど「顔隠しの文化」があったからだという説もあります。
古くから日本人の美意識のなかには「奥ゆかしい」ことが良しとされ、昭和の時代、1980年代でもまだ「歯を見せて笑うのははしたない。女性は口に手をあてて笑うのがマナー」と言われていました。
インターネットの普及で拡大した「匿名」「匿顔」
インターネットの普及で、取引先の人と全く顔を合わせずに仕事する機会も増えました。
私も雑誌の取材は、2000年代前半どころか2010年くらいまでは、直接顔を合わせてやっていました。2回目以降は「電話やメールで」となることもありますが、編集者やライターさんと1回も会うことなく仕事をするのは稀れでした。
それが今ではほぼメールのやりとりで、顔を合わせないほうが当たり前の時代になりました。
これを、日本顔学会2代目会長で東京大学名誉教授の原島博先生は「匿顔のコミュニケーション社会」と名づけました。
「匿顔そのものが快適になり、その世界を中心に生きるようになる」「顔を匿すことにより気楽にコミュニケーションできる」という利点もあります。
また、先生は「顔を匿すことによりエネルギーが生まれる。勇気がでる」ともおっしゃっていました。
正義のヒーロー『鞍馬天狗』や『月光仮面』も顔を隠していますし、『仮面の忍者 赤影』『タイガーマスク』は仮面や覆面をつけていました。
※『仮面ライダー』は仮面だけではなく改造人間に変身することで強くなりますが。
匿名掲示板の「2ちゃんねる」が誕生した時も、匿名・匿顔で芸能人やスポーツ選手など有名人の「悪口を言う道具」として使われる一方で、匿名・匿顔だからできる正義の「内部告発」もありました。
自称「コミュ障」をなくすために「マスク禁止法」が必要?
それが、スマホの出現で誰もがインターネットをする時代になったことで、「正義のため」はほぼなくなり、匿名・匿顔で有名人を誹謗中傷して憂さを晴らし、ストレス発散する人が増えました。これは「正義」ではなく「卑怯」です。
SNSが普及するようになっても、日本では基本的に実名の「Facebook」よりも「Twitter」の利用者が多く、他国に比べても匿名利用の多さが顕著です。
多くの日本人は「実名を晒すことのメリット」よりも「匿名・匿顔のメリット」を選んでいるのです。
自称「コミュ障」の人が増え、店員とコニュニケーションするより券売機のあるお店を選んで外食。話しかけられたくないから電車の乗り換えや街中でも耳には常にイヤホン。そして、顔を見られたくない、表情を読まれたくないから暑くなければ基本マスクという人が増えたのです。
そして、コロナによる「どこでもマスクの生活様式」がきっかけとなり、建前上は「感染防止対策のためにマスクをつけている」という顔を隠すための免罪符を手に入れることになりました。
しかし、本来、人間の顔はその人の身分証明書であり、会議や商談などで顔が隠れるマスクをしていたら信用されないのが常識でした。考えてみてください。個人の自由だからと言って、真っ黒なサングラスや帽子を目深に被って会議に出る人がおりますか?(覆面レスラーのザ・グレート・サスケさんが岩手県議会議員になった際、覆面着用問題が勃発して最終的に覆面着用が容認される特例がありましたが)。
コロナパンデミック前には、アメリカの18の州で身元を隠すのを防ぐための「マスク禁止法」があったくらいです。
人間は顔を見せ合うことで社会的に発展してきた
我々人類は顔面から眉毛とヒゲ以外の毛をなくし、表情を豊かにし、顔でコミュニケーションを図ることで、助け合いながら発展してきました。
自分の顔から情報発信をし、相手の顔から情報受信をすることでコミュニケーションを図り、進化してきました。
マスクが「顔を美しく飾るため」ならば「化粧(ファッション)」ですが、「顔を隠すため・表情を隠すため」ならば、コミュニケーションを拒否していることになり、それは人間の生き方ではないと私は思います。
あなたの「顔」は、あなただけのものではありません。共同生活をしていくために他者に見せる「社会の一員としての顔」でもあるのです。
3年間もの間、同級生の顔が見えず、卒業式でようやく見ることができた中学生。マスクを外したくない理由に「顔を見られるのが恥ずかしい」「顔を見られるのが怖い」若い人まで出てきてしまいました。マスクが子どもの脳と心の発達に悪い影響を及ぼす研究データもあり、教育者は「喜怒哀楽の感情を学ぶ機会が急激に減った」と警告を鳴らしています。
もはや「マスクは個人の判断」と言っている場合ではないのです。
「個人の自由」と「個人の勝手」は違う。
「今だけ、金だけ、自分だけ」にならず、未来を生きる子供たちのためにも大人たちが率先してマスクを外さなければなりません。
日本人の国民性
元々は「論語」の出典ですが、聖徳太子が十七条憲法で掲げた「和をもって貴しとなす」の精神が今も残る日本。
島国で育まれた村社会の「しきたりを破ったものは村八分」
これらが悪いほうに作用して、同調行動、同調圧力が強い日本社会。そして、現代の日本人は、「自分本位だけど主体性のない日本人」「責任を負いたくない日本人」「事なかれ主義の日本人」になっていると思います。
最後に、スリランカ人に教えてもらった「同調行動好きな日本人」の国民性がよくわかるジョークを紹介します。
船が沈没して、3人乗りの救命ボートにイギリス人、アメリカ人、ドイツ人、日本人の4人が乗りました。定員オーバーなので、誰か1人に飛び降りてもらわなければなりません。何と言えば飛び降りてくれるでしょうか?
イギリス人に対しては「あなたはジェントルマンですよね?」
アメリカ人に対しては「あなたはここで飛び降りたらヒーローになれなすよ!」
ドイツ人に対しては「あなたが飛び降りなくてはなりません。これはルールなんです」
日本人に対しては「みんな飛び降りてますよ」
みんながマスクを外すと、「顔を見られるのが怖い人」もマスクを外すようになるのが日本人なのです。
あなたが先に顔を見せることで、顔を見せ合う社会にしていってください。
神社仏閣での「献灯」は、心の闇を明るく照らす意味もあります。
暗い社会を嘆くのではなく、率先して自分が一灯になりましょう。
あなたからマスクを外して、明るい笑顔でコミュニケーションを!