お正月明けとなる新年早々、京都国立近代美術館で建築ファン待望の「分離派建築会100年 建築は芸術か?」がいよいよスタートしました。「楽活」では全5回で本展を様々な角度から楽しむための記事をお送りしていきます。
そこで、第2回となる今回は1/6から始まった本展をレポートしていきたいと思います!
分離派建築会の全てが詰まった、約250点の充実展示!
それでは、早速展示室へと入っていきましょう。本展は、京都国立近代美術館の3F全フロアが使われています。まず入り口を入った最初の展示室は、分離派建築会メンバーの手による数少ない貴重な【現存する】建築物の写真と、「ブンリ派」と書かれた妖しいネオンサインが!
そして部屋の中に響き渡るのは、分離派建築会の旗揚げ時に発表された宣誓文「我々は起つ、過去建築圏からの・・・」を読み上げる女性のナレーション。入り口から、どっぷりと大正時代へとタイムスリップしたような気分に浸ることができました。
こちらの部屋は、嬉しいことに写真が撮り放題。写真家・若林勇人さんが本展のために全国を駆け巡って撮り下ろした美麗な写真が、巨大なパネルで登場。僕もありがたく1枚1枚全部撮影させていただきました。
また、入口付近には、漫画家・Y田Y子さんが本展のために描き下ろした解説マンガが読める特製パンフレットも用意されています。こちらは先着2,000名で平日限定の配布となりますので、欲しい人はぜひお早めにどうぞ!
日本初の建築運動は「展覧会」を軸に繰り広げられた!若き建築家のデビュー作品に要注目
さて、それではいよいよ展示室の中に足を踏み入れていきましょう。まず印象的なのは、展示室の端から端まで貫かれた細く長い通路。この通路を歩きながら、通路の途中に設けられた各入り口から、それぞれ章別に分かれた小部屋へと入っていく仕組みになっています。
面白かったのは、この通路自体も一種の展示になっていたこと。分離派建築会メンバーについての資料や文献のコピーを超拡大したパネルが長い通路一面に貼られていました。
これは壮観。
まるで本の中に入り込んだかのような不思議な気持ちが味わえます。しかも、内容も結構面白くて、公式図録未掲載の資料も多数含まれているので見逃せません。
また、勢いのままにガーッと一夜漬けで作ったような室内装飾も面白い。ベニヤ板やダンボールを荒削りに組み合わせた学園祭のような雰囲気は、若き日の分離派建築会メンバーのキャラクターに重なるものがありました。
さて、東京帝国大学を卒業したばかりの若き日の分離派建築会メンバーは、「我々は起つ」と高らかに宣言するとともに、独自の展覧会をぶち上げて日本の建築界に鮮烈なデビューを飾ります。
合計7回に及ぶ展覧会を軸として活動を展開した彼らの活動は、日本で初めての建築運動となりました。本展では、白木屋呉服店(東急百貨店~現・COREDO日本橋)で開催された第1回展「分離派建築会製作展覧会」出品作を中心に、彼らの展覧会での活動内容を様々な資料を用いて紹介。若き日の建築家たちの熱気と興奮が感じられる展示は、本展前半のハイライトになっています。
ぜひ観ておきたいのは、分離派建築会創設メンバー6名が第1回展で発表した東京帝国大学での卒業設計作品です。来たるべき鉄筋コンクリート時代をにらみ、クラシカルな明治建築からモダニズム建築へと移行するちょうど端境期の建築デザインがどんなものだったのか、ぜひじっくり堪能してみて下さい。
展示を見ながらハッとさせられたのが、全ての設計書が彼ら自身の肉筆によるものであったこと。3次元CADを駆使して設計を進める現代とは違い、約100年前にはパソコンはおろか計算機すら存在しません。1本1本の線を丁寧に引いているところや、所々に残る肉筆のメモ書きなどをみつけると、非常に感慨深いものがあります。
また、注意深く見てみると、結構面白いものがみつかります。たとえば、瀧澤眞弓「山岳倶楽部」では、正面玄関左側のガゼボのようなちょっとしたスペースには、かわいい噴水が描かれていたりします。ぜひ、細かいところまでじっくりチェックしてみて下さい。
展示室には、設計書だけでなく展覧会の会場写真や、彼らの運営議事録といった資料も残されています。1920年といえば、まだ日本に美術館も博物館もほとんどなかった時代です。そんな時代に自分たちの手で展覧会を作っていこう、という志は凄いですよね。
今はもう現存しない建物の貴重な建築模型が凄い!
