絢爛豪華な長谷川等伯の障壁画を東京で堪能!「京都・智積院の名宝」展

京都・智積院は東山に建つ古刹、近くには三十三間堂京都国立博物館があります。この展覧会は関東圏で智積院の名宝を紹介する初めての機会です。智積院は弘法大師空海から始まる真言宗智山派の総本山であり、全国に3000余りの寺院を擁します。大本山には関東でもなじみのある成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院があります。

この展覧会では、初の試みとして金碧障壁画の国宝「楓図」「桜図」「松に秋草図」を一挙同時展示するほか、智積院以外では初公開する「松に黄蜀葵図」など、障壁画群を堪能できる貴重な機会です。

来年2023年4月4日に「総本山智積院宝物館」がオープンするのも楽しみです。

豪華絢爛に金碧障壁画が並ぶ

第二章の会場に国宝5点[全期間展示]

第二章「桃山絵画の精華 長谷川派の障壁画」に国宝5点がそろいました。長谷川等伯「松に秋草図」二曲一双、「楓図」六面、「松に黄蜀葵図」四面、「雪松図」四面と長男・久蔵「桜図」五面の5点の国宝に囲まれる館内は実に壮観です。

桃山文化を代表する金碧障壁画は、当初は東山にある祥雲禅寺(祥雲寺)を飾っていました。祥雲禅寺は、豊臣秀吉が3歳で夭折した息子・鶴松の菩提寺として建立し、鶴松の三回忌の1593年には竣工、障壁画も完成していたと考えられています。秀吉亡き後、祥雲禅寺は徳川家康によって廃絶され、寺領・建物ともにも智積院に移り、手厚い保護を受けて伝えられてきました。

ここでは、みどころの第二章を最初に紹介し、それから第一章から展示順に紹介します。

国宝「松に秋草図」長谷川等伯 桃山時代 16世紀[全期間展示]

「松に秋草図」は再建時の建物に合わせた大きさの襖絵から二曲一双の屏風に改装されました。高さは当初のまま228cmです。金地を背景にして太い松の幹が左に伸び、根元には木槿(むくげ)、中央には菊、左には芙蓉(ふよう)が咲いています。芙蓉の花は正面、横、後ろとさまざまな方向に描かれ、薄の葉がしなり、風に揺れているようです。数輪の赤い菊のほかは白い花です。

国宝「桜図」長谷川久蔵 桃山時代 16世紀[全期間展示]

「桜図」は中央に太い幹の桜が大きく枝を広げ、たくさんの花を咲かせています。花は実物よりも大きく正面を向き、胡粉(貝殻からできた顔料)で盛り上げて、八重桜の立体感が画面をより華やかにしています。ところどころに枝垂れ柳の緑がアクセントを加え、下部には、射下(しゃが)、蒲公英(たんぽぽ)、躑躅(つつじ)なども咲いています。

国宝「楓図」長谷川等伯 桃山時代 16世紀[全期間展示]

「楓図」は左側に襖貼付二面、右側に壁貼付四面、このように合計六面が並ぶことは智積院でもないので、貴重な機会です。右の四面は、中央には楓の太い幹から左右に大きく枝を伸ばしています。楓、萩の葉は紅葉し、鶏頭、菊、木犀、桔梗の花々が咲いています。写真ではわかりにくいのですが、紅葉や鶏頭の赤い花が鮮やかです。

左から国宝「楓図」長谷川等伯 桃山時代 16世紀/国宝「桜図」長谷川久蔵 桃山時代 16世紀[ともに全期間展示]

長谷川等伯の「楓図」、長男・久蔵の「桜図」が並んで春秋の華やかさを競うようです。もともとは高さ2mを越す大きなものでしたが、再建した建物に合わせて上下が切り詰められて高さ172cmに改編されました。

残念なことに、将来を期待された久蔵は1593年6月に26歳で死去。奇しくも、秀吉が子を亡くして弔う祥雲禅寺の、障壁画を手がけた等伯も子どもを亡くす同じ悲しみにくれることになったのです。

左から:国宝「雪松図」長谷川派 桃山時代 16世紀/国宝「松に黄蜀葵図」長谷川等伯 桃山時代 16世紀[ともに全期間展示]

「雪松図」は松に積もった雪、左から斜めに伸びる松の幹、根元には椿、梅が松の幹に寄り添っています。松の描き方を、隣の「松に黄蜀葵図」と比べると違いがあり、描いたのは等伯の弟子で娘婿の長谷川等秀が有力候補と推測されています。

「松に黄蜀葵図」は再建に伴う改変によって高さ330cmにもなり、写真では上部が隠れています。力強い松、なびく芙蓉の枝、松の前にまっすぐに伸びる黄蜀葵図(とろろあおい)には蕾もついています。「雪松図」「松に黄蜀葵図」は智積院以外では初めての展示です。

