今回ご紹介したいのは、京都観光のメッカ・祇園に1年ほど前に出来た、カフェギャラリーといいますかアートスペースといいますか、とにかくユニークな「アートの場所」です。
京都市バスなら「東山安井」が最寄りなのですが、あえて観光的に、「祇園」から向かうことにします。
四条通の突き当たりに八坂神社が見えたら右折し、
和菓子屋さんの前を通り、
お好み焼き屋さんの手前の道を右に曲がると(よく見ると角にのぼりもあります・ない時もあります)
坂を下ったところに、その建物がありました。
この地下です。ちょっと秘密基地っぽい立地ですね。
ここ、monade contemporary | 単子現代(モナド・コンテンポラリー|たんしげんだい)というスペースの代表者、F.アツミさんにお話をうかがうことができました。
――monade contemporary | 単子現代というのはどういうスペースなのでしょうか。
monade contemporary | 単子現代 F.アツミさん(以降F.アツミ): monade contemporary | 単子現代は、アートスペース/イベントスペースとして2022年の春~夏ごろにオープンしました。そのなかにギャラリーやカフェなどの機能をもたせて、アートやカルチャーを食とともに楽しめる空間になればと考えています。
――monade contemporary | 単子現代はどんな経緯で、祇園で開業することになったのでしょうか。場所が有名な観光地なうえ、天井の高い半地下、窓の中から目の高さで地面のコケや木々が見える不思議な風景が印象的で、よほど狙って探さないと情報が入らなさそうな場所のように思うのですが。
F.アツミ:2022年の3月頃から物件を探し始めたのですが、最初は賃貸物件の検索サイトで最安の物件から順に探していきました。COVID-19の余波もあったせいか、河原町・祇園周辺でさまざまな種類の小規模のテナントが出ていたのですが、場所が「月見町」という印象的な地名にあったことに結果として導かれた感じがします。現在(2023年5月時点)も、同じような小規模のテナントが出ているので、アートやカルチャーにかかわる人が入ってきてほしいなと思っているところです。
――スペースは専門職の力も借りつつDIYでつくられたそうですね。現在、スペース内は、ホワイトキューブのようなギャラリーと青いキッチンのあるカフェの区画に分かれています。もともとはバーや飲食店だったのでしょうか?
F.アツミ:もともとはバーのような小さな飲食店だったそうですが、テナントの引き渡し時はスケルトンで何もない状態でした。そこに以前から知っていた友人で、今はインストーラーとして世界各地で活躍している宮路雅行さんが参画してくれて、床や壁を知人らと一緒につくってくれました。自分自身も見よう見まねで手伝わせてもらいましたが、まったく何もないところから展示空間が立ち現れるプロセスには心震えるものがありましたね。
――素晴らしい経験でしょうね。コンクリートむき出しの部屋が、カフェやギャラリーとして立ち現れるところまで立ち会うことができるなんて。
F.アツミ:その後、スピーカーを8個、サブウーファーを2個ほど増設して、全方位から音楽や音響を感じられるスペースができました。今は、音量を上げると、床が共振してからだに伝わってきて、音楽や音響に合わせて呼吸をしているかのようなスペースにもなっています。
――スペースでは「見る」だけでなく、「聴く」「味わう」など「体感」することにも力を入れておられるのですね。ギャラリーとしての部分についてですが、私はオープニング展から見てきましたが、作品が非常に印象的で、海外の作家の個展もあるなど、見る目と人脈が面白いと思いました。展覧会をするにあたって、どうやって作家を探されますか。また、その作家や作品のどんなところを見ますか。
F.アツミ:これまでmonade contemporary | 単子現代では、プレ・オープニングとして尾角典子さんと具志堅幸太さんによる「いととし てのいと」展、オープニングとして村山修二郎さんによる「遊動/Nomadism」展を開催しました。
また、HASE.さんによる絵画「残ったもの」展、江幡京子さんによる映像作品「月の沙漠 | The Desert Moon」展、海外からはRyts Monet(リッツ・モネ)さんによる「Air From Another Planet | 異星からのエア」などを行ってきました。
