活動歴30年超!ソプラノ歌手MASAMIのユニークな音楽人生の軌跡を振り返る【奥村昌見さんロングインタビュー前編】

みなさん、オペラや声楽のコンサートって行ったことありますか?ポップスやロックといった大衆音楽とは違って、難解なイメージもあって、なかなかはじめの半歩を踏み出せない、という方も多いかもしれませんね。

筆者も、まさにその中の一人でした。元のストーリーも理解できてない中、イタリア語やドイツ語といった外国語で歌われるし、興味はあるんだけど、どこから手をつけたらいいんだろう……と尻込みしている状態でした。

そんな中、オペラや声楽のコンサートへの「はじめの半歩」として凄く面白い公演があるよ、と知人から教えてもらったのが半年前。「楽活」の事務所にほど近い日本橋公会堂で開催されるということで、いわゆるオペラや声楽ジャンルとしては、はじめての鑑賞となりました。

それが、今回のインタビュー記事でお話をお聞きしたMASAMIさん(奥村昌見さん)のコンサート『恋 百花繚乱 ~私の恋の物語~』でした。

このコンサートがとっても楽しかったのです。

2部構成で行われた約90分のステージで、MASAMIさんのソプラノ歌手としての圧倒的な歌唱を堪能。オペラや歌曲をはじめ、万葉集に着想を得た日本語でのオリジナルソング、シャンソン、洋楽ポップスまで幅広いジャンルを網羅した選曲が印象的でした。ナレーションや演劇的な要素もたっぷり入り、初心者でも、自然にスーッと入っていける、まさにオペラや声楽コンサート初心者にとっての「はじめの半歩」的なステージだったのです。

実は、MASAMIさんは知る人ぞ知る、オペラ界のレジェンド的な立ち位置のソプラノ歌手の一人。

大学在学中からプロデビューを果たし、日本の2大オペラ劇団(藤原歌劇団、日本オペラ協会)の双方でエース級の看板歌手として活躍後、オペラの本場イタリアやフランスでも活動しました。

これまで、足掛け30年以上の間、オペラを軸足にして、「演劇」や「ポピュラー・ミュージック」と融合させた独自のステージで、ファンを楽しませてきた方なんです。

そんなMASAMIさんが新たに挑むのが、2021年12月8日に開催されるリサイタル「生命のシンフォニア」です。また、コンサートの開催にあわせ、一念発起してYouTubeTwitterInstagramといった公式SNSを立ち上げ、意欲的な取り組みも進めています。

直前に発信されたプレスリリースには、今回のコロナ禍をきっかけに、より多くの人にオペラや声楽の楽しさを伝えたいと書かれています。

そこで、思い切ってMASAMIさんにロングインタビューを申し込み、『生命のシンフォニア』の概要や見どころ、声楽やオペラの面白さなど様々なトピックについてお聞きしてみました。約3時間に及ぶロングインタビューとなったため、前後編に分けてお伝えします!

『生命のシンフォニア』とはどんなコンサートになるのか

――今日は、どうぞよろしくお願いいたします。早速ですが、直近に迫った2021年12月8日のコンサート『生命のシンフォニア』についての概要を教えていただけけますでしょうか?

MASAMIさん(以下、「MASAMI」と表記):『生命のシンフォニア』には、地球を舞台にしたスケールの大きなストーリーを込めました。2020年から続くコロナ禍で、あらためて今私たちが住んでいる「地球」についてのかけがえのなさに思いを巡らせてみました。コロナ禍以前から、山火事や水害など、地球規模での異常気象や大規模災害が頻発していますが、これらは人間の活動によって地球が傷ついた結果、起こっている部分もあるわけですよね。

こうした問題に対して、自分のやれることは何だろうか、と考えた結果、今回の公演のメインテーマにしてみようと思ったんです。

『生命のシンフォニア』のハイライトの一つとなるオリジナルソング「天のまなざし」

――なるほど、それで、美しい地球を取り戻したい、というメッセージや思いを、オリジナル、カバーを混在させた、ドラマ仕立てのストーリーの中に込められているのですね。

MASAMI:そうなんです。現代の状況って、神様が怒って大洪水を起こしてしまう、古代神話の「ノアの方舟」の逸話に少し似ていると思うんですよね。もっと私たちは地球をいたわらなければいけない。だから、人類が地球を痛めつけた結果、人災や天災を招いてしまい、そこから立ち直っていくと言うストーリーを、より宇宙的、地球的な大きな視点から考えてみました。

――今回のコンサートでは、どのような曲目を演奏されるのですか?

