みなさんは神社の天井画をじっくりと見上げたことがあるでしょうか?天井画って何だろうと思った人も多いでしょう。神社やお寺の天井に花などの絵が描かれているのが「天井画」です。
その神社の天井画を中国人画家が描いていると知ると驚きませんか。そしてその画家が66メートルもあるお寺の白い壁に水墨画も描いたと聞くと、どんな人物だろうかと興味が湧いてくるのではないでしょうか。
今、佐賀県を中心に九州で注目されている中国人画家尹雨生(インウセイ)さんを取材し、神社の天井画を描くことになった経緯や、お寺での巨大な水墨画制作について、そして今後の展望をお聞きしました。
まずは、尹雨生さんの代表作をご紹介します
最初に、尹さんが手掛けた神社の天井画とお寺の水墨画を紹介します。
代表作①:地元民に愛される街の天神さま!「平尾天満宮」の天井画
尹さんがはじめて単独で天井画を手掛けたのは、大学院を修了した2007年。大学院生のときに参加した天井画制作プロジェクトで評判を得て、平尾天満宮から天井画制作を依頼されたのです。ここでは、半年で約140枚もの天井画を描きました。
ところで、天井画の写真を撮ろうと思って現地に行ってみると、神社の拝殿には鍵がかかっていました。近くに会社があったので、そこで神社の鍵は誰がお持ちですか、と聞いてみることに。
すると、その地域の自治会長さんが鍵を持っているということで、連絡をして鍵を開けていただき、写真を撮りました。なぜここに、天満宮があるのかわからない、とおっしゃていた自治会長さんのコメントが印象的でした。
神社の中に入ると、格子天井の一つ一つに描かれた無数の天井画とご対面。やはり神社の外からガラス越しに見たときの印象とは全く迫力が違います。
平尾天満宮は、地域の小さな天満宮。地域の氏子さんたちが「ぜひ私たちの神社にも天井画を」と望んだことで完成しました。地域の方々の平尾天満宮に対する敬愛を感じられました。
代表作②壮観!「與止日女神社」拝殿での250枚もの天井画と三十六歌仙絵
2011年には、與止日女神社(よどひめじんじゃ)から拝殿の天井に飾る「天井絵馬」の制作を依頼され、約三年半かけて250枚の天井画が完成。2014年の與止日女神社1450年大祭のときにお披露目されました。
與止日女神社は564年に造られた肥前国の一宮(いちのみや)。一宮とは律令の時代に諸国において最も崇敬された神社のことです。御祭神は、神功皇后の妹君である與止日女命(よどひめのみこと)。また一説によると神武天皇の祖母神である豊玉姫様と同一神であるとも伝えられています。
境内には菅原道真公を祀る末社もあるため、天井画は竜宮伝説を描いた「山幸彦海幸彦縁起絵巻」と太宰府天満宮の成り立ちを描いた「菅原道真公絵巻」という2つのテーマで描かれることになったそうです。
絵巻物のように絵がつながっていますので、順番に見ていくと物語がよりわかりやすく頭の中に入ってきます。この250枚の天井画は大迫力です。枚数も凄いですが、制作にかかった三年半という年月も、私からすると気が遠くなるような時間です。
尹さんは天井画を描くために、まず歴史文献を読みこみ、物語の背景をしっかりと学んだうえで制作にあたりました。
もし私が、絵が描けるとして中国の歴史あるお寺の絵を描いてくれと頼まれても、あまりにもその歴史の重圧がすごく、描けるかどうかわかりません。
しかし尹さんはそれを成し遂げているのですよね。素晴らしいと思うと同時に、そのご苦労も大変なものだっただろうと思います。
孔雀と牡丹を描いた「栄華富貴」 、虎と龍の迫力のある大絵馬「龍虎図」など、境内には尹さんが制作した他の作品も奉納されています。
そして天井画の制作後、すぐに三十六歌仙絵の制作に着手。こちらは2015年に完成しました。
ところで、三十六歌仙は誰がいて…というのを、すらすら言える日本人は少ないのではないでしょうか。三十六歌仙と聞いても、私はほとんど知りません。調べてみて、名前に見覚えのある人は6人だけでした。日本人でもそうなのに、中国出身の尹さんがきちんと日本文化を調べて、36人全員を伝統的なイメージに合わせて描き分けているのは素晴らしいことだと思いました。
