【Webで旅気分】花の都フィレンツェはルネッサンス時代の建物が並ぶ「屋根のない美術館」!古代ローマからの歴史を紡ぐ世界遺産の街を歩いてみよう

「フィレンツェ」は花の都を意味するイタリア中部の街です。15~16世紀・ルネッサンス時代の宮殿や教会が並ぶ街は「屋根のない美術館」といわれ、1982年に旧市街が「フィレンツェ歴史地区」としてユネスコ世界遺産に登録されています。見所が満載のフィレンツェを発祥の地を中心に紹介しましょう。

アルノ川にかかる橋で歴史をたどる

生誕500年を記念するアメリゴ・ヴェスブッチ橋(街路灯の後ろ)

フィレンツェを東西に流れるアルノ川は全長245km、フィレンツェと地中海を結ぶ水路であり、水力を利用した紡績や貨幣を鋳造するエネルギー源でもあります。フィレンツェ出身でイタリアを代表する詩人ダンテ(1265~1321年)は、代表作『神曲』に「私が生まれて育った故郷は美しいアルノ川に面した大きな町だ」とアルノ川を誇りにしています。

アルノ川にかかる橋を下流から上流へと見ていきましょう。

フィレンツェ駅に近いアメリゴ・ヴェスブッチ橋は1957年に完成しました。フィレンツェ生まれの探検家・天文学者アメリゴ・ヴェスブッチ(1454~1512年)の生誕500年を記念したものです。ヴェスブッチはアジアを目指した航海で到着した場所がアジアではなく「新大陸」であることを発表し、新大陸は「アメリカ」と名づけられました。

2番目に掛けられたカラッイア橋  

両岸の広場を結ぶ「カラッイア橋」は1218~20年にかけて建設されました。荷車の往来が多かったため「荷車が通ること」という意味が橋の名前になりました。第二次世界大戦時には連合軍を防ごうとドイツ軍がこの橋も破壊。1952年に再建されたのが現在の橋です。ほとんどの橋は洪水や戦争のために壊れ、何度も再建されています。

世界一美しいサンタ・トリニタ橋

サンタ・トリニタ橋」は初め1252年にかけられ、16世紀にミケランジェロのスケッチを基に再建されました。楕円のアーチがつらなる優雅な橋は地元の人々に愛されています。

1608年にはメディチ家トスカーナ大公コジモ 2 世の結婚を祝って、「四季の彫像」が橋の四隅に置かれました。この橋も戦災を受けましたが、綿密なプロジェクトによって1958年に元通りの姿になりました。その後、四季の像のうち「春」の頭部が浚渫工事で偶然見つかり、1961年に復元が完成しました。

最も古いヴェッキォ橋

ヴェッキォ橋」はフィレンツェ最古の橋。ヴェッキォは「古い」を意味し、古代ローマ時代につくられました。現在の橋は1345年に再建され、洪水にも戦火にもあわずほとんど当時のままです。

橋の上の両側に貴金属店や宝石商がずらりと並び、橋の上にいることに気づかずに通り過ぎる人もいるでしょう。橋の2階部分はヴェッキォ宮殿、ウフィツィ美術館を通りピッティ宮殿にとつながる「ヴァザーリの回廊」が貫いています。

ダンテの『神曲』が原作のプッチーニ作曲のオペラ『ジャンニ・スキッキ』(1918年初演)にヴェッキォ橋が登場します。大富豪の遺産を遺族の一人ジャンニ・スキッキが巧妙に手に入れる物語です。

なかの1曲「私のお父さん」は、主人公の娘が頑固な父親に結婚を許してくれないならば、「ヴェッキォ橋から身を投げる」と歌い上げます。タイトルは知らなくても、よく耳にするメロディーです。ソプラノ歌手のマリア・カラス(1923~77年)による歌唱をお聞きください。

マリア・カラス歌唱『私のお父さん』(約2分)

フィレンツェは古代ローマに始まる

中央にレプップリカ広場(ジョットの鐘楼から南を望む)

写真の中央の空間は、フィレンツェのほぼ中心部にある「レプップリカ広場」です。「レプップリカ」とは共和国という意味です。広場のアーチの方向に行くとアルノ川が流れています。ここがフィレンツェ発祥の地で、古代ローマ時代は政治・宗教・経済の中心、中世には食料市場、16世紀にはユダヤ人を収容するゲットーがありました。

