明治時代の文豪・森鴎外(1862~1922年)を知らない人はいない。鴎外の小説『舞姫』は教科書で読んだ、という記憶がある方も多いことでしょう。
来年、2022年は鴎外が亡くなってからちょうど100年。2021年3月には、鴎外が部下の軍医に宛てた手紙29通が見つかり、外国語小説を多く翻訳した鴎外の翻訳論や、彼の軍医としての活動の側面を知る上で重要な資料になるであろうと、京都新聞(3月17日)は伝えています。
これを機会に『舞姫』の世界を深く味わってみるのはいかがでしょうか。一度読んだことがある方も、ぜひもう一度読むことをお勧めします。
森鴎外の代表作『舞姫』とは
森鴎外が著わした最初の小説『舞姫』は1890(明治23)年「国民之友」に発表されました。
『舞姫』は、主人公太田豊太郎が法学を学んだベルリン留学時を回想し、エリスとの悲恋を綴る小説です。小説のヒロインであるエリスは踊り子です。ちょうど、エドガー・ドガ(1834~1917年)の絵に登場するチュチュを履いた踊り子が思い浮かびます。
ドガの絵は鴎外がドイツに留学する10年ほど前に、パリのオペラ座を描いたものです。当時は裕福な男性をパトロンにする踊り子もいました。後述する映画『舞姫』ではエリスがチュチュではなく、薄い布を着て踊る場面もありました。
この小説を解明すべく多くの研究論文や書籍が出版されています。
私もかなり以前に読んだにも関わらず、『舞姫』の文字に惹きつけられて、『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』を手にしました。2020年には同書が河出書房から文庫本として出版されました。文庫本の「はじめに」には新情報をふんだんに取り入れたとあり、6章立てに整理され、「文庫版 解説」が付いています。
単行本のカバーにはミュンヘンの写真館で撮影した鴎外自身、文庫本のカバーには中央に鴎外、左上にエリス。二人の足元にはブランデンブルク門から続く大通り「ウンター・デン・リンデン」(菩提樹の下という意味)が広がり、初夏の黄緑色の菩提樹の花が彩り、甘い香りが漂ってくるようです。
『舞姫』には軍医、作家、評論家として生きた鴎外のエッセンスが詰まっています。
『舞姫』を読み返して、鴎外は、『舞姫』を書かずにはいられなかったのだと思いました。もし、鴎外がドイツの恋人と一緒に暮らすことができていたら、『舞姫』も文豪鴎外も誕生することはなかったのではないでしょうか。
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『舞姫』は鴎外がベルリンに滞在した1987年4月から翌年7月までの現地での実体験を背景としているとされます。登場する地名はほとんどが実在するのに、人物はモデルらしき人を似た名前にしているところもあります。豊太郎とエリスが出会った場所、エリスがどこでどのように暮らしていたのかは小説には描かれていません。
主人公豊太郎は、どこまで鴎外の経験を反映しているのでしょうか、エリスにはモデルとなった女性がいたのでしょうか。
『舞姫』のヒロイン・エリスのモデルは誰?
鴎外の死の10年ほど経って、ドイツの女性が鴎外の帰国後すぐに来日したことが、鴎外の家族が雑誌に発表した回想から判明。1981年には、乗船名簿からエリスのモデルがエリーゼ・ヴィーゲルトであると判明しました。名前がわかったことで、エリーゼがどんな人物だったのか、さらに研究や論説が盛んになりました。
『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』の著者・六草いちかはベルリンに暮らし、19世紀の地図や写真を探して現在の街を歩き、「ヨーロッパのユダヤ人のための記念碑資料館」名簿、ベルリン住所帳、ベルリン州立公文書館、プロシヤ王室古文書館などを調べました。
所属教会には、出生、洗礼、堅信礼、婚姻、埋葬の記録が保管されています。彼女は、プロテスタント教会公文書館をはじめ、多くの教会に足を運びました。エリーゼがどの教会に属していたかわからなかったからです。各教会や公文書館に予約をしてマイクロフィルムを借り、たんねんに目で追っていく。大変な気力・体力が必要な作業でした。
ベルリンの中心部は第二次世界大戦で80%以上が廃墟となりました。その後は、社会主義国家の首都として再開発が行われました。しかし中には、焼けることなく残った文書や記録がありました。約6ヶ月に及ぶ断続的な調査の結果、彼女はついにエリスのモデルとなったエリーゼ・ヴィーゲルトの生年月日、出生地、職業を明らかにし、『舞姫』のなかで豊太郎とエリスが出会った教会を特定することができたのです。
『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』 では、結果だけを書くと一枚の報告書になってしまうところを、考察や資料を探す過程を丁寧にまとめています。
調査が行き詰まり停滞するように、私も時々本を閉じ、推理小説を読んでいるようにゆっくりと読み進めていきました。目次の後ろにある「ベルリン市内地図」を何度も開いては場所の確認をしながら読み進めるうちに、写真や地図からベルリンの街や歴史、暮らしをも知ることができました。
エリスのその後を丹念に追ったドキュメンタリーがあった!