これら神社の天井画は、すべて知人や大学の指導教員を通じて尹さんへ依頼されたのだそうです。どうして中国出身の尹さんへ?と不思議に思って、重ねて聞いてみたのですが、尹さんは「ご縁があったのでしょう」と。
尹さんの奥様もこのご縁に関しては、「その土地の神様が『尹さんちょっと来て描いて』と言ったのではないでしょうか」とのことでした。
代表作③:「浄土寺」での約66メートルの長大な水墨画
尹さんが手掛けたのは、神社の天井画だけではありません。お寺でも絵を描いているのです。
それが、佐賀市与賀町にある浄土寺の、外壁に描かれた約66メートルに及ぶ長大な水墨画です。
実は、この浄土寺には日本で有名な洋画家山口亮一氏のお墓があります。その横には日本で初めてフランスに留学して洋画を学んだと言われる百武兼行氏のお墓もあります。尹さんは冗談交じりに「死んだらこの2人の横にお墓を建ててもらいたい」と言っていました。
2018年にお寺の約66メートルの壁に水墨画を描き始め、1年余りで完成しました。
現在は、佐賀市内にアトリエを構え、水墨画教室や書道教室も開催中
尹さんは現在佐賀市内で水墨画教室、書道教室、建築絵画全般のお仕事をされています。建築絵画とは何ですかとお尋ねすると、壁画や天井画なども建築絵画だということでした。
そこで、インタビューのために訪問させて頂いた時、尹さんの教室兼アトリエにあった作品を見せていただきました。
天井画で見ていただいたとおり、やまと絵風や浮世絵風のタッチだけでなく、中国伝統の山水画から仏画、さらには書までマスターされている尹さん。技術力の高さはもちろん、その引き出しの多彩さには驚くばかりです。
そんな個性派画家の尹さんに、天井画制作のエピソードや、なぜ佐賀に渡ってきて日本で画家として活動をされているのか、等々、いろいろとお聞きしてみました。そこで後半からは、そんな謎多き(?)尹さんに、インタビューで迫ってみたいと思います!
遅咲きの画家デビュー!35歳で日本に留学し、苦労した学生時代
―35歳で日本に留学をしたそうですが、それまで中国では何のお仕事をされていましたか?
尹:中国ではグラフティックデザイナーの仕事をしていました。大連の会社で商品設計や包装設計、広告などを主に担当していました。
―なぜ、日本に留学したのでしょうか?
尹:仕事をしながらもずっと心の中に「もっと勉強したい、学びたい」という気持ちがありました。若いころから東山魁夷と加山又造の絵が好きでした。日本留学のチャンスがあったので、日本に来ました。
尹さんは日本語がまったくわからない状態で来日。そのため、来日当初は簡単な日常会話での最低限のコミュニケーションを交わすことすらも苦労したそうです。
授業や個人制作、アルバイト、お子さんの幼稚園の送り迎えなど、息つく暇もないくらい忙しい日々で、当時はとても大変だったと振り返っていました。一時は大学院の勉強を、もうこれ以上続けられないのではないかと思ったほどだったそうです。それでも、持ち前の粘り強さを発揮して途中であきらめずに、大学院を修了しました。
神社からの依頼で天井画を描くように
―神社の天井画をなぜ描くことになったのですか?
尹:大学院を修了した2007年、平尾天満宮の天井画制作を頼まれました。また、その後2011年に與止日女神社の1450年大祭のための天井画も依頼されました。頼まれたとき、これは責任重大だなと思いました。
―天井画を描くときにどのような工夫をされましたか?
尹:まず歴史文献を読みました。その物語に出てくる人物の顔の表情、服装の色など、繊細なところまで描写する工夫をしました。その人はどんな役割でどのような状況におかれているのか、そしてどのような表情を描けばその人の性格を効果的に表現できるのかなど、様々な面を考慮して、各人物像がより鮮明になるように研究しました。
尹:平尾天満宮も與止日女神社も天井画が一連の物語になっています。特に與止日女神社の天井画は1枚1枚枠を作らずに、一続きの巻物のように絵を描いていきました。天然の杉の板に絵を描いていくのですが、絵と絵がつながっていますので、杉の木肌の模様も違和感なくつながるように、絵を描く前に板選びの段階から慎重に行いました。また、波のシーンを描く時などは、その杉の模様を活かして描くように心がけました。
―天井画を描き終わったときには、どんな思いでしたか?