古代ローマ時代のフィレンツェは、レプップリカ広場の場所を中心に東西南北に揃えた道が碁盤目のように整備され、周囲を市壁で囲み、4つの門がありました。この場所にはフィレンツェの重要な歴史が詰まっています。

市壁は現在、道路になり、北はドゥオーモの北側、東はドゥオーモの後ろを回るプロコンソロ通り、南はシニョリーア広場の北側、西はトルナブオーニ通りです。のちにアルノ川に直交する方向に道が発達したので、この一角だけが角度が異なっていることが、地図でも確認できます。

グーグルマップのレプップリカ広場付近  Piazza della Repubblica - Google マップ

メリーゴーランドの屋根にはイタリアの名所絵

現在のレプップリカ広場は、イタリア共和国が建国されてフィレンツェが首都(1865~71年)になった時代に、都市開発の一環として建設されました。凱旋門のようなアーチの上部には「太古の市の中心であった」と碑文が刻まれて、古代ローマの栄光を伝えています。

ロマーナ門と女性像

ローマ時代に築かれた市壁は、時代がすすむにつれて拡大し、14世紀には周囲8.5km、15の門がありました。イタリア共和国建国時の1865年に市壁は環状道路となり、現在でもいくつかの門が残されています。

写真はフィレンツェの南端のロマーナ門で、近くには市壁も残っています。道路は南にローマへ向かいます。門を背に足を踏み出している女性像は頭の上に後ろ向きの女性像を乗せています。現代彫刻家ミケランジェロ・ピストレット(1933年~、2013年にルーヴル美術館で回顧展)の彫刻「Dietrofront」(直訳では回れ右)です。 

華やかなサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂正面

フィレンツェのシンボルでもある「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」(ドゥオーモ)の名は「花の聖母マリア大聖堂」を意味します。ドゥオーモは街で一番大切な教会のことです。ドゥオーモは1296年に建設が始まり、1467年に完成しました。

ドゥオーモ正面中央部分的

正面は壁だけの状態が約300年続き、現在の正面は1887年に完成しました。ブロンズ扉には聖母マリアの生涯が刻まれ、扉の上、半円形の中央にキリスト、周りは聖人像など、ピンク、緑、白の色大理石を組合せた装飾が華やかです。

ドゥオーモ東側

後ろに廻ると、ブルネルスキが設計し、1436年に完成した直径43mのクーポラが見えます。

3万人を収容できる内部でクーポラを見上げると、フレスコ画「最後の審判」には聖人や天使がひしめいています。階段を上るとフレスコ画のすぐ下まで行くことができ、さらに階段をのぼると、クーポラの展望台から360度、街を見渡すことができます。

左にジョットの鐘楼、右はドゥオーモ

ドゥオーモ正面の、南側に並び立つジョットの鐘楼も3色の大理石で飾られた五層の塔、高さは約85mです。ジョットがドゥオーモ造営主任を務めた1334年に着工、ジョットの没後1359年に完成しました。歩いている人と比べると建物の大きさがわかります。

ジョットの鐘楼から東を望む 

鐘楼の展望台からは、ドゥオーモのクーポラが見えることも魅力のひとつです。クーポラがすぼまった先が展望台です。ドゥオーモではらせん階段463段を上ります。鐘楼の階段は窓から景色を見ながら411段をのぼります。どちらもエレベーターはありません。時間と体力のあるかたは両方で展望をお楽しみください。

正八角が安定感を与えるサン・ジョヴァンニ洗礼堂

サン・ジョヴァンニ洗礼堂、東側

ドゥオーモの正面と向かい合う「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」は、フィレンツェの守護聖人サン・ジョヴァンニ(洗礼者ヨハネ)に捧げる八角形の礼拝堂です。白と緑の2色の大理石で装飾され、1059~1150年頃に建設されました。2層の中央に3体の像が立ち、右端のサン・ジョヴァンニが中央のキリストに水をかけて洗礼を施しています。

サン・ジョヴァンニ洗礼堂、東側を拡大

東と北、南にあるブロンズの扉は浮彫で飾られ、写真は15世紀中頃に完成した東扉・ギベルティ作「天国の門」で旧約聖書の登場人物を優美に表しています。堂内の天井には「最後の審判」「創世記」が金色のモザイクで埋め尽くされています。