MASAMI:『生命のシンフォニア』では全部で20曲以上用意しましたが、オリジナル曲がメインです。ポップスとクラシックの中間を行くような曲を創るというのがテーマだったので、そういうことができる作曲家を起用して「天のまなざし」「生命のシンフォニア」「エターナル」といった新曲を用意しました。シャンソンや映画音楽といったジャンルからも、展開されるストーリーの中で各場面にフィットする曲を歌っていくので、楽しみにしていてくださいね。

――オリジナルソング以外で、これぞ!という聞きどころの曲目を一つ教えていただけますか?

MASAMI:第一次世界大戦をテーマに、2005年に大ヒットした映画『戦場のアリア』の劇中挿入歌に、『アヴェ・マリア』という曲があるんですが、今回はこちらを大事な場面で歌いたいと思っています。日本では、多分、私だけしか歌っていない曲ですので。

――フランス軍とドイツ軍が塹壕でにらみ合う、激しい戦場の最前線で起こった一夜の奇跡をテーマにしている曲なんですよね?

MASAMI:そうです。1914年のクリスマスの日に、敵軍で参戦している夫に会いに行ったソプラノ歌手がこの曲を歌い、その歌声に魅せられたフランス軍、ドイツ軍両軍の兵士がともに手を取り合ってクリスマスを祝ったという、奇跡のような実話を元にした映画なんですが、その中でソプラノ歌手が歌い上げる、とっても美しい曲なんです。

――それは楽しみですね!ちなみに、オペラ歌手のリサイタルといえば、やっぱりオペラの曲を多く歌う、というイメージがあります。オペラ歌手として30年以上のキャリアがあるにもかかわらず、MASAMIさんのソロコンサートでは、なぜオペラ以外にも色々な曲目を上演されるのですか?

MASAMI:それは、私がオペラをルーツとしながらも、これまで幅広い音楽に触れてきたからだと思います。また、オペラ一本で皆様に聴いていただく、という構成よりも、より親しみやすい音楽表現で皆様に楽しんでいただきたいんです。

――なるほど!では、せっかくなので、MASAMIさんのこれまでの音楽活動について色々とお聞きしていきたいと思います。

宝塚歌劇やミュージカルを目指すも、導かれるようにオペラの道へ

――MASAMIさんは、元々オペラではなく、宝塚歌劇を目指して歌を習い始めたとお聞きしました。

MASAMI:そうなんです。小さい頃からバレエを習っていたおかげで、宝塚歌劇にあこがれていました。中学生の時に、東京バレエ団っていうプロのバレエ団に大人のクラスとして入れていただき、活動をはじめたんです。

――最終的に、宝塚歌劇のオークションは受けずに、大学に進学されたのですよね?

MASAMI:まず、両親に強く反対されていたこともありますね。それでも、大学に入れば宝塚のようなミュージカルの活動をしてもいい、という条件を希望に、音楽大学への進学を目指していました。

でも、中高と私の同級生に、日向薫(ひゅうがかおる)という、後に宝塚歌劇で男役トップスターに上り詰めた友人がいて、その子が高校在学時に宝塚に入っちゃったら、急に宝塚を目指す気持ちがしぼんでしまったんですよ。

彼女は、中学の時は私と同じぐらいの身長だったのですが、高校になるとぐんぐん身長が伸びていったんです。一方で私は、男役のイメージから程遠いぐらい全く身長が伸びなかったこともありました。

――では大学では、宝塚のスターではなく、何になろうと目指されていたんですか?

MASAMI:音大に入学した直後は、劇団四季を目指そうと思いました。当初は、大学2年まで在学して、退学して劇団四季でミュージカルをやろうと考えていたのですが、いざ2年で退学しようとしたら、今度は大学の先生方から「やめるな」と強い反対にあってしまって。

――今度は先生から……!でも、なぜなんですか?