さらに2年後に 六草いちかによって続編 『それからのエリス いま明らかになる鴎外「舞姫」の面影』 が刊行されました。『それからのエリス』の「それから」とは、『舞姫』以降のエリス、つまりエリーゼの人生のことです。
展開が速く、読み慣れたこともあって読む速度も速くなりました。サブタイトルに「いま明らかになる鴎外『舞姫』の面影」とあり、想像もしなかった事実が明らかになり、とても驚きました。ぜひ、その驚きを味わっていただきたいので、詳細な内容はここでは控えます。ぜひ 『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』 から2冊続けての読書をお勧めします。
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『舞姫』を原文の響きで味わう
『舞姫』を初めて読む方にお勧めしたいのが『現代語訳 舞姫』です。現代語訳、解説、原文、資料の順に構成され、現代語訳と原文を見比べながら読むことが楽しむことができます。
現代語訳は60ページ、原文は50ページほどです。まずは原文で文語調の言い回しや句切りのリズム、明治時代の言葉の響きを感じてみてください。
たとえば、豊太郎がベルリンに着いた感慨はこんなふうです。
(原文)「余は模糊(もこ)たる功名の念と、検束に慣れたる勉強力とを持ちて、たちまちこのヨオロツパの新大都の中央に立り。なんらの光彩ぞ、我が目を射むとするは。なんらの色沢ぞ、我が心を迷はさんとするは。」
『現代語訳 舞姫』 p119
(井上靖による現代語訳)「私は漠然たる功名の念と、自分を拘束することに慣れた勉学への意欲を持って、何はさて措(お)き、このヨーロッパの新しい大都の中心部に立った。わが眼を射ようとするのは、いかなるものの光彩であろうか! わが心を迷わそうとするのは、いかなるものの色彩であろうか!」
『現代語訳 舞姫』 p12
小説家・井上靖の現代語訳は内容がわかりやすく、文語調の雰囲気も味え、解説では鴎外の苦悩の訳も知ることができます。
すぐに読んでみたい人は、無料で公開されているWeb上の青空文庫で原文を読むことができます。
さあ、『舞姫』をもう一度読んでみましょう。
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▼電子本「青空文庫」
https://www.aozora.gr.jp/index.html
映画で19世紀のベルリンを追体験する
映画『舞姫』は篠田正浩監督、郷ひろみ主演で1989年に公開されました。1880年代のベルリンの雰囲気と当時の日本の暮らしを見ることができます。エリスが暮らす中庭のあるアパートは薄暗く、豊太郎の下宿は豪華な内装でした。ストーリー全体は原作に近いのですが、違う点も多々ありました。太田豊太郎は軍医、エリスはユダヤ人街に暮らすダンサーです。
さまざまな論説がある二人の出会いの場は、小説では古い寺院(教会のこと)と明記されています。
「或る日の夕暮のことであったが、<略>わがモンビシュウ街の借(か)り住まいに帰ろうと、クロステル地区の古い寺院の前まで来た。<略>鎖(とざ)した寺門の扉にもたれて、声を呑(の)んで泣く一人の少女が居るのを見た」
『現代語訳 舞姫』p22
しかし、映画での出会いの場は、教会ではありませんでした。シュプレール川に掛かるモンビジュー橋です。カモメが一羽すっと橋に沿って飛び、くるりと向きを変えて画面に向かって飛び去ってから、豊太郎が泣いているエリスに声をかけるのです。
『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』の第五章(文庫版)には、シュプレール川は鴎外の下宿に近く、越冬しているカモメが飛び交う風景が鴎外の中に深く残ったことだろう、筆名の「鴎外」は外国から来たカモメのイメージを抱いていた、とも記されています。
そう考えると、映画の出会いのシーンはより印象的です。モンビジュー橋は博物館島の北端・ボーデ博物館のすぐ近くに、橋げたに顔の彫刻がある石造りの橋です。
また、映画が公開された1989年は平成元年、天安門事件、ベルリンの壁崩壊など、歴史の転換点となるような出来事も多く起こりました。東ドイツ領内のベルリンは1961年に建設された壁で東西に分けられ、映画の撮影はほとんど東側(当時の東ドイツ領)で行われましたが、撮影時には壁が壊されることなど考える人はひとりもいませんでした。鴎外が知ることがない、ベルリンの歴史が積み重なっているのです。
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