ドゥオーモの東側にあるドゥオーモ付属博物館にはミケランジェロの彫像「ピエタ」をはじめ、内外に安置されていたオリジナルも収蔵されています。

メディチ家の墓所、サン・ロレンツォ教会

左:サン・ロレンツォ教会(正面) 右:ジョヴァンニ・ディ・ビッチ大理石像

ドゥオーモの北側にある「サン・ロレンツォ教会」は、4世紀の聖堂を15世紀にブルネルスキが全面改築しました。メディチ家の菩提寺である教会の前には、メディチ家の創始者ジョヴァンニ(1360~1429年)の像があります。16世紀にミケランジェロが増設しましたが、正面はメディチ家と意見が異なったため、現在も未完のままです。

フィレンツェの歴史にはメディチ家が欠かせません。ジョヴァンニが成功させた銀行業を継いだコジモ(1389~1464年)はフィレンツェを実質的に支配し、芸術文化を支援し、フィレンツェ共和国から「祖国の父」と尊称を贈られました。孫のロレンツォ豪華王(1449~92年)の頃にルネッサンスは最盛期を迎えました。

新聖具室の祭壇(絵葉書)

ミケランジェロが14年を費やした新聖具室には、豪華王ロレンツォの息子ヌムール公ジュリアーノ(1479~1516年)、孫ウルビーノ公ロレンツォ(1492~1519年)の祭壇があります。絵葉書には、ジュリアーノが中央に座り、左に女性像「夜」、右に男性像「昼」の祭壇があり、向かい側にはロレンツォ像が「曙」「黄昏」像に守られた祭壇があります。

サン・ロレンツォ教会の北側

17世紀に建設された礼拝堂は高さ59mの天井から光が入り、八角形の建物の6つの壁面にメディチ家歴代の墓碑があり、床や壁にも色大理石、輝石、ラピスラズリ、真珠などがふんだんに使われています。

現在も市庁舎のヴェッキォ宮殿

左:ヴェッキォ宮殿 右:ランツィの回廊(提供:AC)

ヴェッキォ宮殿」はフィレンツェ共和国の政庁舎として、14世紀に完成しました。16世紀にトスカーナ大公となったメディチ家のコジモ1世(1519~84年)が住居とし、ピッティ宮殿に移ると、古い宮殿を意味する「ヴェッキォ宮殿」と呼ばれ、式典の場になりました。

内部は絵画や装飾で覆われ息苦しくなるほどです。高さ94mの塔に階段(地上階から482段)で登ることができます。

ヴェッキォ宮殿の中庭

中庭の噴水の上にはヴェロッキオ作の彫像「イルカを抱いたキューピッド」が飾られています。列柱や壁には、コジモ1世の長男フレンチェスコ1世とオーストリア皇女との結婚を祝う、オーストリアの景観図が描かれています。ヴァザーリの回廊、シニョリーア広場の「ネプチューンの噴水」も、この結婚式に合わせてつくられました。

フィレンツェがイタリア王国の首都となった1865~70年は国会議事堂、1872年頃から現在も市庁舎として使われています。

彫像が立ち並ぶシニョリーア広場

アンマナーティ作「ネプチューンの噴水」

ヴェッキォ宮殿の前にある「シニョリーア広場」はフィレンツェ共和国時代の政治の中心地、「シニョリーア」は政庁舎を意味しています。現在の広場はまるで野外彫刻展、等身大よりも大きな人物像がたくさんあり、近くで見ると迫力に圧倒されます。

中央にはアンマナーティ作「ネプチューンの噴水」(1563~65年)、ネプチューンはギリシア神話の海の神です。噴水の向こう側にはジャンボローニャ作「コジモ1世騎馬像」(1549年)、噴水の前にはフィレンツェの紋章を支える「マルゾッコ」と呼ばれるライオン像(ドナテッロ作、1419年)があります。舞台のようなランツィの回廊にも、2頭のライオン像や等身大よりも大きい彫像がたくさん立っています。  