尹:重大な責任感を持って制作に臨んだので、地域のみなさんの嬉しそうな顔を見てほっとしました。そして、みなさんが喜んでいるのを見て私も嬉しくなりました。神社の天井画制作を通じて私も神道に興味を持ち始め、研究を始めました。天井画を描くときに重要なのは、神様に対する敬意です。
尹さんは中国出身なので、日本の歴史文献を読んで理解するのが難しかったそうです。「天井画を1枚描くのにどのくらいの時間がかかりますか」とお尋ねすると、「時間を計ったことがないからわからない」という答えの後に、「描くのは考えるより時間はかかりません」とのことでした。確かに文献を読んで、その人物の性格を理解し、その人を表す表情を考え、その人物がより活きてくる衣服の色など、描く前に考えなければならないことはたくさんありますね。
このように絵に登場する人物の背景までを理解して描くのと、その理解のないままただ描くのとでは、同じモチーフを描くにしても、出来上がった絵は全く別ものになることでしょう。
とにかく尹さんは大変なプレッシャーを感じていたと言います。起きているときは天井画のことだけを考え、寝ても夢にまで天井画が出てきたそうです。
このインタビューを通じて、尹さんが全身全霊をかけて真摯に天井画に取り組まれたことがわかり、その間のご苦労はいかばかりだったかと感じました。
この白い壁に絵があったら!自ら提案して水墨画の大作に着手
―佐賀市与賀町の浄土寺の壁に水墨画を描くようになったいきさつを教えてください。
尹:ある日突然、この白い壁にもし絵を描いたらいいだろうなという考えが浮かびました。66メートルもある長い壁が真っ白だと、寂しい感じがしたのです。そこでお寺に交渉しました。快諾いただけたので、絵を描き始めることにしました。
―どのようなところが難しかったですか?
尹:屋外に露出している壁面に絵を描くためには、雨などで絵が崩れないように、十分な下塗りなどを行う必要があります。まずそれが難しかったです。また、いざ描こうとすると、壁に凹凸もあって一筋縄ではいきませんでした。また、使う技術も変わってきます。通常、水墨画は紙に描くため、東洋絵画独特の「にじみ」や「ぼかし」を自在に表現することができますが、コンクリート壁がキャンバスとなる壁画となると、そうはいきません。その点も苦労しました。
実はこの壁にはアクリル絵具を用いて絵を描いています。アクリルで水墨画を表現するのはたぶん世界でも初めての試みではないでしょうか。水墨画の「水墨画」たるゆえんは材料ではなく、その表現にあると思っています。
また、暑い中、日差しを浴び続けて作業にあたらなければならなかったので、体力の消耗も激しかったです。炎天下で集中して絵を描くと、めまいがするほどでした。お医者さんからは、「これ以上白い壁の反射の光を見ていると、白内障になりますよ」と言われました。
加えて、作品制作はしばしば天候にも左右されました。屋外での制作なので雨が降ると作業は中断です。冬場になると、気温低下によって絵の具が固まってしまって制作ができなくなってしまったこともありました。結局、完成までに1年余りかかりました。
―壁画を描き終わっての感想を教えて下さい。
尹:地域の方々からいただいた応援に感謝しています。私が暑さに負けないようにと飲み物を持ってきてくれたり、お酒を持ってきてくれたりして常に励ましてくれました。自転車に乗った高校生が、通りすがりに「頑張れ!」と声をかけてくれたり、幼稚園の子たちが「めっちゃすげえ!」と言ってくれたり。また、この壁画の中には隠れ絵があるのですが、子どもたちがそれを探したり、応援してくれたりしました。
そして私の絵の生徒でもあり、人生の師でもある川崎光春さんがずっと私のそばで一緒に壁画を制作してくれました。彼の助けがあったので、苦しい中でも順調に絵を完成することができました。
佐賀に恩返しがしたい
神社の天井画を描いたり、お寺の壁画を描いたりして佐賀にたくさんの貢献をされている尹さん。実は尹さんにはある想いがあったのです。
それは佐賀に「恩返しがしたい」ということ。尹さんには2人の子どもがいます。上のお子さんの出産のときには、緊急帝王切開になるほどの難産でした。下のお子さんは2カ月早く生まれてきて未熟児のため入院。佐賀の病院のおかげで子どもたちの命が助かったと、とても感謝しているのだそうです。
その他にも、佐賀の人々が尹さんを支え、助けてくれているので、それに少しでも報いることができれば、という気持ちで天井画やお寺の壁画を描いたということでした。
彼の芸術に対する態度に敬服
