ドイツの戦争遺構「ペーネミュンデ歴史技術博物館」に行ってみた

楽活をご覧のみなさま、こんにちは!

私は現在、日本から9,000km離れたドイツから100%リモートワークでライター業を中心としたフリーランスとして働いています。

ドイツに移住してからはフリーランスの利点を活かし、仕事と博物館や工場、美術館見学をしながら『楽活』へ寄稿させていただいております。

そんな私は、自身のワークライフバランスを考え、長期休みを取りながらフリーランスとして働くスタイルを継続しています。

2023年の夏休みは、訪れたのが北ドイツ・ウーゼドム島にあるペーネミュンデの「歴史技術博物館」に訪問しました。

なんと、第二次世界大戦中に世界で初めて開発されたミサイルや大型ロケットを製造していた旧軍事研究センター跡地なのだそうです。

今回はこの場を借りて、ペーネミュンデ歴史技術博物館について、実際の写真を交えながらご紹介したいと思います。

ペーネミュンデ歴史技術博物館とは?

ペーネミュンデ歴史技術博物館の外観

ペーネミュンデ歴史技術博物館は、かつてヨーロッパ最大の軍事研究センターだったペーネミュンデ研究所の歴史を保存し、研究、伝達している場所です。

25平方キロメートルもある広大な敷地では、1936年から1945年まで、最大1万2,000人が当時では革新的な兵器システムの開発に取り組んでいました。

なんとペーネミュンデ歴史技術博物館跡地では当時、初めて機能する大型ロケットや世界初の巡航ミサイルなどが生み出されたのだそうです。

現在、博物館はドイツ連邦共和国最大の地域記念碑の1つとされているほか、メクレンブルク=フォアポンメルン州で最も大きな技術記念碑として国内外から高く評価されています。

展示方法は敷地内まるごと!?

チケット面には見学できる場所が記載

ペーネミュンデ歴史技術博物館では、発電所を中心にペーネミュンデ研究所の歴史を物語る建物や構造などを通じて当時から現在までの歴史をたどる記念碑として保存されています。

訪問者は出入り口から始まり、巨大な野外展示、常設展示、発電所およびそこに設置された展望台、ジープハウス、クラッシャーハウスとクレーンブリッジの6か所を自由に巡れます。

広大な敷地ですので、受付の方曰く最低2時間、おすすめは3時間ほどの時間を取るのがよいとのことでした。

ペーネミュンデ歴史技術博物館の見どころ

博物館では、ペーネミュンデで働いた人々の生活や、複雑とされた兵器計画の背後など、歴史の一端を垣間見れる展示があります。

かつての軍事研究センターという歴史が今もなお息づく場所というだけあり、当時のドイツ帝国における戦争手段や20世紀における軍備の国際的な力学、技術進歩の重要性などについても、写真や現存する資料や写真を交えて詳しく説明されています。

さらに、特別展やアーティストとのコラボレーションなど、文化的な要素も魅力的に展開されている点にも注目です。

入り口から見学がはじまる

ペーネミュンデ歴史技術博物館の入り口

ペーネミュンデ歴史技術博物館の出入り口は、当時のペーネミュンデ発電所のバンカー制御室が使われています。

この場所は第二次世界大戦中は発電所職員の防空壕としての役割を果たし、発電所の制御室もここにありました。

時を経て、2004年から博物館の出入り口としても活用されています。

バンカー制御室と発電所の距離からは、発電所のプロセスのほぼすべてが遠隔制御されていたことがうかがえます。

しかし、1950年代に制御室が建屋内に移されたため、バンカー制御室の重要性は減少しました。

現在、訪問者はバンカー制御室に入ることが可能です。

バンカー制御室は撮影不可ですが、チケット売り場とミュージアムショップが併設されているので、旅のスタート・ゴール地点として機能しています。

広大な野外エリア【悪天候時要注意】

バンカー制御室を抜けると広い敷地にたたずむミサイルと電車

ペーネミュンデ歴史技術博物館の広大な野外エリアには、興味深い展示が広がっています。

特に目を見張るのがミサイル2つと電車の模型です。

液体ガスロケットV2のレプリカ

まず目に入るのが、ロケットにも似た巨大なミサイル。

このミサイルは、1943年からノルトハウゼン近くのハルツという場所にあった地下生産施設(ミッテルヴェルク)で大量製造された液体ガスロケットAggregat 4(V2”/報復兵器2)のレプリカです。

