「モネ 連作の情景」展は、「睡蓮の画家」としても著名なクロード・モネ(1840~1906年)の代表作60点以上を集め、すべてがモネ作品です。2024年は、1874年に第1回印象派展が開催されてから150年を迎える記念の年でもあります。
モネは自然の光を絵画にとどめようと太陽の位置、風の動き、季節の移り変わりに着目して、同じ場所やテーマを何度も描く「連作」を発表しました。この展覧会では、モネの「連作」に焦点を当て、モネの生涯をたどります。
東京の上野の森美術館では2024年1月28日まで、大阪の大阪中之島美術館では2月10日から5月6日まで開催されます。
モネの世界へ誘う水と光
モネが暮らしたパリ近郊のジヴェルニー、会場の入口ではモネが繰り返し描いた「睡蓮の池」の実際の映像が迎えてくれます。
足元の池には睡蓮の葉が浮かんでいます。葉っぱの上をそっと歩いてみてください。水面が揺れて、小さな魚が泳ぎ、カエルの鳴き声が聞こえるかもしれません。
展覧会は5つの章に分かれていますが、ここでは「連作」に注目して紹介します。作品はすべてモネが描いたものなので、キャプションには作家名はありません。すべてクロード・モネの作品です。
伝統的な黒を生かした大作「昼食」
「昼食」は高さ230cmを超える大画面、後に妻となるカミーユと息子のジャンを中心にしたあたたかなプライベートな場面ですが、1870年のサロンには落選しました。この作品は黒い絵の具を多く用いた伝統的な手法の最後になりました。
「サロン」は政府が開く展覧会で、入選すると芸術家として認められます。モネは1865年初入選、66年、68年にも入選しました。しかし、サロンでは宗教画や神話画などを、遠近法を用いてなめらかな表面に仕上げることが重視されたため入選が難しくなりました。
そこでサロンに落選したオーギュスト・ルノワール(1841~1919年)、ポール・セザンヌ(1839~1906年)たちと発表の場を求めて1874年に展覧会を開きました。モネの「印象、日の出」(1873年)が「印象だけを描いた」と言われたことから展覧会メンバーは「印象派」と呼ばれるようになりました。
印象派は絵の具を混ぜずに、色を小さなタッチで並べていくことで、変化する光をも表現しようとし、黒色を避ける工夫をしていました。作品をそばで見るとタッチばかりが目立ちますが、少し離れて見ると光や空気を捉えることができます。
「アトリエ舟」から見る水辺の輝き
モネはセーヌ川に浮かべた「アトリエ舟」に乗ってこの風景を描きました。教会が街の中心にあり、水面が画面の下半分を占めています。きらめく川面を荒い横長のタッチで描き、よく見ると、川でボート遊びをする人々もいます。
1878年にモネが移住したパリから60kmのヴェトイユ、その後ジヴェルニーに移りますが、再度1901~02年にヴェトイユを訪れこの教会を15点の連作で描いています。
モネはフランソワ・ドービニー(1817~78年)をまねて、ボートの上に小屋を設けて、日差しや雨風を防ぐ、「アトリエ舟」として使っていました。ボートからは水面が近く、水辺の風景を異なる視点で見ることができました。右の作品には停泊するアトリエ舟の姿が見えます。
異なる光の「積みわら」を描く
モネが終の住処となるジヴェルニーに移ったのは、1883年のこと、後半生を過ごすことになりました。1880年代中頃から91年にかけて積みわらの作品を多く描いています。2点が並んでいるので、日差しや風が異なって、印象が少し違う作品に仕上がっていることがよくわかります。
連作を発想、荒涼としたクルーズ渓谷
モネの「連作」の発想が固まっていた可能性もあるのは、パリから300kmのクルーズ渓谷の川の合流地点を描いた作品です。岩がむき出しになった荒涼とした風景に魅了されたモネは、ほとんどが同じ構図で光の効果を変え、3か月滞在して24点の作品を描きました。
霧と靄、煙の都市ロンドン
モネがロンドンを初めて訪れたのは1870年、普仏戦争とパリ・コンミューンの混乱を避けての滞在でした。それから30年を経て、次男ミッシェルの見舞い目的でしたが、1899年、1900年、01年の3回滞在し、多くの作品を描きました。
テムズ河畔のサヴォイ・ホテルのバルコニーに画架を据えて、朝早い時間には下流のウォータールー橋を、その後、上流にあるチャリング・クロス橋を描き、日没が迫る頃にはテムズ川を渡ってセント・トーマス病院のテラスから国会議事堂を描いたといわれています。