MASAMI:大学で師事した先生方から、あなたの声質はオペラに向いているから、絶対オペラをやったほうがいい、と強く説得されたんです。結局、大学2年生の時に決断できず、音大に残りました。すると、在学中からオペラ関係の仕事がどんどん入ってきて、結局オペラから抜けられなくなっちゃったんですね。

――先生方からオペラへの才能を見いだされていたのですね。でも、多くの学生がオペラ歌手を目指す中で、競争も激しかったと思いますが、なぜMASAMIさんはそんなに順調にオペラ歌手として評価されていったのでしょうか?

MASAMI:それは、多分私が幼い頃から声楽だけでなく、バレエをやったり宝塚を目指して演技の表現力を磨いていたからかもしれないですね。

――あ、なるほど。野球の大谷選手のように、ある意味「歌」と「舞台」の二刀流でいらっしゃったことが大きかったのですね!

1980年 日生劇場の総監督・鈴木敬介氏に認められ、同氏が演出する数々のステージで活躍。

MASAMI:そうなんです。実は、日生劇場の総監督で、モーツァルトの演出で有名な鈴木敬介(すずきけいすけ)さんが在学時に評価してくださって。『フィガロの結婚』のスザンナ役をやったステージで、終演後にわざわざ私のところまで来てくださって、私の演技を追求する姿勢について「勉強になりました」って言いにきてくださった。本当にびっくりしましたね。そのことがきっかけで、後の日生劇場での『ピンピノーネ』主役抜擢にもつながりました。

――凄い!

MASAMI:普通は、オペラ歌手って歌が第一なので、指揮者を常に視界の片隅に入れておかなければいけないんです。歌を崩さないように意識すると、どうしても演技がおざなりになって、嘘っぽくなっちゃうんですよね。ぎこちない動きになるというか。でも、私はとにかく演技が好きだったので、そこはかなり勉強しましたね。

――歌舞伎にも出演されたことがあるそうですね?

MASAMI:そうなんです。通称『武智歌舞伎』と呼ばれた、武智鉄二(たけちてつじ)さんという有名な演出家の下で、中村扇雀さんのデビュー演目に出演しました。武智先生がどうしても舞台でドビュッシーを入れたいとおっしゃって、オペラ歌手である私が出演することになりました。

――歌舞伎でドビュッシーって、変わっていますよね?!

MASAMI:演出が前衛的な方だったんです。別の演目では、お腹から腸を取り出して投げる演技のときに、血糊をステージ上に派手に飛ばすような演出などもあって。その時は、最前列のお客さんは全身にビニールをかぶって鑑賞されていましたね。でも本当に武智先生にもよくかわいがっていただきました。

1979年 日本オペラ協会のオペラ、泉鏡花「天守物語」亀姫役として出演したときの1枚。総監督大賀寛氏に認められ、舞台に抜擢された。

――プロフィールを拝見すると、他にも多くの有名なオペラの演出家に抜擢されていますよね。

MASAMI:そうですね。日本オペラ協会創設者の大賀寛(おおがひろし)さん、藤原歌劇団三代目総監督で、後に国立歌劇場の総監督も務めた五十嵐喜芳(いがらしきよし)さんからもよくお声がけいただきました。

日本のオペラって、日本オペラ振興会の下に、日本オペラ協会と藤原歌劇団が所属している体制になっているんですが、私は運良く大賀さん、五十嵐さんという両方のキーマンから同時にお声がけいただけたんです。どちらかに所属すると、もう一方には所属できないのが通常なのですが、私は両方のかけもちが許されて。

――それだけ、評価されていたということなんですね~。

結婚を機に、イタリアと日本を往復する2拠点生活へ

1987年 公私ともにパートナーだったバリトン歌手・小嶋健二と各地でジョイントコンサートを行っていた時代、民音劇場「滝廉太郎物語」に出演した時の一枚。

――大学を卒業後、順調に出演を重ねていらっしゃったMASAMIさんに、最初の転機が訪れたのはいつなんですか?

MASAMI:バリトン歌手の小嶋健二と結婚した時ですね。当時、小嶋はイタリアを拠点に世界的に活躍が認められていたオペラ歌手のホープでした。

1988年に五十嵐喜芳監督の下で『リゴレット』という演目で共演したことがきっかけで、そこから1年もしないうちに挙式してイタリアのミラノに移住しました。仲人も五十嵐さんが引き受けてくださって。実はデビューした直後から、五十嵐さんからは盛んにキャリアアップのためのイタリア留学を勧められていたので、奇しくもイタリア行きが実現したかたちになりましたね。

――すると、そこからはイタリアへを中心とした音楽活動になったのですか?