尹さんの奥様である周嵐さんに、尹さんの人物像をお聞きしました。
―周さんから見た尹さんの人柄を教えてください。
周:彼は芸術に対して非常に真摯に取り組んでいます。「魂は細部に宿る」というのが彼の口癖で、時々、私からはもう十分仕上がっているように見える絵を前に、長いあいだ絵を見ながら考えこんでいます。ときには絵の中の一カ所をタバコをくゆらせながら、何日も見ています。私には彼が絵の中の何を見ているのかさっぱりわかりません。そして突然「わかった!」と言い、また描き始めるのです。
制作に没頭するため、ときどき忘我の境地になり、寝食を忘れます。あるとき私が心配して「コーヒーでも飲む?」と声をかけると怒られたことがありました。というのは、私が声をかけたせいで、その時に彼が考えていた構想がどこかに行ってしまったからです。
彼は、そういう時はタバコだけくれたらいいと言います。食事はどうでもいいと。タバコをふかすことによって心を落ち着け、問題を考えられるのだそうです。絵を描くことは彼の命なので、私は彼の言うとおりにするしかありませんよね。
彼は不屈の精神を持っていて、何か技術的な問題があると一晩中寝ないでそのことを検討します。私たち家族が朝起きた後に彼が眠るということもしょっちゅうです。彼の芸術に対する態度には本当に敬服させられます。
周さんは一番身近な存在であるからこそ、尹さんの芸術にかける情熱をひしひしと感じるのでしょうね。このお話を聞くだけで、尹さんがどんなに真剣に絵に対して向き合っているのかがよく理解できました。だからこそこれほど素晴らしい作品が出来上がるのだと感じました。
これからは若い世代に技術を伝えていきたい
そんな尹さんに、これからの展望についてうかがってみました。
―今後の展望をお聞かせください。
尹:たくさんの神社の天井画や壁画を描き、たくさんの山水画や花鳥画を描きながら健康に楽しく過ごしたい。そして若い人を指導して、自分の持っている技術や、積み重ねてきたものを伝えていきたいです。
人間味あふれる芸術家・ 尹雨生さん
尹さんは身振り手振りを交えて、苦しい思い出のときには苦しそうに、楽しい話のときには楽しそうに話すのが印象的でした。
「芸術分野では着物のデザイン以外は何でもしました。カメラもやきものも、彫刻もしました」という尹さんの深い知識やさまざまな経験があるからこそ、大胆かつ繊細な尹さんの作品が生まれるのでしょう。
奥様の周さんから、「中国では良いポストについていて、収入もよかった」という話を聞きました。どうしてそのまま中国で働かなかったのかと尹さんに聞くと、「中国で同じような毎日を過ごし、そのまま何も考えずに歳を取るのが嫌だった」と。
心の中にずっと「もっと学びたい」という気持ちがあったのだそうです。「日本に来てからとても大変な時期もあったけれども、一歩一歩乗り越えてきました。振り返るといい思い出です」とのこと。そして今の生活は「つらいけれど面白い」と笑っていました。
とても人間的な魅力あふれる芸術家の尹さん。「女房や子どもたちなど家族から支えてもらったり、佐賀の人たちからも応援していただいたりして感謝している」と周りの人への感謝を言葉にしていました。
「自分は絵を描くことしかできない。だから、絵を描く。世界中のみんなが自分のできることを少しずつ世界に貢献すれば、世界はよくなっていく」と。
尹さんはこれからも活躍の場をさらに広げていかれることでしょう。尹さん、周さん、取材に応じていただいてありがとうございました。
尹雨生さんの連絡先
尹さんの水墨画と書道教室は生徒さん募集中です。また神社の天井画や壁画などの制作もされていますので、興味のある方はお気軽にお問い合わせください。
「道真書画院」
https://note.com/yinyusheng/n/n2de293250912
尹雨生さんの作品が見られる寺社はこちらから
蛎久天満宮
所在地:佐賀市鍋島町蛎久1448番地
https://www.city.saga.lg.jp/main/4773.html
平尾天満宮
所在地:佐賀市高木瀬町大字長瀬2510
https://www.mapion.co.jp/phonebook/M06005/41201/ILSP0061190215_ipclm/
與止日女神社
所在地:佐賀市大和町川上1-1
https://yodohime-jinja.jimdofree.com/
浄土寺
所在地:佐賀県佐賀市与賀町5-2
https://joudoji.wixsite.com/joudoji