どの障壁画も金地を背景にした大木の幹と鮮やかな色彩で描かれた草木によって季節を感じることができます。鶴松を哀悼するために白い花が多く描かれています。

「十六羅漢図屛風」長谷川等伯 桃山時代 1609(慶長14)年[全期間展示]

十六羅漢の類型的な描き方を踏まえ、ユーモラスな雰囲気が漂うなかにも、長谷川派の題材や技法が盛り込まれています。1605年に最高位の絵師「法眼」の位を得てから署名に「自雪舟五代長谷川法眼筆 七十一歳」と書き込み、等伯の充足感が伝わります。また、右から二人め、獅子に乗った羅漢は3階の展示室の入り口で迎えてくれます。

智積院の歴史を概観する名宝

4階展示室の入口

展覧会は4階の「第一章:空海から智積院へ」から始まります。

真言宗の宗祖・弘法大師空海(774~835年)が平安時代9世紀初めに紀伊国(現和歌山県)で高野山を開創しました。智積院は、中興の祖・興教大師覚鑁(かくはん)(1095~1143年)の法統を受け継ぎ、室町時代に紀伊国の根来寺境内で創建された塔頭寺院に始まります。天正年間に豊臣秀吉政権下で衰退し、徳川家康の寄進を受けて現在の地・京都東山に再興を遂げました。

左:額字原書「密厳堂」運敞 江戸時代 1672(寛文12)年
中:京都府指定有形文化財「興教大師像」 鎌倉時代 13世紀
右:「弘法大師像」室町時代 1444(文安元)年[展示期間:すべて11/30~12/26]

奥のガラスケースの右側には弘法大師空海の像があり、空海が讃岐国の我拝師山(がはいしさん)で修行中に釈迦如来が出現した故事も表わされています。

中央は真言宗中興の祖・興教大師覚鑁の像、同大師像のなかでも表現が優れ、京都府指定有形文化財に指定されています。左側の「密厳堂」は、運敞(うんしょう)(1614~93年)が智積院境内に建て、堂舎の額字を書いた額字の原書で、堂内には覚鑁の尊像をまつっています。

智積院靈寶并袈裟世具目録(上)専戒 江戸時代 1705(宝永2)年[全期間展示]

「智積院靈寶并袈裟世具目録」は、智積院に現存する最古の財産目録で、長谷川派の障壁画について「長谷川久蔵筆 大小九十三枚」と記載があり、18世紀中頃に客殿・書院などの襖や屏風として仕立てられたことがわかります。

モダンな襖絵と工芸の名品

階段の正面に智積院の四季が映る

4階から3階の展示室に移る間には階段があって、作品をじっと見ていた緊張が少し和らぎます。通常非公開の智積院に縁深い巨匠の作品、智積院ゆかりの工芸の名品が展示されています。カタログでは「第五章:智積院の名宝が結んだ美」として記載されています。

奥:「婦女喫茶図」堂本印象 1958年[全期間展示]
手前:「輪宝羯磨文戒体箱」江戸時代 17世紀[展示期間:11/30~12/26]

堂本印象(1891~1975年)は京都出身、「婦女喫茶図」はテーブルで女性が野立てを行う大胆な構図、抽象主義にも取り組みもうかがえます。手前の「輪宝羯磨文戒体箱」は重要な文章を納める箱、金銅板に透かし彫りが美しい。

奥:「松桜柳図」堂本印象 1958年 [全期間展示]
手前:「網干片身替蒔絵螺鈿行厨」桃山時代 16世紀[展示期間:11/30~12/26]

「松桜柳図」も堂本印象が智積院に描いた襖絵の1点、金地を背景にして柳がダイナミックに伸びる幹は、「桜図」「楓図」を思い起こさせます。

手前の「網干片身替蒔絵螺鈿行厨」は提げ重、花見弁当ともいわれ、宴会の道具を携帯する道具です。黒漆、螺鈿、蒔絵を施した豪華なつくりが桃山文化を伝えてくれます。

学山智山の歴史を紐解く

3階入口でお出迎え(「十六羅漢図屏風」より)

「第三章:学山智山の仏教美術」では智積院が真言教学の正統な学風を伝える「学山智山」とも呼ばれ、宗派を問わずに集まった仏教美術の名宝を展示しています。

「釈迦如来坐像」鎌倉時代 13世紀 [全期間展示]

寄木造りの像で表面には漆箔が残っています。やや面長で切れ長の目、長い鼻梁は湛慶のつくりに近いといわれています。かつて智積院の明王堂(不動堂)に安直されていました。

奥:「両界種子曼荼羅図」二幅 江戸時代 17世紀[展示期間:11/30~12/26]
手前:「刺繍法華経」元時代 1361(至正21)年頃[全期間展示(場面替)]