MASAMI:当初はその予定でした。でも、結婚後すぐに夫の体調が悪化したので、看病のために日本とイタリアを往復する生活が長く続いたんです。

イタリアでは、著名な音楽家アルベルト・ソレジーナから歌を学びながら、日本では五十嵐さんのコンサートに出たり。両方の国で仕事をかけもちしていましたね。そうそう、その時に映画音楽を多く手掛ける神津善行さんと胎教用のCDも制作しました。

――胎教のCDですか?!優しく包んでくれるようなクラシック歌唱の歌声は、確かにお腹の中にいる赤ちゃんにも良さそうですね?!

MASAMI:その胎教のCDは、聖路加大学病院で有名な故・日野原重明さんが監修なさったんですけど、紀子様がご懐妊されていたとき、聴いてくださっていたみたいなんです。

――ということは、先日ご結婚された眞子さまも、お母さんのお腹の中にいる時に、MASAMIさんの歌声を聞いていらっしゃったわけですね?!凄い!

MASAMI:本当に感慨深いですね。日本では、他にも美空ひばりさんのコンサートに出演したり、ジャズ・トランペッターの日野皓正さんと共演したり、各界のアーティストといろいろな仕事をやらせていただきましたね。

――日本ではオペラ以外の仕事にもお忙しく携わられていたのですね?

MASAMI:その頃は、オペラ以外の仕事のほうに注力していて、クラシックファンよりも一般の方々との接点に立つ仕事が気に入っていました。

――でも、その後またフランスで本格的にオペラのキャリアへと戻られるのですね?

MASAMI:そうですね。小嶋が他界するまで結婚生活は5年半続いたのですが、彼が亡くなってから人づてに「結婚してから、昌見には看病ばっかりさせていたから、元気になったら、昌見には思い切りオペラを歌わせてあげたい」と語っていたと聞かされて。

それで、いてもたってもいられなくなって、ミラノのソレジーナの元に戻って、オペラ活動を本格的に再開したんです。

1994年 蝶々夫人のタイトルロールを歌うMASAMIさん。

――その後、程なくしてフランスに渡ったのはなぜなんですか?

MASAMI:フランスに巡業するオーディションに合格して、『蝶々夫人』のタイトルロールを歌わせてもらったことがきっかけでした。気づいたら、夫が亡くなって1年もしないうちにパリにいたんですよね。そこからは、フランス国内のいろいろな地方劇場を回っては、オペラを中心にステージに立っていました。

――ドラマティックな人生ですね!ちなみに、フランスではかなり長い間活動されていたのですよね?

MASAMI:10年以上はフランスで活動していました。その間、再婚したフランス人の夫との間に子供も授かって。フランスは、凄く居心地がよかったんです。イタリア人はテンションが高くて、少しついていけないところもあったんですが、フランス人はアンニュイなところもあって、私の気質とも相性がよかったのかもしれません。フランスは外国人も多いので、イタリアよりも暮らしやすいように感じていました。

――ということは、今、MASAMIさんはシャンソンをご自身の大切なレパートリーの一つにされていますが、シャンソンは、フランス滞在時に勉強されたのですか?

MASAMI:中学生の時から目指していた宝塚歌劇がシャンソンをよく使うので、もともと馴染みがありました。それで、フランス語がわかるようになったら、日本で歌われている歌詞と全く内容が違っていることがわかってきて。

当時、反戦をテーマにした内容の深い歌がたくさんあって、そういうのに凄く感動しちゃったんですよね。また、フランスって言論の自由が保証されているので、みんな言いたいことを言えるんです。シャンソンでも、反戦を高らかに歌っていたり、中身の深い意欲的な歌詞の曲が多いんです。こういう質の高いクオリティのシャンソンを翻訳して日本語で歌えたら面白いだろうなと思って、一時期夢中になりましたね。

15年ぶりに活動拠点を日本へと移し、シャンソンから再びオペラへ

――それで、2005年に帰国して日本に活動拠点を戻してからは、しばらくシャンソンを中心に取り組まれていたのですね?

