1920年代のパリで活躍した2人の女性、ローランサンとシャネルは同じ1883年生まれ、彼女たちの生誕140年にあたる2023年、2人を中心にして当時を伝える展覧会です。2023年4月9日(日)まで渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されています。
会場に入ると、横を向いたマリー・ローランサン(1883~1956年)の写真が出迎えてくれます。淡いピンクを背景に、ファッション誌で活躍する写真家イギリスのビートンが撮影しました。ここは撮影ポイントです。ローランサンといっしょに写真を撮りましょう。
フランスの画家ローランサンは、パステルカラーで幻想的で儚げな独自の女性像を描くことで知られています。
1920年代パリを象徴する2人の女性、女性的な優美さを求めたローランサンと、女性の服装を画期的に変えたココ・シャネル(1883~1971年)は同じ年に生まれました。彼女たちの生誕140年にあたる今年、2人を軸に約90点の作品で当時の雰囲気を伝える展覧会です。展示の流れに沿って紹介します。
Ⅰ 狂騒の時代(レザネ・フォル)のパリ
二つの世界大戦に挟まれた1920年代のパリは、「狂騒の時代(レザネ・フォル)」と呼ばれ、好景気に生きる喜びを謳歌し、新しい芸術運動が次々と起こりました。
展覧会はマリー・ローランサン41歳の自画像から始まります。ローランサンは短髪の「モダンガール」を装い、斜め下を静かに見つめています。29歳で恋人の詩人・アポリネールと破局、母の死、ドイツ貴族との結婚、第一次世界大戦でスペインへの亡命を経て、パリに戻り、1922年に離婚が成立。その後、肖像画、舞台美術へと活躍の場を広げていきました。
右はシャネルを描いた肖像画ですが、シャネルが描き直しを要求し、ローランサンはそれに応じず、シャネルが受け取らなかった作品です。
この2点の作品は、ローランサンが社交界で肖像画家の地位を確立するきっかけになったものです。モデルのグールゴー男爵夫人ははじめに右の作品を依頼し、気に入ったのですぐに注文した左の作品にも満足でした。
上流階級の夫人たちの憧れは、ローランサンに肖像画を頼み、シャネルのファッションに身を包み、写真家のマン・レイ(1880~1976年)にポートレートを撮ってもらうことだったいいます。
こちらはボーモン伯爵夫人を描いた肖像画で高さは230cmもあり、伯爵夫妻のパリ邸宅の玄関ホールに飾られました。子どもの姿に描かれた夫人は、思い思いの仮装をして集まる、当時の舞踏会の雰囲気を伝えています。傍らには、『ヴォーグ』誌に掲載された肖像画の前でポーズする伯爵夫人の写真が展示されています。
Ⅱ 越境するアート - バレエ・リュス
1920年代のパリではキーワードのひとつが「越境」でした。スペインからピカソ(1881~1973年)、ミロ(1893~1983年)、ロシアからシャガール(1887~1985年)、日本からは藤田嗣治(1886~1968年)、アメリカからはマン・レイ、国境を超えてさまざまな人々が集まり、それぞれが才能を開花させました。そして美術、文学、音楽、ファッションなどのジャンルを超えた表現も現れました。展示室の壁面に現れる言葉にも注目です。
ジャンルを超えた代表的な芸術活動は「バレエ・リュス」、フランス語で「ロシア・バレエ団」を意味します。主催はセルゲイ・ディアギノフ(1872~1929年)で1909年のパリ初公演から20年間、フランスを中心に舞踊や舞台デザイン界に革命を起こしました。ピカソ、ミロらをブルジョワ芸術と見なされる舞台に引き寄せたこともバレエ・リュスの成果でした。
ローランサンとシャネルもこのバレエ団の公演に参加して表現の幅と人脈を広げました。ローランサンは1924年初演のバレエ『牝鹿』、バレエ『薔薇』の舞台装置と衣装を担当しました。
ローランサンは第二次世界大戦後もバレエに関わり、上記のプログラムの表紙も描きました。淡く夢見るような色彩が舞台に誘っているようです。
Ⅱ 越境するアート - アール・デコ展
絵画や彫刻などの純粋芸術に比べて工芸やファッションは一段低い扱いを受けていましたが、芸術の平等の意味も込めた「アール・デコ博」は1925年にパリで6か月間開かれ、150のパビリオンが並び、日本もパビリオンを建てて参加しました。「フランスの大使夫人の部屋」にはローランサンの作品が提供され、大きな話題を呼びました。
Ⅲ モダンガールの変遷