左:ミケランジェロ「ダヴィデ」 右:バンディネッリ「ヘラクレスとカクス」

ヴェッキオ宮殿を背に立つダヴィデ像(1501~04年)は高さ約4m、巨人ゴリアテを倒そうと投石器を構えた緊張する一瞬をミケランジェロが大理石に刻みました。

チェッリーニ作「ペルセウス像」、左にダヴィデ像

ランツィの回廊でシニョリーア広場に向って立っているのは、チェッリーニ作「ペルセウス」(1554年)の3.2mのブロンズ像です。ギリシア神話の英雄ペルセウスが、見た者を石に変える力をもつメドゥーサの首を掲げ、体を踏みつける凄惨な場面です。ペルセウス像はメディチ家の権力を象徴するともいわれ、共和国の象徴ダヴィデと対峙しているようにも見えます。

イタリアが世界に誇るウフィツィ美術館

ウフィツィ美術館

ウフィツィ美術館は、16世紀後半にコジモ1世がヴァザーリに設計させたトスカーナ公国の庁舎でした。「ウフィツィ」は「オフィス」を意味します。建物全体はカタカナの「コ」の字形で、1階に柱が並び、柱のくぼみにはフィレンツェの偉人たち、ダンテ、マキャベリ、アメリゴ・ヴェスブッチなど28人の彫像が立っています。

メディチ家の膨大なルネッサンス美術コレクションを18世紀後半に公開し、ボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなどの作品を展示し、イタリア国内では最大の質と量を誇っています。

天井や床も見所のウフィツィ美術館(絵葉書)

左右に彫像が並ぶ廊下も見逃せません。白と灰色の大きな四角模様の大理石床は18世紀の制作、天井の模様、幻獣、神々、メディチ家の紋章は16世紀に制作されました。オープンテラスからはドゥオーモやヴェッキォ宮殿を望むことができます。

ヴェッキォ宮殿からウフィツィ美術館を通り、ピッティ宮殿まで続く「ヴァザーリの回廊」は全長1km、700点以上の自画像コレクションが並んでいます。

「ヴァザーリの回廊」でつながるピッティ宮殿

ピッティ宮殿  

ピッティ宮殿」は、15世紀ピッティ家がブルネルスキに依頼して着工、16世紀半ばにメディチ家が移り住み、イタリア統一の19世紀後半には初代国王の王宮になりました。

現在、ピッティ宮殿にはパラティーナ美術館、近代美術館、君主の居室博物館、衣装博物館、大公の宝物庫、馬車博物館があります。パラティーナ美術館には、ラファエロとティツィアーノの作品が充実し、高い天井まで絵画を何段にも掛け、壁や天井の装飾、床のモザイクまで見応えがあります。

彫像が並ぶボーボリ庭園 

ピッティ宮殿の南に広がる45,000㎡の「ボーボリ庭園」は、フィレンツェで最も広大な緑地です。典型的なイタリア式庭園で、1549年に設計、最終的に完成したのは19世紀後半です。庭園内には陶磁器博物館、劇場、噴水などがあり、丘に登るとフィレンツェの街並みと田園風景を楽しむことができます。

フィレンツェの現在につながる歴史

街中で見かけた聖母子の像 

「屋根のない美術館」のフィレンツェは堪能できましたか。

屋外に展示された彫刻にはオリジナルが美術館に収蔵されているものも多くあります。たとえば、シニョリーア広場にあるダヴィデ像はアカデミア美術館に、ドナテッロ作のライオン像は国立バルジェッロ美術館に展示されています。是非、美術館も訪ねてください。

フィレンツェは古代ローマ時代に始まる歴史があり、13世紀のダンテが綴った『神曲』をもとに20世紀にはプッチーニのオペラになり、21世紀にはダン・ブラウンの小説・映画『インフェルノ』になりました。歴史は現代にも引継がれています。

※撮影はすべて2010年6月のものです。(AC以外)

関連情報

トスカーナ州:フィレンツェ Firenze - イタリア政府観光局(ENIT)公式サイト
https://visitaly.jp/region/toscana-firenze/

関連記事・楽活「Webで旅気分」シリーズ

楽活では、長らくコロナ禍によって海外旅行に行きたくてもなかなか行くことができない、という方のために、海外の風光明媚な街の風景に詳しいライター・橋本菜摘さんが「Webで旅気分」と題した旅案内記事を連載。ヨーロッパ各国で、有名な景観や史跡で名高い観光都市を取り上げ、たっぷりの写真つきで解説しています。

今回取り上げたフィレンツェ以外にも、様々な旅紀行をご紹介しています。ぜひ、あわせて楽しんでみてくださいね。

おすすめの記事