こうして、彼ら分離派建築会は、日本の建築業界にて徐々に存在感を増していきます。
では、彼らは実際どんな建物を手掛けたのでしょうか。
そこで、本展で次にしっかり観ておきたいのが、分離派建築会メンバーが手掛けた建築の「模型」展示です。本展では、すでに取り壊され、現存していない彼らの代表作を中心に精密な模型がずらり。本展の2つ目のハイライトと言っても良いでしょう。
それではいくつか紹介していきます。
まず、こちらの瀧澤眞弓「山の家」の非常にユニークで有機的な形を観て下さい。まるで彫刻作品のような、リズム感のある流線型が特徴的ですよね。彼ら分離派建築会メンバーは、当時「白樺派」メンバーの尽力によって日本に紹介されたばかりのロダンや、その系譜を引く現代彫刻群からの影響を非常に多く受けているんです。建築を「芸術」ととらえていた彼らにとっては、彫刻は最も重要なインスピレーション源の一つでした。
実際、展示室内では彼らが大きな影響を受けた、キュビスム風の作品を得意としたリプシッツやアーチペンコ、レームブルックといった作家の現代彫刻作品が展示されています。
こちらは、後に茶室研究でも第一人者となる堀口捨己が、ヨーロッパからの視察旅行から戻ってから手掛けた代表作「紫烟荘」。当時オランダで流行していた最先端の建築様式を大胆に取り入れています。
どんぐり帽子のような茅葺屋根が非常に面白いですよね。屋根だけを見ると伝統的な日本の農村風景を想起させるのに、一度建物内部に入ると、室内には「円」や「正方形」などの幾何学形を取り入れたモダンな香りが漂っているという、まさにモダニズム建築への移行期ならではの実験的な作品です。
そして、僕の一推しの注目作品がこちらの東京朝日新聞社社屋です。
東京朝日新聞社は、現在の銀座の顔として知られる複合商業施設「有楽町マリオン」が建てられる以前、1980年代前半まで銀座数寄屋橋にあった重厚なオフィスビルでした。
まずはみてください、この威容を。バウハウスでグロピウスから薫陶を受けた石本喜久治が、帰国後に学んだ成果をガッツリぶつけて制作した野心的な作品です。もし現存していればそろそろ築100年になっているはずですが、外観のデザインは現代のオフィス建築とほとんど変わりませんよね。昭和モダニズム建築の香りが漂う戦艦のようなマッチョな建物です。
実はこのビル、単なる新聞社の本社社屋として使われていただけでなく、2F部分では輪転機がフル稼働していた巨大な新聞印刷工場でもありました。ここで印刷されたできたてホヤホヤの新聞が、1Fの搬出口からトラックで運び出されて首都圏全般へと配達されていったのです。
実際に、1F部分をよーく観てみると、新聞を搬出するトラックが今まさに出ていこうとする情景が再現されていますよね。芸が細かい!!
また、新聞社ですので、屋上にはちゃんとヘリポートもありました。こちらは、ヘリポートから延びる避雷針に取り付けられた現代アートのような幾何学的な装飾。こんなところもしっかりと再現されているのですよね。
実際、都心の一等地で確固たる存在感を放っていた東京朝日新聞社の建物は、大正・昭和初期を代表する創作版画家・小泉癸巳男によって風景画のモチーフにも取り上げられています。絵の中では、朝日新聞のトレードマークでもある旭日をあしらった社旗がはためいています。
もう一つだけ、注目作品を挙げておきましょう。こちらも、かつて東京駅のすぐ側にあった東京中央電信局の模型。山田守の代表作の一つです。
見どころは、リズム感あふれる連続したアーチ型のデザイン。青焼きでみると、もっとよくわかりますよね。
ぜひ、様々な角度から「アーチ好き」な山田守の連続アーチ型デザインを愛でてみて下さい。本作をよく見た後に、京都タワーや清洲橋、聖橋といった現存する山田作品を見に行くと、山田が反復するアーチ(または円)のデザインに如何に入れ込んでいたかよくわかります。
レアな資料群で今は亡き建物を偲ぶ!