1910年代、デザイナーのポール・ポワレ(1879~1944年)は民族衣装などを研究し、ハイウエストにすることでコルセットを使わないドレスを発表、発色が美しいポショワール版画にして出版しました。美術作品としても魅力的です。
1920年代は新しい女性たち「モダンガール」が登場します。第一次大戦時、戦場に行った男性に代わって女性が働き社会進出が進み、都市の大衆文化を背景に、短髪、ストレートなシルエットのドレスをまとう女性たちが現れました。
シャネルはキャリアを帽子のデザイナーとしてスタートさせました。当時、帽子はもっとも重要なファッションアイテムでした。装飾を抑えたシンプルなデザインを自ら身につけ、高く評価されました。この帽子近くには、ローランサンが描いた帽子をかぶった肖像画がならんでいます。
ローランサンが描く肖像画の顔立ちは似通っていますが、帽子のデザインやかぶり方、マフラーやアクセサリーなどからモデルの個性が感じられます。
自画像も帽子をかぶっています。はじめに紹介した「わたしの自画像」(1924年)と比べると、自信と華やかさを感じます。
モダンガールのひとりだったシャネルは、モダンガールのためのオートクチュールのドレスをデザインしました。左はウエストをマークしない直接的なデザイン、膝下まで足を見せる開放感があります。
香水「シャネルN゜5」は1921年に発売されました。100年近くも昔なのに、広告からは新しさを感じます。当時の常識を覆す調香、コードのような名前は、香水の歴史を塗り替えました。シンプルなボトルも当時からほとんど変更なく、現在も買うことができます。
1929年にニューヨークの株価暴落に端を発した世界恐慌は、パリも飲み込み、ローランサンの肖像画としての人気に陰りが見え、作風も変わりました。淡い色で作り出す夢幻の世界から明るく強い色彩に変わり、はかなげな人物像は女性らしさが強調されました。
この2点の肖像画でも、はっきりとした色調、正面を見返す瞳には力があります。
エピローグ ローランサンの色彩(パレット)
1983年から36年間、ファッションブランド・シャネルのアーティスティック・ディレクターをしていたカール・ラガーフェルド(1933~2019年)がローランサンの色彩に着想を得て数回コレクションを発表しています。最後の展示室には、2011年春夏オートクチュールコレクションからピンク色のドレス3点が展示されています。
最後の展示は「ニコル・グルーと二人の娘、ブノワットとマリオン」。モデルはローランサンと家族ぐるみの付き合いだったグルー夫人と2人の子どもです。グレーを背景に3人がピンク色のドレスを着た肖像画で、モデルたちと画家の親密な関係を感じさせます。この作品はカタログの表紙、チラシにも掲載されています。
マリー・ローランサンはパリで母とふたり暮らし、磁器の絵付けを習い、画塾アカデミー・アンベールで絵画技法を学びました。多くの芸術家と出会い、フォーヴィスム、キュビスムなどからも影響を受けて、独自の芸術をつくり出しました。ローランサンの作品は、ピンク、グレーを基調にはかなげな女性像だけをイメージしていましたが、装飾、デザイン、舞台なども手がけ、幅広く活躍していたことを知りました。
第6回のパリ万博でピカソが「ゲルニカ」を出品した1937年、ローランサンはフランス最高の「レジオン・ドヌール勲章」を授与されました。
ミュージアムショップには、複製絵画、展覧会のオリジナル文具の他、菓子、化粧品、手芸品など多種多様なフランス製品が並び、パリの雰囲気に浸れます。
展覧会基本情報
「マリー・ローランサンとモード」展
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/23_laurencin/
開催場所:Bunkamura ザ・ミュージアム
東京都渋谷区道玄坂2-24-1
会 期:2023年2月14日(火)~4月9日(日)
※3月7日(火)休館
開催時間:10:00-18:00(入館は17:30まで)
※毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
※金・土の夜間開館は、状況により変更になる場合があります。
入館料 :(オンライン予約、当日券)
一般1,900円、大学・高校1,000円、中学・小学生700円
巡回予定:京都市京セラ美術館 2023年4月16日~6月11日
名古屋市美術館 2023年6月24日~9月3日