MASAMI:フランスで学んだシャンソンの曲を日本語に訳して、私なりの歌い方でシャンソンのステージを展開していきました。

――日本だと越路吹雪さんなどが有名ですよね。

MASAMI:そうですね。他にもいらっしゃいましたね。ただ、日本でシャンソンを歌ってみて、シャンソンの世界の閉鎖性には少し難しさを感じていました。人気を確立した大御所の歌い手さんの影響力が強くて、「こういうふうに歌うべき」という日本独自の型ができあがっていたんです。

フランスのシャンソンはもっと自由で、どんな声で歌ってもいいんです。私のようなクラシック歌唱でもいいし、ポップス歌手みたいな歌い方でもいい。もともと、”シャンソン”というのは、フランス語で「歌」という意味ですから。

――ガラパゴス化していた日本のシャンソン界で、少々居心地の悪い思いをされていたのですね。

MASAMI:そうなんです。それでも悩みながらも、なんとか私なりのシャンソンを日本語でやろうと模索を続けていたんですが、ある時、コンサートでアンコールにうっかり『蝶々夫人』を歌っちゃったんですよね。

――あっ!すると……。

MASAMI:そうしたらもう、みんなから、「どうしてオペラをやらないんだ」とすごく言われちゃって。絶対にオペラに戻って欲しいと言われて。それで、よく考えたら私は確かにオペラ歌手だったなと考え直して、またその時からオペラを主体としたステージに戻りました。それ以来、定期的に今のようなスタイルのリサイタルを開催するようになっているんです。

――でも、今は決してオペラ一辺倒、というわけではなくて、シャンソンもオリジナルソングも、演劇的な要素も全部ミックスさせたような、いわばこれまでの活動内容をすべて融合させたような独自のスタイルが定着していますよね。

MASAMI:そうですね。常に一般のお客さんに受け入れてもらえるようなクラシックのコンサートを目指してきたので。それに日本では、構想から企画、運営まですべて自分たちで考えられる体制を作ったので、自分のやりたいことを100%反映できるのも大きいですね。

結果として、私自身のこれまでの半生で学んできたすべての要素がステージに反映されているのだと思います。本当に幸せなことだなと思いますね。

――前回と前々回のリサイタルは、令和に元号が変わったこともあって、「万葉集」に着想を得たオリジナルソングとステージコンセプトが好評でしたね。

MASAMI:実は、「万葉集」をテーマにした曲作りは1990年頃から始まったんです。当時、万葉集をテーマとしたクラシックの大衆向けコンサートの企画が各界の精鋭の方と進んでいたのですが、プロデューサーが転勤になったり、私もヨーロッパへ戻ってしまったりと、中座してしまっていたんです。

でもその当時から作りためていた曲がたくさんあるんですよね。令和になって、タイミングよくいくつか「万葉集」をテーマにしたリサイタルが開けてよかったです。また少し時期が空いたら、定期的にやっていきたいですね。

「オペラ」を軸に、30年間の集大成をステージの上で表現した『生命のシンフォニア』

――本当に、MASAMIさんの音楽人生は、他の人にはない非常にユニークなキャリアになっているのですね。

MASAMI:そうですね。あらためて自分の音楽人生を振り返ってみると、軸には常に「オペラ」があるんだけど、面白いことに、学生のときも、結婚したときも、日本に戻ってきたときも、節目節目で周囲の方々が私に期待してくださるんです。

だけど、自分で選んでオペラをやってきているわけではないから、「ひょっとしたら別の道があるのかもしれない」と迷いが出ることがあるんです。それで、セミクラシックなステージをこなしたり、シャンソンを勉強したり。お芝居をやってみたり、別の方面でも楽しくなってしまう時期があるんですね。

でもそうやって色々な方面に手を出したことが、今は全部ミックスされた状態になっている。結果として、私にしかできない舞台になっていると思うんです。本当に、人生に無駄なものはないんだな、と実感します。

――今「舞台」とおっしゃいましたが、MASAMIさんの音楽人生を振り返ると、一貫して「舞台」でのお仕事を選ばれてきていますよね。

MASAMI:結局、私は舞台が好きなんですよ。舞台が好きだから、歌を歌っているのだと思うんですよね。普通のオペラ歌手は、歌が好きだから、関連して舞台に乗っている、という人が多いんじゃないかと思うんです。でも私は逆なんですよね。舞台が好きだから、その手段として「歌」があったんです。

オペラに完全にシフトしきれないところもあったのかもしれないけど、その分、常にジャンルの境目に立っている人との出会いも多くて、アーティストとしては充実している人生だなと思っています。

――ありがとうございます。最後に、2021年12月8日のコンサート『生命のシンフォニア』についての抱負をお聞かせいただけますか?