本展の凄いところは、数々の建築模型以外にも、様々な資料群を集めて丁寧に分離派建築会メンバーが手掛けた建物を検証しようとしているところ。雑誌の切り抜きやパンフレットなんかはもちろん、マンガやサイン入り色紙など、あらゆるソースを当たって展示へとつなげているのは本当に凄いです。
たとえば、大内秀一郎がデザインに関わった大阪市立電気科学館をみてみましょう。日本ではじめてプラネタリウムが導入されるなど、高度経済成長期には関西の科学少年・少女たちに夢を与えた科学施設として著名な施設でした。現代の50代以上の方の中には「ああ、懐かしいな~」と思われる方も多いのではないかと思います。
こちら、残念ながら詳細な模型は用意されていなかったのですが、代わりに展示されていたのが、マンガ界のレジェンド手塚治虫の自伝や、生前にが彼が残したサインです。レアすぎる・・・。
解説を読んでみると、手塚治虫もまた、少年時代によくこちらに通い詰めていた科学少年だったのだとか。
また、こちらは町大工から昇り詰め、分離派建築会に後から加入した山口文象が設計した日本歯科医学専門学校附属医院。写真雑誌「アサヒグラフ1934年5月9日号」からの抜粋です。
いや、、、よく見つけてきますよね。
もう、見るからに「機械文明バンザイ!!」といった感じの、昭和初期のモダニズム建築らしい香りが漂う名作です。雑誌のタイトルにも「能率本意の近代的口腔工場」などと書かれており、病院なのに工場扱いです(笑)
特に度肝を抜かれたのが、見開き左下の病院内の様子です。広大な部屋全部が施術室となっていて、部屋の中では白衣の歯科医が一斉に患者を治療しているシーンが映し出されています。まさに『工場』ですよね。山口文象の手掛けた流線型で未来的なデザインも相まって、一種の異世界感すら漂っています。
現代人が見ると「嘘やろ?!!」と絶句してしまいそうですが、約90年前の価値基準で見ると、最高にクールで好ましい風景として映っていたのでしょう。建物とともに、時代の空気感も映し出した非常に貴重な資料です。
他にも、本展では彼らの手掛けた建物とともに、思わぬ「面白いもの」が写り込んでいる写真や資料などがたくさん見つけられますので、展示会場ではじっくり隅々までチェックしてみてくださいね。
「分離派建築会100年!建築は芸術か?」を様々な角度から楽しむ!
「建築展」というと、どうしてもマニアックで堅苦しく感じられてしまうもの。そこで、本展ではコアな建築ファンはもちろん、少しでも多くの人に「分離派建築会」の面白さを体感してもらえるよう、様々な工夫が施されていました。そこで、最後に展示以外でも本展を楽しむための切り口をご紹介したいと思います。
①書き初めイベントを実施中
お正月らしく、ロビー前に設置された特設コーナーでは、分離派建築会の宣言文のタイトル「我々は起つ」の書き初を展示中。モニターでは、本展を監修した本橋研究員と土山研究員が書家・西垣一川先生に稽古をつけてもらい、悪戦苦闘しながら書き初めにチャレンジする動画も流れています。
こちらは現在、京都国立近代美術館の公式Youtubeでも公開されていますので、URLを貼っておきますね。
なお、本展では2月24日まで「我々は起つ」の書き初めを募集中。送られた作品は、随時ロビーに張り出してくれるそうなので、ぜひみなさん奮って応募してみてはいかがでしょうか?