両界曼荼羅とは、密教で重視される二つの経典「大日経」「金剛頂経」を仏の姿を幾何学的に構成したもの。この「両界種子曼荼羅図」では、仏の姿を梵字で表しています。

「刺繍法華経」は絹地に刺繍を施した経典、右側の見返し部分には、釈迦、普賢菩薩、四天王のうち二天の姿が表わされ、経文は藍糸、「佛」のみ金糸を用いています。

東アジア・中国美術から日本近世絵画の名品まで

左:「花鳥図」明時代 16世紀
中:「漁夫図」薛仁 明時代 16世紀
右:重要文化財「瀑布図」南宋時代 13世紀[展示期間:すべて11/30~12/26]

「第四章:東アジアの名品集う寺」では、江戸幕府と密接な関係の智積院には多くの寄進がありました。東アジア・中国美術から日本近世絵画の名品までが展示されています。

「花鳥図」二幅は、左幅には蓮、白鳥と高麗鶯の番、右幅には芙蓉、丹頂鶴と叭叭鳥の番が描かれ、季節を感じさせます。元禄年間1688~1704年)に滋賀・宝幢院から運ばれた作品です。

「漁夫図」は中国で古くから愛好された画題で、明代の作風は長谷川等伯の画風にも大きな影響を与えたと指摘されています。

重要文化財の「瀑布図」は、中国・南宋時代の名品で、墨の濃淡で滝水や波濤を描き分ける巧みな画技です。第十世能化の専戒僧正(1640~1710年)が寄付したものです。

「七宝双鳳牡丹文洗」明時代 16~17世紀初頭 [全期間展示]

口径36.3cm、色鮮やかな器が目をひきました。銅線で区切った模様ごとに異なる色の釉薬を置いて焼く有線七宝の技法で、色鮮やかです。七宝は、日本に室町時代後半に多数が輸入されましたが、現存する数は極めて少ないです。

左:「後奈良天皇宸翰和歌(三十六歌仙)」後奈良天皇 室町時代 16世紀前期[展示期間:11/30~12/26]
右:「蓮舟観音図」徳川綱吉 江戸時代 17~18世紀[全期間展示]

「後奈良天皇宸翰和歌(三十六歌仙)」は、「南無天満大自在天」の天神名号を中幅に、左右幅に三十六歌仙の和歌を歌合の形で表わし、下絵には金銀泥で四季の動植物が描かれています。天神が連歌を好むという伝説から、天神に詩歌を献じる連歌会などの本尊として掛けられたのも。運敞から寄贈されたものです。

「蓮舟観音図」は徳川綱吉(1646~1709年)の優れた画技が発揮された、蓮弁の上に立つ観音の図です。徳川将軍は教養として御用絵師の狩野派から絵を学び、綱吉の書画は当時人気がありました。第八世信盛僧正(1620~93年)が綱吉から拝領したとみられています。

智積院内の修法で用いられてきた密教法具一式 江戸時代 1866(慶応2)年以前[全期間展示]

長谷川等伯の生涯を想う

ミュージアムショップには智積院展オリジナルも多数
色鮮やかな堂本印象「松桜柳図」大判ハンカチ

長谷川等伯は、1610年石川県で生まれ、仏画や肖像画を制作していましたが、1571年33歳で京都に上りました。55歳頃に祥雲禅寺の障壁画を描き、障壁画、水墨画の傑作を残し、71歳で逝去。等伯の生涯は小説になっているので、読んでみてはいかがでしょう。

『闇の絵巻』澤田ふじ子著(1986年 新人物往来者)、『松林図屏風』萩耿介(2008年 日本経済新聞出版社)、『等伯』安倍龍太郎(2012年 日本経済新聞出版社)。

6階ホールでは「真言密教の学山と桃山文化 智積院」(約13分)の映像を上映(予約不要)し、ロビーではほぼ原寸大の《楓図》のパネルと記念撮影ができます。

展覧会では、音声ガイド(俳優・栗原英雄さん)のほか、学芸員による展示レクチャー、エデュケーターによる鑑賞ガイド、御朱印会、呈茶席などさまざまイベントも開催しています。カフェ 加賀麩不室屋では、展覧会限定スイーツもあります。

来年2023年4月4日には「総本山智積院宝物館」がオープンします。また2023年は真言宗の開祖・弘法大師空海の生誕1250年を記念する真言宗寺院にとって重要な年でもあります。

京都で智積院の名宝に再会し、堂塔伽藍や庭園を尋ねるのが楽しみです。

*掲載写真の作品はすべて智積院所蔵

【情報】
「京都・智積院の名宝」展
会期:2022年11月30日(水)~2023年1月22日(日)
会場:サントリー美術館 
ホームページ:https://www.suntory.co.jp/sma/
休館日:火曜(1/17は開館)、12月30日(金)~1月1日(日・祝)
*入館のための日時指定予約は必要ありません。
智積院  https://chisan.or.jp/
京都府京都市東山区東瓦町964番地

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