特にV2は第二次世界大戦で多くの犠牲者を出しただけでなく、現代のロケット技術の基礎となっています。

V1は巡航ミサイルの元祖V1

その奥に鎮座するのが、ベルリンで開発され、ペーネミュンデにて1942年から試験テストが行われたFi103(V1)飛行爆弾のレプリカです。

この2つのミサイルは科学者であり親衛隊隊員、そしてアメリカ人*のヴェルナー・フォン・ブラウンをはじめとする人たちによって開発されました。

(*ヴェルナー・フォン・ブラウンばドイツ(旧ポーランド)出身ですが、第二次世界大戦の最中に主要開発メンバーとともに渡米)

1942 年、ヴェルナー・フォン・ブラウンの科学的指導のもと、世界初の宇宙へのロケット打ち上げ (V2) が成功。

目を見張るものであると同時に危険な技術的進歩であり、最終的には兵器として何千人もの捕虜の命と健康、民間人が犠牲になりました。

さらに、1943年からはロケット製造のために働かなければならなかった強制収容所の囚人も、V2の開発に追加されたそうです。

第二次世界大戦後、既に渡米したヴェルナー・フォン・ブラウンはNASAに入所し、最終的にはアポロ計画などの宇宙開発事業に携わりました。

しかし特筆すべき事実として、ヴェルナー・フォン・ブラウンが生涯に渡って否定していた強制収容所でのロケット製造の強制労働への関与も指摘されています。

発見された彼の手紙によると、ミッテルヴェルクでの「V2」制作に関わるため、囚人としての選択を行っていたことが明かされています。

ここで展示されているロケットや飛行爆弾などは、博物館の特異な性格を際立たせており、単なる科学技術博物館とは一線を画しているのではないでしょうか。

ペーネミュンデ工場鉄道の復元レプリカ

野外エリアにはもう1つ、ペーネミュンデと町を結び、人や資材などを輸送していた工場鉄道の復元レプリカも存在します。

電車内には鉄道の歴史がパネルで展示されているほか、当時の客室を再現した場所も公開されています。

7 人のソ連軍脱走捕虜の慰霊碑。右下部分をご覧頂くと水たまりがあることがわかります

一方で、訪れる際には気を付けるべき点もあります。

エリアは芝生が広がっていますが、水はけが悪く、雨天時の見学は要注意です。

筆者は運よく長靴と大きな傘というスタイルでしたが、多くの観光客の人たちがずぶ濡れ状態になっていました。

訪問時の天気予報をチェックし、必要に応じて長靴や傘、雨合羽といった雨対策は必須です。

見学の際は天候に注意しつつ、この広大な野外エリアで歴史と技術を感じてみてください。

出典:Ausstellungen - Historisch-Technisches Museum Peenemünde

ペーネミュンデ歴史技術博物館の常設展では、2つの重要な歴史を通じて学びを提供しています。

まず、発電所の設立から第二次世界大戦までの道のりを探る展示です。

ここでは、1920年代の理想郷から始まり、ペーネミュンデでの作業、A4ロケットの連続生産、そしてイギリスをはじめとする西ヨーロッパへの使用まで、ドイツのロケット技術の歴史が緻密に描かれています。

さらに、もう1つの展示は冷戦時代から2000年までのペーネミュンデでの技術開発の歴史についてです。

文章やオリジナルパーツ、目撃者のインタビュー、ドキュメンタリーフィルムなどを通じて、その過程が細かく語り継がれています。

巨大発電所の遺構と展示物

発電所の入り口から壮大さがにじみ出ています。

ペーネミュンデ歴史技術博物館のメインとしてそびえたつ、象徴的な巨大発電所跡。

この場所はナチスドイツ戦争遺構というだけでなく、旧東ドイツ(DDR)も使用していたそうです。

天井は約30メートルの高さを誇り、筆者も圧倒的なスケールに驚きました。

発電所建設は1939年から始まり、1990年に閉鎖されていますが、その歴史も詳細に紹介されています。

当時の写真や文献を交えたパネルで発電所の歴史がわかります

ここでは、歴史的に重要なペーネミュンデにおけるロケットの連続生産と戦時中の使用に関する洞察もパネル展示を通して提供されています。

子ども向けの解説

子ども向けに簡単な解説で語られている部分もあるので、大人から子どもまで訪れる人々にペーネミュンデの重要性とその影響を深く理解させてくれるでしょう。

発電所で実際に使われていた巨大蒸気タービン。2メートルあるドイツ人よりも巨大!