MASAMI:今、私たちが暮らす地球は、温暖化に伴う異常気象や大規模な自然災害の多発など、声にならない悲鳴を上げ始めています。また、長引くコロナ禍も相まって、世界中の人々が人生に希望を見出しづらい状況が続いています。

こんな状況だからこそ私は、『生命のシンフォニア』で、かつて私達の遠い祖先が分かち合っていたであろう、喜びに満ちた地上の楽園への希望やあこがれを、ステージ上で力いっぱい表現したいと考えました。歌の力で、みなさまに少しでも元気の種をお届けできるならば、これに勝る喜びはありません。

初心者の方でも、リラックスして楽しんでいただける演目になっていますので、ぜひお時間があれば、当日お目にかかれましたら嬉しいです。

――MASAMIさん、ありがとうございました。(

ソプラノ歌手MASAMIさんに聞いてみた!オペラ歌手についての素朴な疑問や、ステージの楽しみ方について【奥村昌見さんロングインタビュー後編】
" target="_blank" rel="noreferrer noopener" title="https://rakukatsu.jp/opera-masami-qa-session-20211121/">インタビュー後半に続く)

インタビュー後編は下記リンクからどうぞ!

MASAMI(奥村昌見)プロフィール

大学在学中にオペラ「マルタ」のタイトルロールを歌いオペラデビュー。

卒業後は「カルメン」「フィガロの結婚」「コシ・ファン・トゥッテ」「ピンピノーネ」「天主物語」「死神」をはじめ、藤原歌劇団、日本オペラ協会、日生劇場などが主催する多くのオペラに出演して注目を集める。また、テノール歌手五十嵐喜芳氏のジョイント・リサイタルの相手役に抜擢され、日本各地でのコンサートに出演した。

1988年、イタリアミラノに渡りミラノ音楽院にてアルベルト・ソレジーナ氏に師事。たびたび帰国して、作曲家神津善行氏がプロデュースするコンサート、ラジオ、CD制作、芝居など、日本における活動も並行して続けた。1994年、フランスにて「蝶々夫人」のタイトルロールを歌ってヨーロッパデビュー。以後、活動の拠点をフランスに移して数々のオペラ、コンサートに出演を重ねてきた。

2004年に帰国後、活動の拠点を日本に移してからは、日本、フランス両国で幅広いレパートリーを活かしたコンサートを行い好評を博している。アルベルト・ソレジーナ、栗本尊子、中沢桂、東敦子、永尾和子氏に師事。藤原歌劇団団員、日本オペラ協会会員、洗足学園音楽大学講師。

▼MASAMI Official Site
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▼公式YouTube
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▼公式Instagram
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▼公式Twitter
https://twitter.com/masami_opera

コンサート「生命のシンフォニア」概要について

MASAMI ドラマティックリサイタル『生命のシンフォニア』
開催日時:2021年12月8日(水)
開場時間:18時30分 開演:19時00分
開催場所:さくらホール (渋谷区文化総合センター大和田) 
〒150-0031 東京都渋谷区桜丘町23-21
チケット:前売り 6,000円 当日 6,500円 (全席自由)
主  催:ランプレッション
協  賛:ミューズ・ピーアール

【先着順】楽活読者限定コンサートチケットプレゼント!

もっと多くの人に、コンサートに参加していただきたい、というMASAMIさんの強い願いから、今回、「楽活」にて、12月8日の『生命のシンフォニア』への無料チケットプレゼントを抽選で5組10名分ご提供できることになりました!

MASAMIさんのコンサートの無料招待券をご希望される方は、下記のお申込みフォームから、「本文」欄に「楽活記事を読んで応募」した旨をお書きいただき、事務局までご連絡ください!

▼お申し込みフォーム(MASAMI Official Site)
https://masami-opera.com/contact