②分離派建築会を極めたい人にオススメなWeb動画
本展を通じて分離派建築会についてより深く知りたい、という人には、いくらでもディープな資料が用意されているのが本展の懐の深いところ。
展示を見て(あるいは見る前でも)分離派建築会についてもっと深く掘り下げたい!という人は、まずは同館の公式Youtubeにアップされているシンポジウムやトークイベントの過去動画をチェックしてみましょう。
特にオススメなのが1/9に開催されたばかりのシンポジウム『分離派建築会-モダニズム建築への道程』です。本展の展示を中心に、分離派建築会の活動内容や意義などが非常に深いレベルで語り尽くされています。本展と合わせて視聴すると、かなり深いところまで分離派建築会について理解できます。
まだまだ他にもあります。1/16には、講演会『「ことば」をもった大正時代の建築家たち』も配信予定。こんな時期なので、自宅にいながらでも楽しめるようにしてくれているのが嬉しいですよね。僕も夕飯を作ったり、洗濯物をたたんだりと、家事の合間などに少しずつラジオ番組のようにアーカイブを楽しんでいます!
③オリジナルグッズで楽しむ「分離派建築会」
そして、展覧会のオリジナルグッズも非常に面白いものが用意されていました。後日、グッズ特集として別の記事を書かせて頂く予定ですが、ここでは特にオススメな3つのグッズをご紹介しておきますね。
まずは、展覧会図録。A4サイズよりも一回り小さいコンパクトなサイズでありながら、約280ページにわたって写真、各種図面、資料群と作品解説がぎっしりと掲載された力作です。今後しばらくは「分離派建築会」について調べる時に決定版的な重要資料になりそう。
カバーが2種類用意されていますので、どちらか好きな方を購入できるのもうれしいですね。展覧会場へと足を運ぶのが難しい方は、ネットショップ『朝日新聞SHOP』で買い求めることも可能です。売り切れないうちにぜひ!
続いては、展覧会オリジナルのポストカード。分離派建築会メンバーが最初に多くの人々が注目する大規模な建築を手掛けたのが、1922年に上野公園内で開催された「平和記念万国博覧会」でした。こちらで、彼らは主に不忍池周辺に設置された第2会場のパビリオンの設計を担当。
その時の様子を写した写真が、ポストカードになって発売されています。モダンな感覚にあふれた彼らの建築ももちろん、現代とは全く様相が違う、大正時代の上野公園の様子は必見です。
そして、最後におすすめしたいのが、西陣の和菓子老舗・塩芳軒とタイアップした和三盆のお菓子「我石ゆ糖」。分離派建築ゆかりの旧教徒中央電話局西陣分局舎の正面レリーフを高精度三次元スキャンして、そのデジタルデータを元に木型をつくり、砂糖を固めるというこだわり抜いた(?)逸品。
ちなみに、味は紛れもなく一級品でした(笑)。塩芳軒のプライドが詰まった上品な和三盆、お茶と一緒に美味しく頂きました!
まとめ
特集第1回に引き続き、今回は「分離派建築会100年 建築は芸術か?」の内覧会レポートをお送りいたしました。
本展は、「分離派建築会」の9名の若き建築士たちの作品はもちろん、彼らが活動した大正~昭和初期の時代の雰囲気も楽しめるので、これまで「分離派建築会」について聞いたことがなかった・・・という人でもしっかり楽しめる展覧会になりました。また、関連イベントも初心者向けから本格的なアカデミックなコンテンツまで幅広く用意されています。
初めて「分離派建築会」のことを知ったという人や、そもそも「建築展自体、行ったことがない」という方にも楽しめる要素がたっぷり用意された、本当によく練られた展覧会だと思います。ぜひ、機会があれば足を運んでみてはいかがでしょうか?
展覧会基本情報
「分離派建築会100年 建築は芸術か?」
会場:京都国立近代美術館[岡崎公園内]
(〒606-8344 京都市左京区岡崎円勝寺町)
休館日:月曜日、1月12日(火)(1月11日(月・祝)は開館)
会期:2021年1月6日(水)~3月7日(日)
※会期中に一部展示替あり
(前期:1/6~2/7 後期:2/9~3/7)
開館時間:9時30分~17時
(金、土曜は20時まで。入館は閉館の30分前まで)
観覧料:一般1,500(1,300)円、大学生1,100(900)円、高校生600(400)円
※( )内は、前売と20名以上の団体料金。中学生以下、
心身に障がいがある方とその付添者1名は無料(要証明)。
前売券は1月5日(火)まで主要プレイガイド他で販売
主催:京都国立近代美術館、朝日新聞社
公式HP:https://www.momak.go.jp/
電話:075-761-4111