さらに、別料金で利用できるガラス張りのエレベーターは、展望エリアへと続きます。

展望台の様子。天候が悪くて残念

展望台からは、発電所跡の壮大な景色を楽しめますが、筆者が訪れたのは雨の日。

天気が良い日に行くと、港湾の風景や森に囲まれた豊かな自然風景を楽しめるでしょう。

当時、石炭発電を行っていたため、採掘された石炭を輸送するシステムの構造も間近に見学が可能です。

ペーネミュンデに関するアートやコンサート鑑賞

ペーネミュンデ歴史技術博物館では、タイミング次第でアートやコンサートも楽しめます。

筆者が訪問した際、発電所のタービンホールでは、2名のアーティストによる展示を見れました。

グレゴリオ・イグレシアス・メイヨ氏によるアート作品

こちらは、ペーネミュンデの歴史的真実をモチーフに描いた巨大なアート作品です。

スペインの画家グレゴリオ・イグレシアス・メイヨ氏が2015年に描いた本作品は、37 x 12 メートルの巨大寸法!

ミゲル・A・アラゴン氏による作品

一方、こちらの作品はメキシコ/アメリカの版画家ミゲル・A・アラゴン氏による作品です。

70枚の版画から生まれた本作品もまた、ペーネミュンデの歴史的遺物を捉えた作品です。

2名のアーティストによる展示は、2023年12月31日まで展示されていますので、機会があればぜひ実物を見に行ってみてください。

また、ペーネミュンデは音楽祭やコンサートの場でも知られています。

特に「ウーゼドム音楽祭」の一環として旧発電所のタービンホールで開催される「ペーネミュンデコンサート」は、世界クラスの指揮者が関わるコンサートが続き、国際的に高く評価されているそうです。

ご紹介した事例のように、ペーネミュンデは遺構だけでなく、アートや音楽、演劇、文学などさまざまな分野の文化イベントが行われる国際的な場所になっていることがわかります。

技術歴史博物館だけじゃない!ペーネミュンデに残る遺跡群

出典:Die Denkmal-Landschaft - Historisch-Technisches Museum Peenemünde

ペーネミュンデ歴史技術博物館だけでなく、半島全体が歴史的遺構です。

ペーネミュンデおよびウーゼドム島周辺25平方キロメートルの広大な地区には、17世紀から20世紀にかけての多くの建築記念碑などが23か所にわたって残っています。

しかし、中には一般の立ち入りが禁止されている場所もあります。

こうした遺跡は、訪れる人々に人間や自然、科学技術の関係について深く考えさせる機会を与えているでしょう。

実際に現地を訪れれる人や、興味を持っている人に対して価値を更に高めるために、無料アプリ「ペーネミュンデ記念碑風景」が用意されています。

公式サイトからダウンロードして、この地の遺産に触れながら、その奥深い歴史を探求してみるのもおすすめです。

最後に

第2ボイラーと当時の管理者について説明を聞く図

本記事では、第二次世界大戦のドイツにおける戦争遺構の1つ、ペーネミュンデ歴史技術博物館について、概要や見学時の見どころをご紹介しました。

ペーネミュンデ歴史技術博物館は歴史と技術の交差点として、訪れる人々に興味深い学びの機会を提供してくれる場所です。

ペーネミュンデの歴史とその影響を通じて、私たちの過去と未来のつながりを深く理解できるでしょう。

実は筆者が訪問した日は、偶然にも広島原爆投下の日である8月6日でした。

報道でも触れるように、戦争を知る世代の高齢化が進む中、若者への伝承が難しさを増しています。

ドイツでも同様の現象がみられるようです。

偶然とはいえ、科学技術の進歩の結果生じた悲しい日にペーネミュンデ歴史技術博物館を訪れることになったのは、複雑な思いがありましたが、ドイツに住む1人の日本人としてペーネミュンデで何があったのかという歴史を理解したいという思いが強かったです。

ペーネミュンデ自体は日本であまり知られていない場所です。

この記事を通じて、1人でも多くの日本人がペーネミュンデという場所に興味を持ち、ドイツの光と影の歴史に目を向け、深く考えていただければ幸いです。

【基本情報】
「ペーネミュンデ歴史技術博物館(Historisch-Technisches Museum Peenemünde GmbH)」

所在地:Im Kraftwerk, 17449 Peenemünde ドイツ
入場料(税込)
-大人10ユーロ(すべての常設展、特別展、映画館を含む)
-実習生、学生、重度障害者、15名以上の団体:7ユーロ
-子ども(6歳から):2ユーロ(家族の子ども1人当たり)
-展望台は追加1ユーロで見学可能(車椅子用階段昇降機耐荷重300kgまで)
音声ガイド(ポーランド語、英語、スウェーデン語、フランス語、ドイツ語)
-レンタル料金: デバイスあたり 2.50ユーロ
ドイツ語と英語による個人ツアー(事前の手配が必要な場合のみ)
-20 名までのグループ: 50ユーロ
-20 名以上のガイド付きツアー 1人あたり 2.50ユーロ
オープン時期:
-4月から9月:10時~18時
-10月から3月:10時~16時
-11月から3月:月曜休館
公式HP:https://museum-peenemuende.de/

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