この作品も70点近い連作のうちの一点、チャリング・クロス橋には鉄道が通り、橋の中央に汽車の煙がたなびき、右には国会議事堂の尖った屋根が見えています。太陽の光が霧の中から川面を照らして輝いています。
「ウォータールー橋」は41点の連作があり、橋の上の通行人や馬車がロンドン特有の霧を背景に浮かびあっています。右端の作品では、橋の後ろに産業革命で生まれた工場の煙突から煙が立ち上っています。モネの関心は、朦朧とした霧の中で拡散し水面を微かに照らし出す光に向けられ、構築物としての橋はほとんどあいまいになり、光だけが僅かに橋の姿を留めています。左の2点の作品も中央に橋があり、全体の色調が異なっています。
この橋は、1817年に開通した際、1815年の「ワーテルローの戦い」の勝利にちなんで「ウォータールー橋(英語名)」に改名されました。現在の橋は1945年に再建されたものです。
国会議事堂の連作は1900年、01年に制作され19点あります。モネはロンドンの霧と暖房用のガスが排出される冬にあえてロンドンに滞在しました。逆光に建物のシルエットが浮かび上がっています。
フランスでは自然の風景に陽光が輝く水辺を描きましたが、ロンドンでは都市、工場、霧、煙と異なった光景がモネを引きつけたのでしょう。
こうしてモネがロンドンで制作した作品は、ジヴェルニーのアトリエに持ち帰って手を加え、1904年にデュラン=リュエル画廊でおよそ100点の作品から37点が披露されました。
ジヴェルニーの「睡蓮」から現代へ
モネは光を捉えて描きますが、雪の風景を見ると、雪は白ではなく、青や黄などが加わって色彩が豊に表現されています。印刷物や映像ではわかりにくいのですが、実物の作品を見るとよくわかります。
モネが後半生を暮らしたジヴェルニーで睡蓮を描き始めたのは1897年からです。セーヌ川の支流から水を引いて池を造り、睡蓮、柳やポプラを植え、「花の庭」と「水の庭」を整備しました。壁の中央の「睡蓮」は花と葉がクローズアップして描かれています。睡蓮を描いた作品は、季節、大きさ、ポイントを変え、なんと300点もあります。
左端の「睡蓮の池」には、水面に周りの木々や空、雲が映り込み、幅2mの画面いっぱいに広がっています。パリのオランジェリー美術館に収蔵されている「大装飾画」に向けて研究が始まっていたと考えられています。
1926年、モネが86歳で亡くなる頃、モネは一時期忘れられていましたが、1950年代から抽象絵画の源流とみなされて評価が高まっています。
モネの世界をおみやげに
モネの絵画がデザインされた手のひらサイズの缶に、色とりどりの花林糖が詰まっています。
やさしい光でモネをイメージし、組紐でつくったアクセサリー。
40枚の絵はがきはみんなモネ、展覧会を振り返ったり、自宅で展覧会を開いたりもできます。
ショップの店員さんはモネTシャツにモネのサコッシュ、ペンを差して使っていました。
会場の上野の森美術館がある上野公園には、国立西洋美術館があります。常設展の新館2階にはモネの作品がいつも数点展示されています。帰りに寄ってみてはいかがでしょう。
【展覧会の基本情報】
産経新聞創刊90周年・フジテレビ開局65周年事業
「モネ 連作の情景」
会期 2023年10月20日(金)~2024年1月28日(日)
休館日:2023年12月31日(日)、2024年1月1日(月・祝)
開館時間 9:00~17:00(金・土・祝日は~19:00)※入館は閉館の30分前まで
会場 上野の森美術館(https://www.ueno-mori.org/)
東京都台東区上野公園 1-2
入館料(税込)日時指定予約推奨
平日(月~金):一般 2,800円/大学・専門学校・高校生 1,600円/中学・小学生 1,000円
土・日・祝日:一般 3,000円/大学・専門学校・高校生 1,800円/中学・小学生 1,200円
未就学児は無料、日時指定予約は不要です。
カンテレ開局65周年・産経新聞創刊90周年事業
「モネ 連作の情景」
会期2024年2月10日(土)~2024年5月6日(月・休)
休館日:月曜日(2/12、4/1、15、22、29、5/6は開館)
開場時間 10:00~18:00(最終入場は17:30まで)
会場 大阪中之島美術館 5階展示室(https://nakka-art.jp/)
モネ 連作の情景 www.monet2023.jp