F.アツミ:展示にかかわるアーティストや作品については、探すというよりも、気になった展覧会や展示会場に行って、話して、うまく流れれば展示ができるということが多いように思います。どのようなところを見るかというのは言葉にするのが難しいですが、やはり作品や言葉から何か自分のなかに新しいイメージが見えたり、言葉が浮かんできたりすることがあって、そのイメージや言葉を共有できる時間や余地があるということが、展示をつくるうえでは大切なのかなと思います。
――こちらのスペースでは、「現在のアート・哲学・社会について考え、実践するための展示活動を行っている」ということですが、アートと哲学と社会について、それぞれがどう関わっていくのか、よろしければお考えを聞かせてください。
F.アツミ:私は「クリエーション・ユニットArt-Phil」という編集/批評/企画制作/出版を主に行う活動から始まって現在に至るのですが、いわゆる20世紀後半のポストモダン(戦後〜現在)の思想やアートに関心があって、ドゥルーズ=ガタリやジャック・デリダ、ミシェル・フーコー、あるいはニクラス・ルーマンなどによる思想書をよく読んでいました。
――そういう哲学的な背景があるのですね。
F.アツミ:そのなかで、美術の歴史(アートヒストリー)、あるいは人の物語や歴史(ヒストリー)は、いろいろな人がスペースに居合わせているときにどのように受け入れられ、あるいは受け入れられないのかといったことを考えるようになりました。そういったアートや歴史にかかわる哲学的あるいは社会的な問いをめぐって、何かを感じて、考えながら、批評を書いたり、本をつくったり、展示活動、あるいは何か哲学的な実践といえるものをしていきたいのだと思います。
――哲学的な実践、いいですね。座って考えるだけでもなく、ただやみくもに体を動かすだけでもなく。
F.アツミ:ちなみに、スペースの名称であるmonade contemporary | 単子現代のmonade(仏)は、バロック期の哲学者であったゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツの『モナドロジー(単子論)』から由来しています。モナドは、心とからだのかかわりを「心かからだか」というように分けるのではなくて、「心もからだも」というようにつねにすでに分けられないものとして考えたうえで、人と世界との関係性について考えるための最小単位として位置付けられているようです。また、ドゥルーズはライプニッツについてのモノグラフとして知られる『襞』のなかで、新しい調和について建築と音楽のメタファー(比喩)とともに考察を深めるなかで、「モナドロジー(単子論)をノマドロジー(遊牧論)によって二重化する」という不思議なことをいっています。
――なかなか難しいですね。どういうことでしょうか。
F.アツミ:これは哲学カフェのように身近な問いとして捉えてみると、心とからだと移動や交通、あるいは流動的な生活スタイルは、出遭いが起こるプロセスにおいてお互いに影響し合いながらそのあり方を変えていくというようにいえるかもしれません。人はそのときどきに居合わせる人々とのかかわりにおいて変わっていくし、生活をしている場所はある種の人々がいるときと、また別の人々がいるときでは違うものになるというように。
――だんだんイメージが膨らんできました。
F.アツミ:日ごろ思うのですが、アートにはいろいろな人の感じ方や見方をそのもの自体においてかかわりあいをもたせるという力があるのではないでしょうか。もしそうであれば、ある場所にアートがあることでその都度、さまざまな人々が居合わせることができるようになり、それによって人や場所が新しく生まれ変わっていくことができるのではないかと思っています。現代の心やからだのかかわりをアートや哲学とともに感じたり考えたりながら、社会、つまりは日常の生活や活動のなかで出遭うものごとや人とのかかわりを生み出したり、つくりかえたりすることができる場所、あるいはスペースになればと考えています。
F.アツミ:アートとして表現されたものは、哲学や思想として考えられる概念(コンセプト)をとおして、日ごろ考えていることとはまた違った角度で見られることがあります。そういったものごとの感じ方や見方の変化が観客として来た人、一人ひとりを通して、社会、あるいは生活のなかで出遭う人々とのかかわりあいのなかで息づくことがあれば、社会はそれなりの仕方をもって、誰かが考えもしなかったような別の仕方で変わっていくのではないか、そしてそれはとてもすばらしいことになりえるのではないか、ということですね。
――このギャラリーでは、アーティストやギャラリストに展示中の作品について質問などをしてもよいのでしょうか。もちろん、迷惑をかけない範囲で。
F.アツミ:何でも話してもらえると、楽しそうでよいですね。作品を見ていると、たしかに自分一人、あるいは自分たちだけでもいろいろと感じたり、考えたりすることもあると思います。でも、ギャラリーにギャラリストやアーティスト、さらに言えば、カフェを楽しみながら作品を見ている人もいるので、そういう人たちと何か作品について感じたことや思ったことを言葉にして投げかけてみるのもすてきな機会になるのではないかと思います。
そうすることで、アートを前に、それまでは知らなかったほかの人の感じ方や考え方に触れられて、まったく違う世界の見方が広がってくるのではないでしょうか。それはアートがかかわる人に約束してくれる、一つの解放の時間、もっといえば最小限のいま/ここで起きうる革命、あるいは社会変革の契機ともいえるものではないかと思います。
――開場して一年くらいとなりますが、今後、どのような展開を考えておられるのかお聞かせ頂ければ幸いです。
F.アツミ:最近は、当初から続いている、「ことばを食べるカフェみずうみ」のかんじクッキーや箱庭カフェだけでなく、堀博美さんと城戸みゆきさんによるキノコカフェがあったり、京都で活動しているみず色クラブというカフェ・バーの出張営業などもあったりと、カフェや食と一緒にアートやカルチャーを楽しめるイベントが増えてきてうれしいです。アートやカルチャーと食のかかわりのなかで、楽しみながら、何か新しい世界が開かれればと思っています。
――「キノコカフェ」では、企画者側として参加させていただきましたが、とても面白かったです。他のイベントも面白そうですね。想像すると楽しくなってきました。
F.アツミ:これまでの話に付け加えると、現代アートのコンテクストとしては、インドネシアのルアンルパが掲げるような「ルンブン」(共有の米倉)というアーティストやクリエーターを中心とした異質な属性の人たちがもちよったもの、人、金、情報、ネットワークといったものが日常の生活や活動などによる実践のなかで連帯や集合を生み出すという考え方にも関心があります。その意味でいえば、monade contemporary | 単子現代は誰かが所有するスペースではなく、誰もが活用できるスペースになって、何か面白いもの、何か新しいもの、そして何か美しいと感じられうるものが生まれる場所になればと考えています。アーティストやクリエーターたちだけでなく、キュレーターやアートマネジャー、クリティック、リサーチャー、あるいはギャラリスト、さらにはコレクターなど、アートやカルチャーにかかわる人にももっと参加してもらえればと考えています。
F.アツミ:スペースにはブックライブラリーもあって、『逃走論』(浅田彰 著)、『現代美術の場としてのポーランド:カントルからの継承と変容』(加須屋明子 著)、『現代アートとは何か』(小崎哲哉 著)、『GEIDO論』(熊倉敬聡 著)、『陸の果て、自己への配慮』(遠藤水城)、『失われたモノを求めて 不確かさの時代と芸術』(池田剛介 著)、『共にいることの可能性、その試み、その記録 ―田中功起による、水戸芸術館での、ケーススタディとして』(田中功起 著)、『芸術創造拠点と自治体文化政策 京都芸術センターの試み』(松本茂章 著)、そして『きのこる キノコLOVE111』(堀博美 著、城戸みゆき イラスト)などなど、京都ならではのアートやカルチャーのコンテクスト(文脈)に応じた蔵書もたくさんあります(もちろん、Art-Phil出版の各種書籍も!)。
――最後に、「楽活」読者の皆様に一言あればお願いします。
F.アツミ:この記事を読んでくださっているみなさんも、ぜひ遊びに来てください! あと、展示やイベントの企画のお話もお聞かせください!
――ここが祇園の新しい名所になるといいですね。どうもありがとうございます。
引き続き、次回はスペースのもうひとつの区画「ことばを食べるカフェみずうみ」について書きたいと思います。(下記リンク参照)
モナド・コンテンポラリー 基本情報
monade contemporary | 単子現代
〒605-0829 京都府京都市東山区月見町10-2 八坂ビル地下1階 奥左入ル 2号室
公式HP:https://monadecontemporary.art-phil.com